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人の話を遮らず最後まで聴く意義【人生は人喜ばせ合戦】
こちらの記事は、チェーンナーさんの企画▼
【人生は人喜ばせ合戦】の参加記事です。
フォローしていただいているnoterのひいろさんからバトンをいただきました。
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ありがたいことに「聞き上手ですね」と言ってもらえる機会がよくある。
自分以外の視点はシンプルに興味深く、目の前にいる相手に関心を払って前のめりに聞いているだけなのだが、「興味津々に前傾姿勢になって聴くのが、話し手からすると嬉しいんだと気づいた。
20代の頃、その頃、僕は1時間以内なら、どこへでも自転車に乗って現れるチャリ野郎だったのだが、徒歩の友達の隣で自転車を押しながら話を聞いていると、深い話になってきた。
彼の話は、次第に熱を帯びるようになり、僕は興味深く耳を傾けていた。
道が分岐する手前で立ち止まり、彼の話がひと段落するまで聞き終え、「じゃあ、また」と別れた。
その頃、まだLINEが普及しておらず、メールでのやりとりが主だったのだが、友人から「あんなに親身になって話を聞いてもらったのは初めて。嬉しかった」と興奮気味にメールをもらい「そんなに喜んでくれるなんて」と意外に感じた。
のちのち、色々な本を読んで勉強していくうちに「コミュニケーションは話すよりも聴く方が大事」といった文言を目にするようになり、「そうなのか」と認識するようになる。
あえて人のタイプを区分けすると
・話すことが得意なピッチャー(スピーカー)タイプ
・聴くことが得意なキャッチャータイプ
に、わけられる。
僕は、明らかにキャッチする、受信する方が得意なタイプだった。
30代に入り、人の話を聴き続けているうちに相談される機会が増えた。
「何でも私のことをわかってくれる」と過度に依存されるようにもなり、これは「線引きしないと」と思い始めたのもこの頃だ。
スピーカータイプは自分が大好きで自己陶酔しやすい人、主観的に突っ走る人が多いため、こちらが自分軸をしっかり持っていなければ飲まれてしまう。
つまり、対応方法を間違えると人生で最も貴重なリソースである時間が、どんどん喪失していくのだ。
傾向と対策をしっかり練り、相手に配慮できる人だけを残して、理想化とこき下ろしをする人間を意図して避けるようになった。
根っこがウェットな分、シビアを心がけなければ生きていけないというのが、だんだんわかってきた。
生き方のスタンスを変えたあとでも、「これは今、話を聴いておかないとヤバいな」と思う状況があった。
大げさかもしれないが、放っておいたら「自ら命を絶ちかねないな」と思う、不安定な瞳をしている人に出くわすことが二度ほどあった。
そういうときは腹をくくる。
とことんまで聴ききろうと。
ファミレスで夜の10時から早朝まで、ずっと話を聴いたこともあったし、路上で深夜から朝方まで話を聴き続けたこともあった。
話を聴くというのは疲れる。相手と徹頭徹尾向き合うからだ。
相手の話に集中するというのは、エネルギーを要する。
適当に聞き流していれば疲弊しないが、一挙手一投足に意識を向け続けるとへとへとになる。
それでも、聴き続けると淀んでいた瞳に力が宿り出す。
不信が信頼に変わるのだ。
それは、孤立し世界へ不信感むき出しの人が「自分はひとりじゃなかったんだ」という信頼を取り戻した証かもしれない。
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読んでいただいて、ありがとうございました。
今回の企画で、過去を深堀できたのでありがたかったです。
バトンはいつもお世話になっている、チコリンさんへお渡しいたします。
お忙しいところ恐縮ですが、よろしくお願いいたします。
今回バトン企画に参加して感じましたが、バトン企画への参加は今回の記事をもって終了とさせていただきます。
「内発的な動機によって書きたい」というのが自分のスタンスということに、本記事を通して気づくことができました。
「今、これを書きたい」「書きたい気持ちがあるから書く」と気持ちを一致させることは、今の僕にとって何より大事なのです。
来年のことを言うと、鬼が笑うかもしれません。
来年こちらの企画があるのか考えること自体、時期尚早ですが、「来年はバトン企画に不参加」ということを表明しておきます。