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学歴がなく勉強嫌いだった僕が「学歴至上主義」に背を向ける理由

僕は1対1の人間関係が好きなので、大勢が集まる忘年会にはあまり出向かない。

しかし昨年12月、お世話になっている方の関係である忘年会に顔を出すことに。

僕の近くの席にふたりの男性が向かい合って座っている。こちらのおふたりは初対面だった。
おふたりともすでに定年退職後に悠々自適の暮らしを送っておられた感じなのだが、片方の男性が開口一番「おたくはどちらの大学を卒業されたんですか?」と、切り出した。
その後「どこどこの大学はああでこうで、あの人はあそこの大学出身だから」みたいな大学にまつわる話で盛り上がる。僕は「へー」と思いながら、お酒を飲みつつ、それとなく彼らの話に耳を傾けていた。雑談が苦手そうなおふたりだったが、学歴を中心にした話になった途端、饒舌になったのが印象的だった。

なぜ僕が「こんな話をこれだけの熱量を持って語るんだ⁉」と衝撃を受けたのか? それは、僕の周囲にはそういった人々がいないからだろう。

2023年の10月に投稿した記事でも書いたが、就職せずに好きなことを続けていると、よく「君の生き方は間違っている」「そのうちひどい目にあうから覚悟した方がいい」と年長の男性からよく説教を受けた。「今の時代、大学くらい出てないと何もできないぞ」と言われたこともあった。

ちなみに現在、40代の僕の身に大変なことが起こってたかどうかは、こちらの記事を読んでいただければお分かりいただけるだろう▼

よく顔を合わす仕事仲間で高校を中退して企業し、バリバリ仕事をしている男性がいる。

彼は、非常に地頭がいい。たくさん失敗を重ね経験から学ぶタイプの人で、話す度に気づきをいただけるので、とてもありがたい存在だ。彼を見ていると「自分に自信があり行動を起こせる人間ほど、学歴にしがみついていない」と感じる。

僕も一時期、学歴にこだわっていた時期があり、自分の学歴のなさに劣等感を覚えていたことがあった。

しかし偏差値や知能指数というのは、あくまでひとつの物事を確認する尺度に過ぎないと腹落ちした。
どこかで「学歴社会が正しい」と思い込んでいる自分がいたことに気づけた瞬間、楽になった。「誰かが決めた価値観など自分には無関係だ」と腑に落ちた瞬間「もっと思うがままに自由に生きよう」と決意できた。
chatGPTの台頭などで「これからは賢いことはAIがやってくれるだろう」と予測を立てられたこともあり、今は自分の生き方をより受容できつつある。

そういえば以前、高学歴の人が集う街おこしみたいな企画に顔を出したことがあった。そこには他者へ関心を示さない頭コチコチでユーモアセンスが皆無であろう大学教授たちが、むすっとした顔で座っていた。
僕は「こんな滞った環境なんて、全然自分に合わへんわい」とすぐに抜けた。
彼らの専門分野に対しての知識はすごいが、それをマウントするために用いているようなところがあった。そして、彼らのいずれもが強烈なナルシストだった。

すぐ張り合ってきたり、マウントをしてくる人は勝ち負けの世界のみで生きている。負けるのが怖いから「こいつは俺よりも弱者だ」と思った瞬間、横柄になるし、見下す行為が常態化している。こういった人々と関わっても消耗するだけだし、楽しくないのでできるだけ距離を取りたい。

自分にしか関心がない人の集まりは、循環が発生していないからつまらない。なので誘われても仲間に加わらないようにしている。

これからの時代を生き抜くために必要なのは、
・好奇心
・結晶性知能
・EQ(心の知能指数)

ではないだろうか?

EQが高い人は、他者の心の変化や機微に気づく力が高いので話していて楽しい。心と心が交流している感覚がある。

知能には大きく分けて
・結晶性知能
・流動性知能

がある。

流動性知能が高い人は、若いうちから能力を発揮しやすいものの流動性知能は年齢とともに横ばいになったり、成人を過ぎれば衰えていくとされている。

一方の結晶性知能は、年齢を重ねるとともに上がっていく能力だ。

不器用な人でも内省や人間観察を続け、たくさんの人との人間関係を育むことで結晶性知能は伸ばせる。

結晶性知能は、僕のように不器用な生き方しかできなかった人からすると救いに近い。

HSP気質の人やINFJの人で生きづらさを自覚している人は少なくないだろう。しかし30代、40代を過ぎてから「自分の生きる道はこれだ!」と気づき、目を輝かせ充実感あふれる日々を送る人もいる。
それは辛い日々の中でも希望を捨てずに「自分に合った道がきっとあるはず」と、学び続けた結果に得られた成果かもしれない。

本来、学びとは強制されるものでなく、主体的に行うものだ。

主体的な勉強ほど楽しいものはない。生き生きと楽しそうにしていると、人は自然と集まってくる。活気や熱気があり、温かみのある人が集っているところに身を置くと心地よい。

僕は常々「面白いことをして暮らしたい」と考えているし、自分が「この人、面白い!」と思える人とコミュニケーションをとりたい。

僕が魅力を覚える人は、人が決めた古い価値観に縛られず「私は心からこれが好きなんです!」と胸を張って言える人だ。

世間が正しいと決めた価値観に依存している人は他人軸だ。しかし自分の感覚に素直でまっすぐ生きている人ほど、しっかりとした自分軸を持っている。

僕が大好きな人は、もちろん後者なのである。

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