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週刊オールライター第64号 「Best birthday of my life‼︎」

私は1月14日で21歳になりました。この日、私は誕生日記念に「趣味」を思いっきり楽しみましたが、人生最高の誕生日になりました。
今回は1月14日の出来事をお送りします。


1. 遅い初詣と推しの写真の前で食べたラーメン 池袋〜明治神宮前〜乃木坂

まずは、湘南新宿ラインの特別快速で池袋に出ました。

湘南新宿ライン特別快速。

定期券を使って少しでも費用を浮かせるため、湘南新宿ラインで池袋に出ました。池袋からは副都心線と千代田線を乗り継いで乃木坂に向かいました。

東急東横・新横浜線、相鉄直通の湘南台行き。
JR車両の綾瀬駅止まり。

乃木坂へ来た目的は、乃木神社への初詣・誕生日参りとこの近くにあるラーメン店「まる彦」に行くためです。
どちらも、乃木坂46ファンの間で「聖地」と呼ばれています。

まずは乃木神社に行きました。
乃木神社は20歳になったメンバーが成人式を行う場所です。また、グループ名の由来となった「乃木坂」という坂の名前は、日露戦争で活躍した陸軍大将・乃木希典を祀る乃木神社から取られていて、大学で近現代史を専攻する者としても外せないスポットです。

乃木坂駅では、ファンの有志が乃木坂メンバーの誕生日祝いなどの記念ポスターを掲示しているほか、公式がCDの宣伝ポスターを掲示することもあります。
これは、4期生の一ノ瀬美空さんの成人と、キャプテンの梅澤美波さんの誕生日を祝うポスター。
こちらは、4期生の田村真佑さんの誕生日と林瑠奈さんの成人を祝うポスター。
こちらも田村真佑さんの誕生日を祝うポスター。
別の有志が同じメンバーの記念日を祝うポスターを出すこともあります。
乃木神社から名付けられた坂道「乃木坂」。
乃木神社の鳥居。
こちらは、旧乃木邸です。
明治天皇大喪の礼当日に静子夫人とこの邸宅で後追い自刃を遂げたことでも知られます。

お賽銭は50円。金額には特に意味はありません。
今年1年の私の安全を祈りました。

そしてお昼を食べるため、「まる彦」に行きました。
まる彦は、元々メンバーだった衛藤美彩さんがおすすめのお店としてよく来ていた縁から多くのファンが訪れるようになった結果、聖地と化したお店です。
今回はある目的があって来ました。それは
「殿堂入りの推しの写真とラーメンの写真を撮る」
「誕生日サービスを受ける」
です。

まる彦の入り口。

このお店は、誕生日がわかるもの(免許証、学生証など)を持参すれば誕生日サービスとして、店で提供している「乃木坂サワー(アルコールまたはノンアルコール)」「真夏サワー(アルコールまたはノンアルコール)」を無料で飲むことができます。

ここのお店では、CDについてくるメンバーの写真を持って行ってラーメンの写真と一緒に収めるという行為がよく見られます。私も推しの写真と収めたいと思っていましたが、これまでまる彦に来た時は元々予定にはなかったけど近くまで来ているのだからそこでラーメンを食べに行く予定を立てたことが多かったので今まで写真持ち込みはありませんでした。今回はそれが実現しました。持ち込んだ写真は私の殿堂入りの推し、現ポコチャライバーの斉藤優里さん(ゆったん)です。

殿堂入りの推し、ゆったんの写真と肉味噌ラーメン。
奥の飲み物が乃木坂サワー(ノンアルコールカクテルサワー)です。
私はここに来た際は必ず肉味噌ラーメンを食べています。

サービスのサワーが提供された際には店員さんから温かい祝福の言葉をいただきました。
お会計の際に店長さんから
「バースデーライブとか行けたらいいですね」
と言われ、
「いやぁ〜行きたいんですけど今年就活生なんで難しいっすね・・・」
などと軽く会話できました。
前回訪問時の「悲劇」から一転、今回は楽しく過ごせました。
(この「悲劇」に関しては以下の過去記事をご覧ください。)

2. 新車に初乗車 乃木坂〜登戸〜尻手〜浜川崎〜鶴見〜品川〜渋谷〜外苑前

お腹を満たした後は乗り鉄をしました。
乃木坂駅から千代田線に乗車し、代々木上原に向かいました。

東京メトロ千代田線16000系。

代々木上原で、新宿から来た小田急の快速急行に乗り換えて登戸に向かいました。

小田急新5000形。
前面の顔が特急車両みたいで個人的には好きなデザインです。

登戸駅はJR南武線との乗り換え駅です。南武線に乗り換えて尻手に向かいました。

南武線車両の先頭車にラッピングされた街のイラスト。

尻手からは南武支線に乗ります。目的は、新潟から転属してきたE127系0番台に乗るためです。

E127系0番台。
南武支線を走るE127系は、信越本線上越妙高〜直江津を引き継いだ第三セクター「えちごトキめき鉄道」に譲渡されずJRに残留したグループで、その後E129系に置き換えられて南武支線へ転勤しました。

終点の浜川崎で鶴見線に乗り換えます。本来であれば、今年3月に引退する205系に乗りたかったのですが、この日は朝しか運用がなかったらしく、新型車両のE131系1000番台しか乗れませんでした。ですが、205系が引退した次の日から鶴見線は全列車がワンマン運転になるため、ワンマン表記のないE131系、つまり車掌が乗るE131系に乗れる期間は今しかないので、貴重な時間を過ごすことができました。

鶴見線の新型車両E131系1000番台。
鶴見線でこの車両に車掌が乗り込む期間は今年3月までなので、こちらも是非お早めに記録しましょう。
安善駅の貨物ヤードにいるタンク車。
「JP-8」のマークがついているこの車両は、安善〜拝島を走る在日米軍横田基地へのジェット燃料輸送専用の貨車となっています。

鶴見線は線路がクネクネしていたり、ポイント(転轍機)がたくさんあったりする関係からか、全体的にゆっくり走ります。
終点の鶴見までローカル線の旅を楽しみました。

そして鶴見駅で京浜東北線に乗り換えようとホームに降りたら、まさかの光景を見てしまったのです!

回送としてやってきた185系。

なんと、185系を見たのです!今となっては数を大きく減らした貴重な存在ですから嬉しかったです。この日は横浜〜伊東で団体臨時列車が走っており、私が見たのはその返却回送でした。

鶴見駅構内で乗務員を交代し大宮方面へ走り出す185系。
昔は自宅最寄路線でも運用を持っていたので当たり前のように見ていた車両でしたが、今となっては会えたらラッキーな車両になってしまい、寂しい限りです。

鶴見からは京浜東北線で品川へ向かい、品川からは山手線で渋谷に行きました。

京浜東北線。

渋谷からは銀座線に乗り、この日の最大の目的地、外苑前に向かいました。
そしてこの後、人生で最も楽しい時間が幕を開けます・・・。

銀座線。

3. 恩人との再会と懇親会での出会い 「恋する!たび鉄部」で過ごした最高の夜

外苑前駅から少し歩いて、とある小さなライブハウスにつきました。
ここのライブハウスで行われたのは、「恋する!たび鉄部」というトークイベントでした。このイベントは私が昨年お世話になった鉄道ライター・栗原景さんが出演するもので、昨年12月に今回の開催が発表された際に誕生日だしせっかくだから行ってみようかという流れになり、出かけたのです。
(この際に栗原さんへ行く旨は伝えました。)
このイベントは「部活」に見立てて「役職」が存在し、栗原さんは「副部長代理補佐」という立場だそうです(笑)。「部長」は2009年までタレントとして活動した後、現在は文化人として様々なイベントに出演している「ママ鉄」の豊岡真澄さん、「副部長」は鉄道にまつわる曲を作っているシンガーソングライターのオオゼキタクさんです。

メロンソーダとステージ。
たび鉄部「部員」。
左からオオゼキタクさん、豊岡真澄さん、栗原さん

この日は、オオゼキさん、豊岡さん、栗原さんが秋から年末まで何をしたのかという報告から始まり、ゲストを迎えてのトークショー、オオゼキさんのミニライブなど内容は盛りだくさんでした。

今回の出演者一同。
左からオオゼキさん、山崎友也さん(鉄道写真家)、始発ちゃん(イラストレーター)、高橋茉琴さん(俳優)、岩瀬聡志さん(キーボード奏者)、飯島学さん(京浜急行電鉄の日本民鉄協会出向職員・妄想鉄道会社『飯中急行電鉄』総務部)、豊岡さん、栗原さん。
なお、始発ちゃんは顔出しができないため、今回の記事作成にあたり栗原さんに使用可能な写真の確認を行った上で掲載しています。

イベントが終了し、懇親会に突入するとまさかのサプライズが。オオゼキさんが乾杯の音頭を栗原さんに頼むと、栗原さんは私を壇上に上げたのです!
私の誕生日も祝ってくれたのです。
そして壇上のオオゼキさん、栗原さん、私の3人で
「乾杯!」
と言いました。

下に降りてジュースを一口飲んでいると、ある女性に
「もしかして、YouTubeとラジオ(TOUCH THE DREAM)に出た人?」
と話しかけられました。彼女の正体を知って仰天。なんと、栗原さんの奥様でした!
気がついたら私は奥様とかなり話しこんでいました。私が栗原さんを知ったきっかけを話すと、奥様も同じだったらしく
「そうそう!」
という感じで返されました。私が「栗原景」という鉄道ライターがいることを知ったきっかけは、2009年9月15日放送のテレビ朝日系「タモリ倶楽部」でした。当時私は小学1年生。深夜番組をリアルタイム視聴できない世代だったので、鉄道の話をやると知った親が録画してくれたのを見ていました。
この放送では、東海道新幹線の車内から見える不思議な建造物や看板などに焦点を当て、それを栗原さんが解説したり、進行役のフットボールアワー・後藤輝基さんが電話取材したりして、謎を解明していくというものでした。
これを見て、私は「鉄道ライター(正確に言うと栗原さんは『フォトライター』です)という人」がいるんだな、と当時6歳ながらに感じていました。今思えば、まさかこの14年後にテレビの向こう側で知った方に出会って取材同行までさせてもらえるなんて、全く予想できませんでした。本当に、人生は何が起こるか分かりません。今改めて考えても、そう感じてなりません。

奥様と2人で話していると、旦那様(栗原さん)から「今日こんな人来てるよ」と紹介されてさらに驚きました。その方は、漫画「(初代)鉄子の旅」の初代編集者を務めたのち、週刊少年サンデーの担当を経て、月刊サンデーGX(ジェネックス)の3代目編集長を務めていた石川昌彦さんでした!
石川さんは週刊少年サンデーの編集者だった頃、「うる星やつら」「らんま1/2」「犬夜叉」「めぞん一刻」などの名作を生み出した漫画家・高橋留美子氏の元で仕事をしていたとかしてなかったとか・・・(「初代鉄子の旅」第43旅によると)。
まさか、「漫画の向こう側」の人にも会えるなんて・・・。
石川さんは「イシカワさん」という表記で「(初代)鉄子の旅」のレギュラーとして登場し、トラベルライターの横見浩彦氏と共に、作者の菊池直恵氏を毎回振り回す立場でした。私はこの漫画をほぼ全て(7巻にあたる「プラス」を除くレギュラー回の1巻〜6巻まで全48話)持っています。とても面白い漫画です。
この配信の創刊号で「リベンジ大回り」の模様を配信した際に書いているのですが、この「大回り」という乗り鉄方法を知ったのは小6の頃にBOOKOFFでたまたま購入した鉄子の旅第1巻の第2旅に収録されていて影響を受けたからです。これを実践したい気持ちが抑えられず、中2の夏休みに実行しましたが失敗したので大学1年から2年に上がる冬・春休みにリベンジした、というほど影響力があります。

該当する記事はこちら。

話が脱線気味なので元に戻しますが、私はこの懇親会が始まる前まで栗原さんとしか繋がりがない状況でしたが、会場にいた方からXのフォローをもらったり(石川さんからもいただきました!)、お祝いの言葉をかけてもらったりなど、多くの方と交流することができました。
人間として・社会人としての成長を大きく実感することができたので、タイトルの通り、人生で最も楽しかった誕生日になったというわけです。

4. 帰宅

やがて飲み物のラストオーダーの時間となり、明日も朝が早いだけでなく(事実、大学図書館で課題処理をするため翌日は07:00起きしました)、上野東京ラインの最終の時間も心配になったので、ここで帰ることにしました。
結果的にこの判断は正解でした。※東京駅以南を発車する上野東京ラインの最終が新橋駅を発車する時間に間に合ったからです。
※上野東京ラインの最終電車は東京発。

夜の外苑前交差点。
夜の街もオツなものです。

栗原さんの奥様に
「じゃあね〜」
とお見送りしてもらった私は車通りの少ない外苑前交差点を横目に私は地下に吸い込まれ、再び銀座線に乗車して新橋に向かいました。

銀座線。

新橋からは上野東京ラインで帰りました。

品川からの最終勝田行き。
東海道線からの籠原行き最終。

そして家に帰り、昨日行ったコストコのハイローラーと祖母から贈られた誕生日ケーキを食べました。

むすびにかえて

いかがでしたか。今回は1月14日の私についてお届けしました。人生で最も楽しかっただけでなく、大きな社会勉強をさせてもらったので、充実した1日でした。
最後に、このような素敵な会を開催してくださった栗原景さん・オオゼキタクさん・豊岡真澄さん、懇親会で話しかけてくれた栗原さんの奥様や石川さん含めた方々、このコミュニティがきっかけでフォローをいただいた全ての方々、この場を借りて御礼を申し上げます。次回はおそらく8月開催ということですので、参加したいと思っています。

次回の配信は27日ですが、お知らせです。
本来、月末は「月のまとめ」と題してその月に起きたニュースを振り返る特集をお送りしていますが、今月は正月早々どころか今月前半の間心を痛める出来事が立て続けに起き、それに加えて話の筋道を論者自身が潰している無駄な論争、誹謗中傷が散見するようになり、何の関係もないのに私自身も傷ついて疲れてしまい、今月の「月のまとめ」は暗い記事しか書けないと危機感を覚えたため「月のまとめ」を中止し、通常通りの内容の記事を配信します。

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ではまた。

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