週刊オールライター第34号 「6月のまとめ特別編『帯状疱疹と私』」
こんにちは。先日の予告通り、帯状疱疹に苦しめられていましたが、今週月曜に自宅待機が解除されまして火曜から大学通学を再開できたHISASHINJOです。
今回は6月最後の配信ということで「月のまとめ記事」をお送りする予定ではありましたが、今回は今月私に起きた重大ニュース「帯状疱疹への罹患」と今言いたいことを記事とする特別編をお送りします。
1. 今回私がなった帯状疱疹
今回私が罹患した帯状疱疹は通常(通常と言うのも語弊があるが)のものとは違うものです。それは、「汎発性(はんはつせい)帯状疱疹」という重度の高い帯状疱疹です。
帯状疱疹は本来体の一部、つまり左腿だけだったりお腹の右側だけだったりと、文字通り体の一部分に帯状に水ぶくれを伴う発疹が出るものですが、汎発性帯状疱疹は全身に発疹が発生するものです。その発症率は私が行った皮膚科の先生曰く、5%〜10%程だそうで珍しいそうです。
2. ことの発端
帯状疱疹の症状が発覚したのは2週間前の火曜か水曜あたりだったと思います。私はその週の日曜日に川崎市某所にてイベントのアルバイトをしていました。その際、テントを支える錘を何度も運んだので腰のあたりを痛めました。その結果翌日には想定通り、筋肉痛を発症しました。この時痛かったのは背中と左腿でしたが、本当の筋肉痛だったのは背中だけです。翌日になっても左腿の痛みが引かないなと思っていたら、なんと左腿に大きな水ぶくれが発生していたのです。次の日になっても左腿の痛みと水ぶくれがまだあったので、とりあえず軟膏を塗って寝たのですが、金曜にとんでもない状態に発展。なんと、左腿以外にも左脛にも大きな水ぶくれが発生したばかりか、反対側の脚や両腕、両手、さらには顔面にまで発疹が発生してしまいました。金・土曜日の授業を挟んで日曜日に自宅近くの皮膚科を受診した結果、そこの先生から
「汎発性帯状疱疹ですね。ここまで酷いのは久しぶりに見ました。紹介状書くから明日△×総合病院に行ってまた診てもらってください。」
と診断が下されました。
そして翌日、大学を休んで紹介してもらった総合病院で診察した結果、やはり汎発性帯状疱疹と診断が下されました。
帯状疱疹は、体の中に潜伏している水疱瘡ウイルスが体力の低下やストレス・疲労のため過ぎ、老齢など様々な要因が絡んだことで再活動することにより発生する病気です。そのため免疫力の低下はもちろんのこと、念のためHIV検査もする必要があるということで、隔離された場所で血液検査をすることになったのですが、これがとんでもない事件を招きました。
血液検査は、献血と同様に利き腕と反対側の腕をゴムで縛り、浮き出た静脈に針を刺して血液を採取する方法が一般的です。しかし私は運の悪いことに、静脈が体の深い位置に通っている体質であったため、左腕を縛っても静脈が出て来ず、右腕を縛ってもやはり静脈は出てきませんでした。高1の頃、献血に協力するために同じ方法を行った際、スタッフから
「あなた、静脈が深い位置にある人なんですね。今日使う針は太いもので色々とトラブル起こす懸念があるので申し訳ないですけど採血できないです」
と、献血する寸前で門前払いを食らったことがあり、この時協力のお礼の品だった乃木坂46のクリアファイルが貰えず悔しかった思い出があり、その頃の記憶がこの瞬間に蘇りました。
このとき担当した30代後半くらいの女性看護師は、右腕に針を刺して採血を試みましたが、思ったほど血は採れず、
「人を変えますからその場でお待ちください」
と部屋を出て行きました。そしてやってきた大ベテランのおばちゃん、という感じの看護師は、私の体質を確認した上で、なんと右手の甲に針を刺して採血しました。私はかなりのビビりで少しの痛みでさえ驚く人間のため、かなり長い時間痛みに苦しんだような感じがしました。これでやっと終わったかと思いましたが、悲劇は続きました。
なんと、その際採血した血が検査中に固まってしまったため、採血のやり直しをするハメになりました。そして今度は左手の甲に針が刺され、まさに全身ボロボロに。左腿と左脛の水ぶくれと痛みに加えて全身にできた発疹、さらに右腕と両手の甲に針を刺されたことで、体をボロボロにされたような状態になってしまいました。
そうして検査してもらった結果は特に免疫力の異常は見られなかったため点滴はせず、1週間分の処方箋がなされ1週間の自宅待機命令が下されました。そして各方面(大学の先生やバイト先など)にお詫びの電話・メール行脚をしました。
3. 1週間何をしたか
1週間は暇でした。大学からの課題や私が大学内で参加しているプロジェクトの宿題を片付けてもまだ暇でした。痛みでスマホゲームをやるモチベーションも上がりませんでした。久しぶりに3DSをやってみてもすぐに飽きました。本当にやることがなかったです。
4. 1週間後、診察の結果
そして19日月曜日、再び総合病院で診察してもらった結果、瘡蓋化が大きく進行していること、痛みが落ち着き始めていること、新たな水ぶくれが発生していないことが確認され、自宅待機は解除されました。現在は残る帯状疱疹後神経痛と思われる左腿の痛みが引くかどうかの段階です。現在は主に痛み止めの飲み薬が2週間処方されたので、それが続いている状況です。現時点(この記事が配信された6月24日現在)では、痛みはほとんど引きましたが、逆に痒みが襲ってきました。瘡蓋が治る段階で皮膚に何かしらの刺激が加わり、痒みが生まれてしまったのでしょうか。
5. 今言いたいこと
ここで私が言いたいことを書きます。それは
「水ぶくれができたらすぐに病院に行け」
です。
私の場合は時間が経ってから行ったこともあってここまで重症化したと思います。これを放置しておくと、初めて発症した部位が仮に瘡蓋化が進行しても痛みが残ります。いわゆる「帯状疱疹後神経痛」です。長い期間ウイルスが活動しているために神経系が傷つき、痛みを感じる信号が壊れてその信号からの命令が出続ける状態になります。私自身のこの状況になりかけました。初診断時から合わせて3週間痛み止めとビタミン剤の処方でなんとかなりましたが、洒落になりません。今でも反省しているポイントはそこです。
むすびにかえて
いかがでしたか?今回は私が罹患した「汎発性帯状疱疹」について取り上げました。本来であれば6月に起きたニュースを取り上げる予定が、このようなニュースを取り上げる状況になってしまったことは、私の普段の生活態度が悪かったことも起因しています。もう少しストレスフリーな環境を作ろうと思います。
次回の配信は7/1です。はじめての試みとして
「3部構成の記事」として「私が幼少期に影響を受けた機関車たち」をお届けします。
第1回の次回は「C58形蒸気機関車」です。お楽しみに。