今いる場所から、書き始めるだけでいい
上手く書こうとすると身体中にチカラが入ってしまって、どんどん書けなくなる。
このところのわたしの心中も、そんな感じだ。
頭の中にはポンポンと言葉が降って来るのに、それを言語化できずにいる。とってもモヤモヤもどかしい。
「きれいな文章でないと書いてはいけない」、「書く価値がわたしにはない」とか、いろいろな思い込みがまだまだたくさん出てくる。
モヤモヤって言うのは、言葉にして頭の中から外に出してあげないと、どうやらもっとモヤモヤがたまって、カチコチに固まってしまいそうだ。それが執着ってもんなのか?
ぽぉ〜っと無気力な日が続いた。どうもエネルギーが湧いてこないのだ。なーんもしたくない。
「それはパートナーとの関係性が問題あり。そこをまず掘り下げて解決しなくてはならない。それじゃあエネルギーは湧いてこないのも当然です。」と言ったアドバイス?の言葉でこころがずんと沈んでしまった。
まともに受け取らなきゃいいのにって、思考は叫んでる(T . T)
いったんこころの底まで沈んだけれど、「いや、待てよ。自分の人生だから、他人にとやかく言われる筋合いなくなくない⁈」
パートナーとの関係性は人それぞれだし、今大きな問題が起きてないのなら、わざわざそこにエネルギー注ぐこたぁーない。
それは現実を見ないようにしていて、問題を大きくしているだけだ。不満を溜め込んでいるだけだ。
そう言った反論もあるであろうぞぉよ。
だがしかし、問題を問題として捉えるか、否かはわたし次第なんだなぁ。
「問題だ」と問題を作り上げるのが大問題。
無気力なのは、ただ季節的なもので、気温差、気圧差で自律神経が参ってしまっているのかもしれない。
更年期なお年ごろ。
メンタルの上下が激しいだけなのかもしれない。無気力なのも。
子育てが落ち着いて、空の巣症候群なのかもしれない。
何が原因なのかはっきりとみつけることは難しいし、そんなの探さなくっっていいんじゃない⁈
あれこれ考えた数週間。
あれ?
わたし、自分に厳しすぎないかい?
自分で自分にムチ打ってる?
原因探しをするよりも、自分に優しい言葉をかける方がいい。
「無気力になってもいい」そんな自分がいてもいいよと、自分に許可を出してあげる。
今まで、じゅうぶんがんばってきたから、そんな気持ちにもなるよね。
自分が思っていること、モヤモヤすらも書くことで、客観視してみる。
書くことは、浄化。
書くことは、瞑想。
書くことは、祈り。
書くことは、なんだろう。
上手く書くことはAIにおまかせすることにして、わたしたち人間はすごい上手い文章でなくても、文章があっちこっち行ったり、ガチャガチャしたとりとめのない文章を書いてもいいんだ。
今いる場所から書き始めるだけでいい。
悩みすぎず、ぼちぼちと書いていこうと思う。それが、自分のやりたいことのひとつだから。
今日もありがとう。
よい一日を⭐︎
スキ!ありがとうございます。とっても嬉しいです^^