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ファッションが可視化する"テイカー"気質〜"ギブ"の循環システムによるサステナブル・ファッション/ライフ/キャピタリズムを目指して〜

「着る服を選ぶこと」は、
身近で手軽な日常的選択行為でありながら、「自己表現」が強制的に起こる特殊な選択行為です。

なぜなら「自己表現しない」という無意識の選択でさえ強制的にアウトプットされて「自己表現」の一環になるからです。

つまり服を着なければならない限り、その人の「本質的な選択の優先事項」は常に可視化された状態と言えます。

もちろん、"スーツをどう選ぶか"や、"スーツを着る仕事を選ぶかどうか自体"でさえその一環です。

例えばもし、
あなたの服選びが「経済合理性」の中に"しか"ないのだとしたら、
あなたの人生という選択の連続のほとんどが、「経済合理性」の中にある可能性が高いです。
そんな「メリット/デメリットの世界観」中心で生きていくのならば、
残酷な競争社会(経済合理性)から目を背けるために「感情に逃げる」のは"筋違い"になります。

逆にもし、
あなたの服選びが「経済合理性」の外に"しか"ないのだとしたら、
あなたの人生という選択の連続のほとんどが、「経済合理性」の外にある可能性が高いです。
そんな「好き/嫌いの世界観」中心で生きていくのならば、
本当の理想(好きと言う感情)から目を背けるために「経済に逃げる」のは"筋違い"になります。

これらの筋を通さずに、
ただ自分に都合の良い手札の出し方だけを覚えた人たちは潜在的に「テイカー」気質なのです。
誰かの「ギブ」を搾取して寄せ集めた結果、
都合良く「経済と感情のバランス」が取れてしまっているだけです。

もしここまでの説明で未だ、
「服」と「本質的な選択の優先事項」が結び付いていることにピンときていない人がいたら、
それこそが典型的な「テイカー」気質です。

なぜなら、人生の美意識が"選択のディテール"にまで行き届いていないことは、「ギブ」の余裕がないことの裏返しだからです。
その"選択のディテール"の1ページ目こそが「着る服を選ぶこと」なのです。

それの最たる例として、
「好き/嫌いの感情」を大切にしたいけど、「経済に逃げる」ような「テイカー」はTemuやSHEINを平気で使うでしょう。
そうやって人権・知的財産権無視の生産背景から無意識に「テイク」を繰り返すような人が本質的に「ギブ」できるわけがありません。

そういう選択の美意識が、
ここでいう"筋を通す"ということなのです。

しかしそもそも、
全ての選択を一貫させられる人なんてほとんどいません。
一部の振り切った天才だけです。

だからこそ皆、
まずは「相互に依存し合っている」
という自覚が必要であり、
自分の「テイク(恩恵)」と「ギブ(生産性)」くらい説明できなければなりません。

つまりそれは「バランス」を考えるという「マッチャー」の視点であり、
その上に「テイク」より「ギブ」が"絶対的に"上回っている状態をつくることでようやく「ギバー」になるのです。
そしてそれが当たり前になってしまえば、もはや「テイク」や「ギブ」を数えることさえしなくなります。

しかし、ほとんどの人が自分の「テイク」を"過小"に「ギブ」を"過大"に評価するので、結果的に「テイカー」止まりになってしまい、チームや夫婦関係の崩壊、社会の極端な二極化構造などを生んでしまうのです。

例えば、
国から享受している"社会保障やインフラ"という「テイク」に対して、いくらくらい"納税"することが国を維持する上での「ギブ」になり得るのか。
文化から享受している"精神的豊かさ"という「テイク」に対して、どれくらい"応援"することが文化を維持する上での「ギブ」になり得るのか。

そういう規模感で当たり前のように「バランス」を自責して「ギブ」を増やすのです。

そうすることで初めて「ギブ」の循環が起こり、
「永続性」「普遍性」といった最も尊い概念が生まれます。

そして、
そもそも「バランス」とは「システム」であり、
ある形に均衡を保ち成立させることです。
分かりやすい例だと会社や家族などもそうです。

また、
「システム」とは「接続機能」であり、
何かと何かを接続し続けることです。

つまりこの「何と何を"どう接続する"のか」
という「接続機能」についての思慮を深めていくことで、自分の人生に最適な「バランス」も見つけることができます。
「バランス」を見つけさえすれば、あとは自分の得意なことや頑張れることで「ギブ」を少しずつ積み上げていけばいいのです。

逆に「システム」や「接続機能」を認識した上で「ギバー」と言い切れるまでは、
文句や愚痴を垂れる"筋合いすらない"のです。

では、何からどうやって、
「システム」や「接続機能」と向き合っていけば良いのでしょうか。

繰り返しになりますが、
僕はそのきっかけこそが「ファッション」であれば良いと心から思います。

「ファッション」とは、
「お金と感情」「デザインとアート」「時代文脈と現在」「イデオロギーと個人」などなど、
一見矛盾しそうなあらゆるものを接続して成立させる万能な「抽象概念」です。

こんなにも打って付けで、楽しい媒体は他にありません。

このようなざっくりした「システム」=「接続機能」をしっかりと説明できるレベルの「抽象概念」をもし見つけることができれば、
それはあらゆるものに応用できる「普遍性」を持っているはずです。

起業家やトップアーティストのような具体化の天才たちが挙って東洋思想やアート、哲学などの「抽象概念」に触れるのも、
このような「システム」=「接続機能」についての思慮が深いからです。

以上をまとめると、

まずは"皆が相互に依存し合っている"ことを自覚し、
せめて自分が少しでも多く与える側=「ギバー」になる意識を持つべき。

そのために、
自分の生産性=「ギブ」や恩恵=「テイク」もしっかりと認識する必要があり、
それが「バランス」の把握に繋がる。

そして「バランス」→「システム」→「接続機能」→「抽象概念」に落とし込むことができ、
この「抽象概念」を更新し続ける事で、「バランス」の中に自分の「ギブ」を増やせることが徐々に見えてくる。

この試行錯誤によって、
自分の関わる個人、共同体との間に「ギブ」の好循環が生まれ、
自分の人生や社会全体がより良い方向に進んでいく。

これらの自覚のきっかけと、抽象概念の更新においての切り口を「ファッション」にしてみるのはどうか。

という話です。

最後に、
僕はファッションに関わるものとして、
「何と何を"どう接続する"のか」
を追求し続けていくので、
それを皆さんと共有しながらファッションを楽しめると嬉しいです。

残酷な競争社会の中で感情を言い訳にしたくなる時や、
本当の理想の中でお金を言い訳にしたくなる時、
きっと誰にでもあります。

だからこそ毎日着る服を意識することによって、
まずはざっくり、
"自分の感情の機微を大切に扱う習慣"と、
"お金と感情のトレードオフを考える習慣"を身につけ、
徐々に「バランス」を更新していけたら良いと思います。

もし自分のワードローブの経済合理性とユニークな感情のバランスが取れていれば、それは社会や個人との関わり方のバランスにそのまま通じると思います。

この考え方に触れれば、
SNSでよく目にする"本物のお金持ちはブランドものよりもユニクロを着る"みたいなレベル感のファッション行動経済学や、
欧米憧憬に侵されたおじさんたちの編集したファッション感情論などは常に不毛だと分かるはずです。

僕はこれからも関わる皆さんと、
ファッションを、そして人生を、
常に最善の「バランス」の上で好循環させていくことを目指します。

それこそが僕の理想とするサステナブル・ファッション/ライフであり、
もっと大きく括るとサステナブル・キャピタリズムへの挑戦の一助とも言えるのです。

ご意見やご指摘、共感等あればいつでも気軽に投げてかけてくださると幸いです。

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