You say it ditto,but it's not same.
巷で噂のnew jeansのditto、聴きました。
考察ドルと言われている彼女達の新曲で、公開前から話題になっていましたよね。MVに出てくる6人目について。
新メンバー加入か?などと言われていた6人目について、歌詞やMVから考察班によって導き出された答えがは6人目の少女=ファンということ。
6人目の少女が撮影するカメラに映るメンバー5人の映像はファンの見ている景色で、少女の生きる現実には存在しないものである。だから、カメラを壊して(アイドルを追いかけることをやめて)現実を生きるようになったら、メンバー5人と6人目の少女は無関係になる。
しかし、6人目の少女がメンバー5人を撮影している限りは5人のメンバーもこちらを見てくれるし、落ち込んでいる時には励ましもしてくれる。(ファンがアイドルを追いかけている限り、アイドルはファンに向けて活動を発信してくれるし、その活動を通してファンはアイドルからパワーをもらう場面があることを比喩している)
そして、カメラを壊したあとの彼女と5人のメンバー達は無関係だとしても、カメラが捉えていた映像(ファンがアイドルを応援していた頃見ていた景色、思い出)は、彼女が過去を振り返ったときに当時の彼女の側に鮮明に存在しているのだ。
というようなファンダムの考察になるほど…と腑に落ちた。考察調べる前にMV見たけど、なんか雰囲気不穏で心がざわめくなと思うくらいだったので本当にありがたいです考察班。
で、上記の考察がビンゴなんだとしたら、このチームはなんて残酷な紛れもない事実をオタクに突きつけてくるんだ!と。ましてやアイドルを手段に使って。
アイドルとファンの関係は双方向で成り立っているものだと思う。ファンはアイドルに向けて応援の声を送り、その声に応える姿をアイドルは見せてくれるから。ただし、アイドルとファンはいつだって対等になれない。アイドルがこちらに向けてくれる親愛の気持ちや感謝はファンダム全体を対象にしているのであり、1人のファン個人のために発信されたものではない。ファン個人はファンダムという大きな塊を構成する1人でしかなく、ファンがアイドルに向けている気持ちが1だとしたら、アイドルから返ってくるのは何百万分の1。たとえ気持ちの種類が一緒でも、同じ質量になることは一生ない。特別に思う相手の特別に自分はなれないこと、自分の人生にアイドルの存在が深く影響することはあってもそのアイドルに自分の存在が直接交わることはない現実。
そんな、頭では分かっているけど虚しくなるから普段直視したくなくて封じ込めてる感情が引き摺り出される感覚がして、聴いてるとちょっと苦しい。加えて、自分も過去を思い返すとその時その時に当時追いかけてた推しに関する記憶が色濃く残ってて6人目の彼女と同じような経験があるから、実体験としての共感性と懐かしさもある。でも自分の推し達が私の人生にしっかり食い込んでて切っても切り離せない存在であると同時に、彼らの人生に私は全く作用していない現実を自覚しまたちょっと虚しい。
この複雑な心境が今回ミンヒジンの作りたかったエモさってやつなのでしょうか…
てかそもそもdittoって聞きなれない言葉だけどどういう意味?と思ってmvを見たあとに検索してみた。以下マイナビニュースより引用。
"「Ditto(ディト)」は相手の言ったことを受けて、「私も同じく」と言いたいときに使う口語表現です。少し古いですが、日本でも大ヒットしたアメリカ映画「ゴースト」で、「I love you.」という彼女に主人公がいつも「Ditto.」と答えていたので、彼女が不満に思っていたのを覚えているでしょうか。"
文脈的にこのゴーストで使われる「Ditto」は言葉自体だと私と同じ、という意味でありながら、きっと彼女の言う「I love you.」と同じものではないんでしょうね。彼女は「I love you.」に対して「Ditto.」で返されることに、自分が恋人に向ける愛情より相手の愛情を軽く感じて不満に思ってるんだと思うから。
ゴーストの文脈が意識されているかは分かりませんが、この曲で使われるdittoも同じことなのかなと思いました。ファンが1人のアイドルに向ける愛の重さとアイドルがファンダムに向けて言う「愛してる」は質量が違うから。
かれこれ半世紀以上推しがいる人生を歩んできた自分としてはなんだか他人事ではない感情にさせられます。
それにしても、アイドルとオタクは少なくとも同じ大きさの気持ちで繋がることはできないんだってことを突き付ける歌をアイドルに歌わせるミンヒジン…なんて恐ろしい人……