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バヤリースを飲みたい夜
大切な人が苦しんでいるときにどう接したらいいのか、未だに正解が分からない。
もう4年も前のことになるのだけれど、コロナ禍で友人がなくなった。
あの時は有名な俳優さんや芸人さんが病気や自殺でなくなって、世の中全体にどんよりとした空気が流れていたように思う。
当の自分はどうだったかと言うと、引きこもり適正があり意外にも元気だった。友人の訃報を聞くまでは。
2020年2月。
緊急事態宣言に伴う臨時休校で全国の学校から突如として子どもがいなくなった。
そんな大ニュースが発表された日から数日後の週末。
それが彼と会った最後の日だった。
小学校6年生の時の僕は、担任の先生からの後押しもあり、柄にもなく代表委員になった。彼は3年生の頃から代表委員をやっていた。
どんなことをしていたのかあまり記憶はないのだけれど、卒業アルバムの文集を読み返してみたらどうやら彼と一緒に活動していたらしい。当時から優しくて、責任感のあるやつだった。
「人の役に立ちたい」
彼の卒業文集にはそんな言葉が書き記されていた。
2020年7月、小学校から一緒だった友人がしんでしまった。自殺だった。
「細く短い人生だった」
それが僕が知っている彼の残した最後の言葉だった。裏垢での最後のツイートを僕より彼との付き合いが長い友人がみせてくれた。
めちゃくちゃ仲がよかったわけではない。ただ社会人になってからも何度か飲みには行っていた。
なくなる数か月前に会った時は、大した話はしていなかった。お互いに競馬や投資の話が好きだったのでよくそんなことを話していた気がする。どんな話をしたのか、今となってはほとんど覚えていない。覚えているのは(コロナ禍であることと僕の教師という職業柄)「もうしばらくは飲めなくなる」と話していたことだけだった。
「しばらく」ではなく「一生」になってしまった。
彼がなくなった翌年、僕はうつ状態になって休職をせざるを得なくなった。
休職し始めてから1ヶ月後、彼の一周忌があった。親族と僕を含めた友人3人で行われた。
うつ状態がひどかった僕は、その時、何の感情も抱くことができなかった。悲しめなかったことが無性に痛かった。悲しいのではなく、ただただ虚しかった。自分は何て非道な人間なのだろうと、責めることしかできなかった。
人は自分から死を選ぼうとするとき、とてつもなく視野が狭くなる。
彼がそうだったかは分からないけど、僕の時はそうだった。
そんな狭い視野の時でさえも、彼の死は僕の頭の中から離れなかった。生きる意味をなくしていた僕に、「一周忌までは生きよう」と生きる意味をくれたのは彼だった。
今も虚しくなる時はある。
でも悲しくもある。この悲しさが今は愛おしくなる。悲しめるということは心が生きているということだから。
彼とは小学生のころ一緒のサッカーチームだった。僕も彼もスポーツをやっていたがどちらかというと"弱め"な少年だったと思う。
なぜだか分からないけれど、今でも忘れられないことがある。
小学生の頃、彼は元気な女の子に押されて朝礼台の角に頭をぶつけ、額から血を流していた。小学生の僕にとって友人が額から血を流している姿を見たことがひどくショックで、しばらくどうようしていたことを覚えている。そんな時、大好きなオレンジジュースを飲んで心を落ち着かせた。
今日もまた夜の散歩をして、彼を思い出していた。
いつもは目に留まらないバヤリースオレンジを、何だか今日は無性に飲みたくなった。