HSPやINFJは「見下す人」ではなく「見渡せる人になる」ことであなたらしい幸せが手に入る理由
男性が多い組織では、序列が決まるまで苛烈な争いが繰り広げられる。
派閥を作ったり政治的な根回しをすることで、猿山の頂点を目指す男性がいかに多いことか。
僕はこうした男たちの作り出すホモソーシャル的な世界観が心底苦手で、ずっと背を向けてきた。そして今も背を向け続けている。正直、そういった環境には一歩も足を踏み入れたくない。
彼らの多くが本来の目的を忘れ、近視眼的になり競争や蹴落とす行為自体にカタルシスを覚えるようになる。
はっきり言うがこういった行為への耽溺は、誤学習のなせるわざだ。競争に明け暮れる人ほど、脳が脳内麻薬にのっとられ視座が低くなっている。そして当人がその状況や危うさに気づけていない。脳内麻薬がドバドバ出すぎて、メタ認知がおろそかになっているのだろう。
そういえば松本人志氏の高校は、超のつくヤンキーが集まる高校だったそうだ。
各中学の不良が集う、漫画のような世界。
さぞ激しい争いが起こるかといえば、あらかじめ格や序列が決まっていたため喧嘩が少なく平和だったらしい。
ただし上の地位を狙い、噛みつく人間がいればもちろん諍いが起こる。
下剋上がなく、各々が今の地位に満足していれば平穏が続く。
平定とは、定められた階層以上を人が望まない収まった状態を指す言葉なのかもしれない。
頂きを目指す人には、理念がある人、そして権威と優越感がほしくてたまらない人の2種類がいる。
もちろん、これらが混在していることもあるので、シンプルな二元論だけでは語れないのだが、上から見下したり、見下ろすために上位のポジションに固執する人の晩年は寂しいものになる。
エゴイズムやナルシシズムが強すぎるのだろう。盛者必衰の言葉どおり、勢いをなくした瞬間、無情で無常な現実をつきつけられる。こういう勝負と勝利にこだわりすぎる人ほど、実は自分に自信がない。自分と向き合うのが怖いので、勝負という行為への没頭に逃避するのだ。
一方「見下す」のではなく「見渡せる人」もいる。
こういう人は自分のエゴイズムやナルシシズムとの折り合いがしっかりついており、利他的な行動や社会貢献への意識が強い。好循環を起こせる人望があるのは、こちらのタイプだ。
HSPやINFJで、人を蹴落として頂点に立ちたいと望む人は少ないだろう。
HSPやINFJには、見下すが似合わない。
広い視座で周囲や人々を見渡し、相手が必要としている情報を届ける人にならなれるかもしれない。
自身の承認欲求、劣等感、心の傷などをしっかり受け入れたうえで、地道に一歩一歩前に進めるあなたは、ゆっくりと広い視座を獲得できるだろう。