noteを600日連続投稿しての振り返りと気づき
今日でnoteの連続投稿が600日になった。
毎日、起床後のnoteを記すことが「書く瞑想」のように、その日の自分を整えるために欠かせなくなっている。
過去のnoteを読み返すと、今とはキャラや文体がちがっており年月の経過を感じる。
僕は日常でずっと何かを考えているタイプで、一日の中で何回か「あっ、そういうことか」と腑に落ちる瞬間があるのだ。
「点と点が結ばれて線になる感覚」といえばいいのだろうか。
それをスマホのメモに書いておいて、読み返し翌日にnoteへ記すことが多い。
もしくは起床後、まだ目覚めきっていない状態でパソコンの前に座ると「今日はこれが書けるかも?」というのが、内側からぼんやり浮かんでくることも。
これまではインプットの方に傾いていたが、noteを始めてからアウトプットの量が増えて好循環を作り出せている。
noteを続けていて「これが自分の人生において大事な価値観だったんだ」と気づけたことがある。
それは知らないことを知る喜びだ。頭で理解するのではなく、心で理解し納得がいくという感覚がより正確かもしれない。
知識を得ること、自分を深く知ることで人生はより豊かになる。
自己理解が進むと、自分にとって必要なものと不必要なものが明確になっていく。
それゆえ生き方が、どんどんシンプルになる。
これからもその新たな気づきを得るために、僕はnoteを書き続けるだろう。
起床後に決まってすることは、歯磨きとnoteの執筆と亀の水槽の水を替えること。
これが僕の一日の始まりだ。
いつも読んでいただいて、ありがとうございます。
みなさんに支えられて続けておりますので、これからも何卒よろしくお願いいたします。