水鏡に映す。“全部本人に、はね返るよ、違う形でも。呪う価値もないよ“
この物語は、フィクション(創作)です。
春姫
20代前半で電話占いの小さな会社を立ち上げた春姫。学生時代は、ファッションモデルへの道を進むか占い師になるか、迷っていたという。彼女は直ぐに食べていけなくても仕事を選べるだけの才能や環境に恵まれていたのだ。
春姫と親しくなったある年、「知り合いに暴行された」と打ち明けられた。私は一瞬、疑ってしまった。貴女にも原因があったのでは?と。
「警察で、どんな体勢だったか何回も再現させられたの。フラッシュバックして苦しかった。優しい婦警さんも居たんだけどね」
春姫の吐露で我に返り、疑った自分を恥じた。「反射的に疑ってしまう」、そのこと自体は善でも悪でもない。そこで罪悪感を抱えるからややこしくなる。私たち人間は様々なことに備える機能がついているというだけの話だ。不要であれば空にぱっと手放すだけ。また必要なときが来たら取り出せばいい。
「1人はね、明らかに私を疑っているっぽくて。ああ何なのあいつ、気が狂いそうだわ」
春姫の瞳孔は広がっている。彼女が「気が狂いそう」と言ったら、文字通り気が狂いそうなのだ。感情のヴォリュームが大きい。想念1つで周囲にエネルギーの渦を造ることも出来れば、楽園のように光溢れるフィールドを造ることも出来る、天然のエネルギー遣いだ。
私は言った。「よく話してくれたね、春姫。全部本人に、はね返るよ、違う形でも。呪う価値もないよ、浄化しよう、その人消えるかも。物理的に存在していても、次元が違うから。分かるよね。先ずは、お茶淹れるね」
ヴィジョンリーディング,エネルギーワーク.
私は春姫の会社に、水鏡という名前で在籍していた霊感占い師だった。当時、給料日だけは事務所に通った。世は平成、振り込みの会社が殆どの中、お給料の手渡しと短い面談があった。「会ってお顔を見たいから」だという。
事務所には幾つかのお茶が常備されているので、私は早い時間帯を選び、茶菓子を持参していく。他のスタッフにも食べていただけるように。いい子ぶっている訳ではなく、働けない時期もあった私は、こういった社会との関わりは新鮮で、まるで会社員ごっこをしている気分になれるのだ。
その月、春姫は私の顔を見るなり、縋るように対面セッションを希望した。
「水鏡!セッションをして。次の人が来るまででいいから」
話を大まかに聴いて、私はお茶を淹れた。
彼女の許可を得て、その驚くほど細い薄桃色をした指をそっと握ったら、彼女から涙が流れて来た。間もなく私からも。
*
甘い蜜や実を食べ尽くし、種も運ばない架空の鳥が彼女に群がるヴィジョンが視えた。私は落ちた実を拾い、少し離れた肥沃な地に植えた。
もう大丈夫。もう大丈夫よ。
正と負と,正と負と負と.
彼女のことはとても可愛い、だけど傍にいると自分の「素材」が少し嫌になる。
春姫はパーソナルカラー、春。白桃を思わせるふんわりした肌に、陽にあたるとヘーゼルほどに明るい瞳。髪から足指の先まで、兎に角みずみずしい。よく四半世紀もキープしているものだ、余程いいものを食べているに違いない。占い会社での彼女のイメージカラーはピンクとゴールド。
一方、私 水鏡のパーソナルカラーは冬。甘い服は似合わない。イメージカラーは水色と透明。もっとクリアでありたいのに、今日も早朝から過食してきた。きっと、今夜もしてしまう。
11時になると、事務所にはおばあちゃん先生も到着した。春姫が被害をかいつまんで話すと、先生は
「可哀想に。あなたはお姫様のように美しいから、このようなことがあるのねぇ」
と、とびきり甘く優しい憐みの言葉をかけ、春姫の両手を包むように握った。
その帰り道、私は全く質の異なる涙を流しながら、1人我が身を呪った。
「ブスで馬鹿で病んでいる私。美しければきっと『あの出来事』も美談になっただろう」
私も酷い目に遭っていたのだ。でも誰にも打ち明けたことがない。
「正負の法則は確かにある、でも親の代から引き継いだ負だってあるから、現世での体感としては公平ではない。醜い者が被害に遭ったと口に出すと、笑われたり虚言と思われたりするかも知れない」
当時の私は、醜形恐怖症も患っていた。
水鏡…みずかがみ
こんな私でも、私自身の好きなところが僅かながらあった。
身の程をわきまえていたから、鑑定ではどんなお客様も素晴らしく視え、作らずとも謙虚に穏やかに接することが出来た。「あなたなら、きっと幸せになれる」と本気で信じることが出来た。
惨めな想いなら私は身を以って知っている。誰もが馬鹿にするような相談も聞こう。お客様が嘘をつくときは、嘘をつく必要があるのだ。自己申告を聴こう、だけどその裏にある真の課題に、彼女たちが向き合うときが来たら、黒子のように寄り添おう。
そんなふうに仕事した。スピリチュアル依存を作らないよう心掛けているため、売り上げも特別によい訳ではなかったし、リピートもゆっくりだった。
電話鑑定中は、愛用している細いふちの眼鏡を外し、エネルギーの眼で視ることにしている。鑑定中やその後、説明がつかないような共時性をお客様と体験しても、「霊感・霊視・霊能力」以外の言葉で説明することを好んだ。
私はただの水鏡(みずかがみ)であり、教祖様には成りたくないのだ。
鑑定前に、髪を梳き洗面台で口を濯ぐ。ぼんやりと鏡に映る私は、いつもと同じ私だったが、驚いたことに笑顔で、どこか「いい顔」をしていた。こうやって、少しずつ少しずつ、笑顔の日は増えてゆく。