Twitterという140文字で自分の気持ちを収めることが出来ないから、ここに綴ります。 私には特別得意なことなんて何一つない。特技は何ですか?と言われたら困る。だってお絵描きも歌も占いも顔も全部中途半端なんだもん。 昔、ネットの人に顔を見せたら「中の上だね」と言われた。言われた時は「人の顔を見てそんな事言うなんてなんて失礼な人」と思ったけど、今思えば私ってなんでも上までいくには至らない中の上止まりな人間なんだなってことに気が付いた。 中学の時は友達にたくさん「顔が可愛
自傷行為の代わりです。 私は鬱病で自傷行為を繰り返していました。 してたのはアームカットとODです。 アームカットは、私が精神病院に入院してた時、主治医と母親に「もうしない」と約束して退院しました。 それから日が経ったある日、私は母親と大喧嘩して自室にこもり、カッとなった勢いで何度も何度もカッターで自分の腕を切りました。お前のせいだ!後悔しろ!と思いながら。 そしたら突然母親が私の部屋に入ってきて、血だらけの腕を目の当たりにして泣き出しました。ビックリしました。困らせよう
2回目のスタジオ練習の日がやって来た。 1回目のスタジオ練習は、私は用事で行けなかったので、私がいない間にYちゃんとMちゃんが仲良くなって、2:2:1になるのはごめんだった。 私が1番先にスタジオに着いて、皆を待っていたら、Yちゃんがやって来た。その次に2人組の1人、Aちゃんがやって来た。私がAちゃんに向かって手を振ると、Aちゃん反応無し。Yちゃんには話しかけていたが、私は何も話しかけられなかった。Aちゃんは私に対してだけ対応が冷たい気がする。私が1番年上だからか?とはい
今年の1月。運営さんから連絡があり、運営さんと地下アイドルメンバーの皆で会う事になった。 LINEグループに招待され、「どんな子がいるんだろう」と、トプ画とヘッダーを1人1人見ていく。プリクラをトプ画にしている子は皆、私より何倍も可愛かった。ちなみに、その時の私のトプ画は、いらすとや。アイドル感が無くてウケる。 待ち合わせ場所のカフェに向かう途中で、運営さんに会ったので、一緒に店内に入った。すると、 「あれ、Yちゃんじゃない?」 と運営さん。Yちゃんと呼ばれる女の子が
去年の12月。私は承認欲求に飢えていた。 何をしていてもずっと「どうすれば承認欲求が満たされるのか」と考え、ツイッターに自撮りや絵を載せたりして、承認欲求を満たそうとしたが、満たされたという感じが全くしなかった。 褒められてすぐは嬉しいのだが、「でももっと可愛くて、絵が上手い子は他に沢山いる」「一番じゃなきゃ意味が無い」と思っていたから。今思えば、自分が一番自分の事を認めてあげられていないのに、他者から認められようとしても、承認欲求は満たされないんだと思う。 当時の私は
私の知り合いに、よく過呼吸になったり、倒れたりするような、体の弱い人がいる。 中学の時の同級生にも、喘息持ちで何度か入院していた、体の弱い人がいた。保健室の先生は、その人が体が弱いのを知っているので、その人が早退したいが為に、嘘で「体調が悪いので早退します」と言うと、すぐOKされた。 体の弱い人が羨ましいな、と思った。 私は、最後に風邪をいつ引いたか覚えてないくらい引いてないし、貧血で倒れた事は一度も無いし、インフルエンザに一度もかかった事がないくらい体が強い。しかし、
当時は気付かなかっただけで、私は中学1年の時から、恋愛依存症だったのだと思う。 恋愛依存症の特徴といえば、熱しやすく冷めやすい。恋人が途切れない。人に愛されている時だけ自分の存在価値があると思う。見捨てられるのが怖い。自分より相手のことを優先させてしまう。恋に恋している。といったところだろうか。 中学1年の時に初めて彼氏ができてから今までの6年間。約20人の男の子と付き合ってきた。3日で別れた子もいれば、1年半続いた子もいるが、交際期間の平均は1ヶ月か2ヶ月くらいだと思う
鬱病になって、約1年半が経った頃。 私はパパ活を始めた。 何故パパ活を始めたのかというと、整形費用のお金が欲しかったからという理由の他に、興味本位。バイトと違って辞めたいと思えばすぐに辞めれる。食事をするだけでお金が稼げる。というのがあった。 早速、Twitterでパパ活用アカウントを作って、私のパパになってくれる人を募集する。 思ったより、沢山の人からメッセージが来た。 メッセージのやり取りをしながら、良いパパになってくれそうな人を選んでいく。 当時、私の髪の毛
小学生の時は、1度も不登校になりませんでした。学校は休んではいけないところだと思ってたから。今よりもっと家庭環境がクソで、いじめられてたのに不登校にならないなんて、尊敬します。まあそのせいで病気になっちゃうんですけどね。 〜中学の場合〜 中学は2回、不登校になりました。 1回目は中学2年の時だったかな?3年になりたての時だったかもしれない。学校の友達が大好きでした。大好きだったからこそ嫌われるのが怖くて、自分からなかなか話しかけられず、あっちから話しかけられても、上手く
という言葉が私は大っ嫌いです。 母親はこの2つの言葉をよく使う人でした。 私が遠距離の彼氏のところへ遊びに行こうとすると、「普通、男の人がこっちに来るもの」と言い、 私が彼氏と割り勘でご飯を食べると、「普通、お金は全部男の人が払う」と言い、 私が「子どもは欲しくない」と言うと、「普通、子どもは産む」と言い、 私が反抗期の時に、母親に反抗ばっかしていると、「子どもが親に親孝行するのは当たり前」と言い、 そう言われる度に私は思いました。 普通、当たり前って一体なんな
高校生になって初めての夏。 高校生になったら、中学生の時からハマっているネットを辞めて、リアルを大切にすると決めていたのですが、学校での人間関係が思うようにいかなくなり、リアルから逃げるようにネットを始めました。 中学生の時から恋愛依存症だった私は、数打ちゃ当たる戦法で、スカイプちゃんねるにいる男性に沢山コンタクトを送っていました。 ※スカイプちゃんねるとは、Skypeによる交流を目的とした電子掲示板のことである。 いつものように、スカイプちゃんねるの男性にコンタクト
母親と父親が離婚する前、2人はよく私の目の前で喧嘩していました。父親が「子どもの前で喧嘩するのはやめよう」と言っておきながらやめないので、私が「うるさい!」と大きな声で言ったらやめてくれるかなと思って言うと、私がお兄ちゃんに「うるさい」と言われる始末。 そんな日が続いたある日のこと。お腹が気持ち悪くて、学校を何度も休むようになります。大っ嫌いな学校に行かなくて済むのが嬉しかったです。 何日経っても良くならないので、大きな病院に行って、妊娠した時にお腹の中を見るような機械(
私は小学4年生だった。 喧嘩ばかりしていた母親と父親が離婚した。母親の口から初めて「離婚」という言葉を聞いた時は、本当に頭が真っ白になって、夢を見ているようだった。 母親とお兄ちゃんと私の3人で、一緒に住むことになった。小学校で私のことをいじめてくる女の子と同じマンションに。いじめっ子と同じマンションに住んだら登校班が同じになって、嫌がらせを受ける機会が増えるから、「あそこのマンションは嫌だ」と言ったが、「メンタルが弱いのがいけない」と言われ、聞き入れてもらえなかった。