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人は自身の内側に眠る加害性を忘れ「自分の正しさ」に酔いしれた瞬間、誰でもモンスターになる

先日noteで、こんなことをつぶやいた。

どの事案について述べたというより、最近の日本で発生している「生贄を執拗に求める風潮を憂いで書いた」というのが本音だ。

人間は集団になると、負の面を見せることが少なくない。

ヒトラーは、ドイツでカリスマになるために心理学者ギュスターヴ・ル・ボンの「群集心理」という本を読みこみ書かれていた内容を実践し、国民の心をしっかり掴んだという。

大衆は客観的事実よりも刺激を好む。間違っていることであっても、強い刺激があれば大衆は熱狂するのだ。

フランス革命がまさにそうだったが、平民よりも高い地位にある人間を引きずりおろし、ギロチンにかけるのが大衆の快楽である。

集団心理の恐ろしいところは、温厚で攻撃性の低い人々でも集団になった途端、特定の対象を八つ裂きにするような攻撃性を発揮するところだ。

相手の息の根をとめるまで、延々と続く攻撃や加害は恐ろしい。

こちらはkindle書籍の1冊目▼

拙著の中のあとがきに「歪な自己愛の種が、自分の中にもあるというのを認めざるをえなかった」と記した。

こちらの書籍を書く前、僕は二項対立のような感じで、実は「自分が自己愛者を裁く側にいる」といった思い上がりがあった。

この「正義のお裁きをする」というスタンスは、非常に危ない。

なぜなら「自分には一切非ががないので、相手を完膚なきまでに叩きのめしていい」と、すぐに思考が飛躍してしまうからだ。

昨今の正義中毒に陥り人を叩き続ける人たちは、攻撃をして憂さを晴らすことに依存している。

一度、自分が叩かれる立場になったら「集団でひとりの人間を袋叩きしたい」というグロテスクな加害性が、いかに恐ろしいかわかるかもしれない。

「自分は正しい」「裁く権利がある」「教えてやっている」と思い込む人ほど極端な認知を持っている。

哲学の世界で「中庸の重要性」を説いた先人は、バランス感覚を失った途端、人間がたちまちモンスターになるという宿痾を知り尽くしていたのだろう。

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