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愛より愛へ(1938年)/ 悲劇にならないスピリチュアル / 美輪明宏さんのご本は効果がある?

ーまえがきー 

私は昔(1930年〜1960年頃)の日本映画が好きです。特に詳しいという訳ではないのでnoteには殆ど書いていなかったのですが、年末に琴花酒さんのコメント欄で何気なくふれた際、ドンピシャなお返事をいただいて「もっと気軽に話してもいいかもしれない」と気付き、ネットでも少しずつ書くようになりました。琴花酒さん、ありがとうございます。

元々、古い映画の情報が少ないと感じており、せっかくなのでイラスト混じりで書きたかったのですが、絵は間に合わずヘッダーは自前のみんフォトをチョイスしました(笑)有料コンテンツに加え昭和初期の映画の感想まで出てきて、益々一般受けしないnoteになると思います。しかし「自分が読みたいもの・過去の自分が知りたかったものを書く」「探している人に伝わること」、それはやはり執筆する上での醍醐味です。

映画メモは以下のような特徴を持った記事です。

・専門的な批評ではなく、主婦による映画の感想です(不定期更新)。
・誤った解釈も含まれると思います。
・映画の著作権に関しては「公開後70年で終了する」とのことですが、不慣れなのでちょくちょく見直します。
・勿論、無料記事です。
変なミニエッセイも交えます。
スピリチュアル混じりなので、苦手なかたは「そっ閉じ」してくださいね。


ー裏まえがきー  元M女、ヒーラー、昔の日本映画に魅了される

ここからは変なミニエッセイです。

あれは19だったか20だったか、そのくらいのとき、私は自分がM女だと自覚し、次第にネットでもそういった界隈を徘徊するようになりました。初めてネットで仲良くなったのは、M女性とS女性でした。スマホが普及する前のことです。

しかし興味深いことに、心身の病気が回復するにつれMの成分は薄れていきました。真性のM女ではなかったようです。

ある年、私は学生時代から愛読していた美輪明宏さんのご本の影響で、1930年〜1960年くらいの映画を鑑賞し始めました。そこで当時の女性の気品ある言葉遣いや立ち居振る舞い、純真さや素直さ、芯の強さに猛烈に惹かれてしまいました。

何て素晴らしいの!と大興奮。勿論、あの時代の女性こそが素晴らしく今はそうでないという意味ではなく、個人的な好みによる感動と憧れにゾクゾクしたのです。

近年は擬似カラーのものもあり、見直して再発見するポイントも出てきました。かつてM女の先輩に見惚れて感嘆のため息を吐いていた私は、それよりも惹かれるものを見つけてしまった・・・。まあ、M女的精神と当時の女性像は、通じるものがあるのかもしれません。

前回のnote記事では、私の嫉妬心から「主婦は家のことしていればいいのに」と思ってしまっていた頃のことを書きました。現在はそうではありません。実際には、当然ですが主婦で様々な事情をお持ちの方も沢山いらっしゃるんですよね。明るく健康的なかつての知り合いは、お子さんの重い障害により、仕事を辞めてお子さんと実家に戻られていると人づてに知ったこともありました。勝手に詳細は書けませんが、こういったことは世の中に多くあります。

限られた時間の交流や切り取られたネットの発信だけでは、どんなものを抱えているか分からないものです。私自身もです。映画の趣味も、生育環境で家族との交流が希薄だったため、昔の映画が故郷や実家のように「心が帰る場所」となっているのかもしれません。あと経済的に苦しかったため、当時の庶民の暮らしにどこか懐かしさを感じているようです。

10代の頃、美輪さんのご本を読み、文化は心の栄養になると知り、お金がないときも本やクラシック音楽のCDを市民図書館で借りていました。あの頃は「こんなの本当に意味あるの?過食も鬱も治らないんだけど」と半ば疑っていましたが、今となっては「あの頃もっと本を読み、もっと上質な音楽に触れていれば良かった」と思うくらいです。

美輪さんの効果は、まず最初のインパクトがあります。しかし運命や体質ごと変えていくつもりであれば、自身の成熟も必要不可欠で根気が要ります。生きていくための知恵が自分のものとなり、生活で繰り返し使えるようになってくると、その効果が明らかに実感できるようになりました。

ではそろそろ、今回の作品に入ります。

『愛より愛へ』(1938年)日本映画

監督:島津保次郎 脚本:大庭秀雄
キャスト:佐野周二、高杉早苗、高峰三枝子、水島亮太郎、河村黎吉、坂本武、葛城文子

冒頭近くのフルートは、ビゼー「『アルルの女』よりメヌエット」でしょうか。サイレントからトーキーに移行する時代で、ピアノやフルート、ホルンなどが出てくる映画が印象に残っています。

1938年の映画『愛より愛へ』は個人的に大変好みで、繰り返し鑑賞してしまう映画の1つです。現代人にとっては古めかしい感じがしてつまらないかもしれません。

主要人物が皆、基本的にいい人なのですよね。それぞれ個性的だったり不器用だったりするけれど、優しい人たち。それが鑑賞する私の幸福度・満足度を大きく上げています。笑

佐野周二と高杉早苗はお互いを想い合っていることがよく分かります(役名ではなくキャストを書かせていただきます)。佐野の皮肉も、自分の不甲斐なさと相手を想う気持ちがあるからこそで、相手の人格を否定するものではないですね。

同じアパートで暮らしている別の男女が対比になっています。あの男女も悲劇にならなくて済んだポイントが幾つもあったかもしれませんし、そうではなく、そもそもお人柄や相性がよろしくなかったのかもしれません。しかしまずは幅広い可能性を探し、しっかり受け取ることはスピリチュアルでも大前提です。

佐野周二の妹役である高峰三枝子が母親役の葛城文子と会話するシーンがなぜかすごく懐かしく心地よいです。支配的な父親の元でも消えることのない母と妹の優しさを強く感じました。「こんな経験はしたことないけど懐かしい」としみじみするようなことが、島津保次郎や小津安二郎の映画ではよくあります。

ファッションも粋でした。この時代は、特にブルジョアのお嬢さんのファッションが大変凝っていて目を惹きます。レースやリボンを大胆にあしらい、だけど繊細で丁寧な作りであるように見えます。量産ではない感じ。ワンピースやドレスは体の曲線にそった美しいラインでありつつ、肌の露出はさほど大きくないものが多く、上品なのですよね。

今の時代、多様化多様化と言われているけれど、こういうファッションをしたらまだ浮いて見えちゃうんだろうな。もっと多様化して「変わっている」という言葉すら死語になればいいのにとよく思います。

高峰が高杉を「おねえさま」と慕う様子も終始愛おしかった。高杉が信用できるいい女性で、それが皆に伝わっていくのが嬉しい。でもここで父親1人だけでも態度を軟化させなかったら、どうしようもない時代です。優しい人間であることは徳が高くとても立派なことだと思いますが「男のために女は喜んで別れるというのだから、ありがたくそうしよう」というような優しさの使われ方は、悲しいですものね。そもそもお人柄や言動は高杉のほうが立派ですし。

令和時代においても、優しい方々、どうか「私さえ我慢すれば」「私が消えれば」「私など、もうどうでもいい」と安易に思わないでいただきたいです。ましてや死のうだなんてことは。あなたが苦しいのがまずよくないのだから。共に時代を変えてまいりましょう。

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