スティーヴ・ライヒ「漸進的プロセスとしての音楽」諸ヴァージョンの比較――電子音楽からの離脱の軌跡

                              篠田大基

はじめに

 音楽におけるミニマリズムを代表する作曲家スティーヴ・ライヒ Steve Reich(1936- )が、1968年10月に書き上げたエッセイ「漸進的プロセスとしての音楽 Music as a Gradual Process」は、1960年代における彼の芸術観が明確に述べられた文章として広く知られている。この著作においてライヒは、「作曲上のプロセスと鳴り響く音楽を同一のものとする」[1]ために、音の生成プロセスが作品体験を通じて知覚されねばならない、と主張した。ライヒはこの850語ほどの短いアフォリズムによって、ミニマル・ミュージックの基本理念を示したとされる。

 「漸進的プロセスとしての音楽」は、執筆の翌年(1969年)にニューヨークのホイットニー美術館で開かれ、ライヒ自身も参加した展覧会「アンチ・イリュージョン――手順/素材 Anti-Illusion: Procedures/Materials」のカタログに発表され、その後テクストに若干の改変を伴いながら、いくつかの雑誌や著作集、レコード解説に転載されてきた。しかし、これら種々のヴァージョンの網羅的ドキュメンテーションはこれまでなされておらず、ヴァージョン間の異同に関する情報も未だ整理されていない。例えばライヒの作品や著作、関連文献をまとめた書誌 Steve Reich: A Bio-Bibliography において、「漸進的プロセスとしての音楽」は「B7」という整理番号で記載されているが[2]、各国語の翻訳版に関する情報は集められている一方、転載についての記述はない。また、レコード解説が作曲者自身の文章も含めて採録されておらず、情報の追加が待たれる。

 そこで本研究においては、まず、ライヒのエッセイ「漸進的プロセスとしての音楽」の内容を概観しつつ、60年代から70年代前半にかけて作られた5つのヴァージョン、および最新の著作集 Writings on Music 1965-2000 所収のヴァージョンを比較し、テクストの異同を検討する。そしてライヒが意図して書き換えたと考えられる意味上の変更に着目し、これらの改変がなされた時期の彼の活動、とりわけ1969年前後に試みられた電子音楽作品の制作と破棄を踏まえて、記述の変化がもつ意味を考察したい。

1. 「漸進的プロセスとしての音楽」諸ヴァージョンの比較

1.1. コーパスと比較方法

 本稿におけるヴァージョン比較の対象は、次の6点である。

① MGP 1969 “Music as a Gradual Process.” In Anti-Illusion: Procedures/Materials, pp. 56-57. New York: Whitney Museum of American Art, 1969.
初出。展覧会参加作家の略歴欄に掲載。

② MGP 1971 “Music as a Gradual Process.” Source, vol. 5, no. 2 (1971), p. 30. 
この号には本著作を含め、ライヒの文章と楽譜が数ページにわたって掲載されている。

③ MGP 1973 [No title.] Liner notes for Angel 36059 (LP), 1973. (John Cage, Three Dances, Steve Reich, Four Organs; Michael Tilson Thomas, Ralph Gierson, et al.)[3]
電子オルガン作品《4台のオルガン Four Organs》(1970年)の解説の後半部に転用されたヴァージョン。タイトルなし。

④ MGP 1974A “Music as a Gradual Process.” Liner notes for Deutsche Grammophon 2740 106 (LP), 1974. (Steve Reich, Drumming, Music For Mallet Instruments, Voices And Organ, Six Pianos; Steve Reich and Musicians.)[4]
70年代のライヒの作品を集めたレコードの解説。MGP 1973とは異なり、独立した著作として扱われている。

⑤ MGP 1974B “Music as a Gradual Process.” In Writings about Music, pp. 9-11. Halifax, Nova Scotia: The Press of the Nova Scotia College of Art and Design; New York: New York University Press, 1974.
最初の著作集に収録されたヴァージョン。

⑥MGP 2002 “Music as a Gradual Process.” In Writings on Music 1965-2000, pp. 34-36. Ed. Paul Hillier. New York: Oxford University Press, 2002.
2番目の著作集に収録されたヴァージョン。

 なお、各国語の翻訳版は英語との比較が困難なため、対象から除外した。また現時点では閲覧や入手が困難な手稿やゲラ刷りおよび演奏会プログラムなどのエフェメラもここでは扱っていない。これらの調査は今後の課題とする。

 比較においては、最新のMGP 2002を「漸進的プロセスとしての音楽」の決定稿と見なし、このテクスト(全19段落)を基準として他のヴァージョンとの異同を調査する方法をとった。

 ヴァージョン間に異同が生じる原因にはいくつかが想定される。誤字や誤植もあれば、内容にはほとんど影響のない表記法や書体の変更、あるいは文章上の推敲によってテクストに異同が生じる場合もありうる。しかし本研究が着目するのは、これらの理由で生じる異同ではなく、1968年の第1稿完成から時が経つにつれて変化していったライヒの音楽観を反映して、意図的に書き直され、あるいは補足されたと考えられる箇所である。また、テクストが削除された箇所に関しても、掲載媒体ごとに分量の制限が係わっていたことは十分に考えられるが、1篇の文章のどの部分を削るかという選択には著者が何を重要とし、何を非本質的と見なすかという価値判断が加わる点において、著者の思想を反映していると言ってよい。

 後掲の表に比較結果をまとめた。表には、各ヴァージョンについてMGP 2002と異なる箇所のうち、単語単位での書き換えを抜粋し、相違点を赤文字で示した。表および以下本文の段落番号(¶)と行番号(l.)はMGP 2002に基づく。

画像1


1.2. ヴァージョン比較

a. 第1~7段落

 「漸進的プロセスとしての音楽」は次の1文で始まる。「私が言おうとしているのは、作曲のプロセスではなく、音楽がそのままプロセスであるような楽曲のことである」[5](¶1)。このエッセイのキーワードである「プロセス」とは、語源としては「訴訟」という意味に由来し、「合法則的な進行」を指す。作品全体を貫く法則が諸部分を規定するため、プロセスを構成する諸段階は法則性をもって相互に連関する。それゆえ、「音楽としてのプロセスの特異な点は、それが、全ての音符から音符へ(音響から音響へ)という細部と全体の形式とを、同時に決定することである」[6](¶2)。ライヒは、音の生成プロセスが聴衆にも知覚可能であるために(¶3)、「音楽としてのプロセスは極めて緩やかに生起しなければならない」[7](¶4)と述べている。これが「漸進的プロセスとしての音楽」という題名の所以である。

 このエッセイの初出にあたるMGP 1969において、第2段落の「形式 form」という語は「formal morphology」と書かれており、「変化生成する形態」を意味する「morphology」という語によって動的なニュアンスが加えられていた。おそらく彼は、第6段落の内容を念頭において「morphology」を用いたのであろう。「私は音楽としてのプロセスを見つけ出し、そこに流し込む音素材を作曲するという光栄に浴すだろうが、一旦プロセスが構築されて読み込まれれば、プロセスはひとりでに作動する」[8](¶6)。自律的に動くプロセスが生み出す形態は、たしかに「morphology」と呼びうるが、MGP 1971以降、ライヒは単に「form」と記すようになった。第6段落もMGP 1973MGP1974Aにおいては削除されている。ここに、形式に対するライヒの思考に変化があったことが推察される。

 MGP 1973MGP 1974Aにおいて削除された第6、7段落には、「フィルムやテープを機械にかける」という意味の「流し込む run through」、あるいは「構築する set up」、「読み込む load」、「作動する run」といったコンピュータ・プログラミング用語が、しばしば見受けられる。これに続く第8、9段落で、ライヒは電子音楽に言及する。

b. 第8~14段落

 第8段落においてライヒは、「音楽としてのプロセスを人間の生演奏によって実現するのか、何らかの電子的手段によって実現するのかは、究極的には大して問題ではない」[9]と述べ、さらに「たびたび電子音響機材を使って仕事をしていれば、音楽としてのプロセスについて考えることはごく自然なことである」[10](¶9)という。

 ライヒはMGP 1973MGP1974Aにおいて、この部分にも手を加えている。この2つのヴァージョンでは、第8段落は削除されており、第9段落の現在進行形で書かれていた部分(「is working」)は、現在完了形(「has worked」)に書き直された。これらの改変と同時に、コンピュータ・プログラミング用語が頻出する第6、7段落が削除されていることを考え合わせれば、1973年の時点でライヒがエレクトロニクスから一定の距離をとろうとしていたことは明らかである。

 ところで、第9段落に関して指摘した時制の書き換えは、第11段落にも見られる。「ジョン・ケージはプロセスを用い、たしかにその結果を受け容れていた。しかし彼が用いたプロセスは作曲上のものであって、その楽曲が演奏されたときには聞き取れない」[11](¶11)。MGP 1973MGP 1974Aにおいて、この引用部の冒頭には、「During the 1950s and '60s」という語句が加えられ、動詞は現在完了形(「has used」、「has […] accepted」)から過去形(「used」、「accepted」)に変更された。この2つのヴァージョンでは、第13段落で引用される作曲家ジェイムズ・テニーの発言「それなら作曲家は何も隠し立てしないことだ」[12]も削除されている。これらの改変の時期と重なる1960年代後半から1970年代前半にかけて、ライヒはテニーからコンピュータ・プログラミング言語 FORTRAN の講習を受けており、その講習会には、ナム・ジュン・パイクやディック・ヒギンズらフルクサスのメンバーのほか、ジョン・ケージも参加していた[13]。電子音楽に関する記述が書き換えられたMGP 1973MGP 1974Aにおいて、ライヒが当時コンピュータ・プログラミングの講習会を介して親交を深めていたケージやテニーに関する部分にも手を入れていることは興味深い。

c. 第15~19段落

 第15段落以降がこのエッセイの結びにあたる。ライヒは、音生成のプロセスが極めて緩やかに進行することで、聴衆の注意が楽曲の細部に向かうと述べた上で(¶16)、インド古典音楽やロックン・ロール(MGP 1969ではジョン・コルトレーンも含まれている)のような旋法的で即興性の強い音楽と、彼が主張する「プロセスとしての音楽」とを比較し(¶17)、プロセスの特異性を強調する。ライヒによれば、「プロセスとしての音楽」も旋法的な音楽も、聴衆に音響の微細な部分を意識させる点では共通しているが、旋法的な音楽において即興を成り立たせている枠組みが即興そのものとは関連を持たないのに対し、「プロセスとしての音楽」においては、プロセスによって作品の細部と全体の形式とが同時に決定される。「音楽としてのプロセスの中で即興はできない――これらの概念は相互に排他的なのである」[14](¶18)。

 ライヒは「漸進的プロセスとしての音楽」を次の言葉で結ぶ。「漸進的な音楽としてのプロセスを演奏し聴取する間、人はある特種な、解放的で非個人的な儀式に参加することができる。音楽としてのプロセスに精神を集中させるとき、注意は〈彼〉や〈彼女〉や〈あなた〉や〈私〉を離れて、〈それ〉へと向い、移ってゆくのだ」[15](¶19)。個人の知覚を超越した「〈それ〉 it」とは、ひとつのプロセスがもたらす可能的な音響結果の領域にほかならない[16]。「極めて漸進的な音楽としてのプロセスを聴取することは、私の耳を〈それ〉へと開くが、〈それ〉はいつでも私が聞き取りうる遥か先にまで広がっており、そのことが音楽としてのプロセスをもう一度聴きたいという興味をかきたてる。意図から離れて動き出す音響の細部を聞く、漸進的な(完全に制御された)あらゆる音楽としてのプロセスの領野が、〈それ〉である」[17](¶15)。

 第15、18段落はMGP 1969では書かれておらず、これらはMGP 1971において付け加えられた部分である。第15段落は第19段落を、第18段落は第17段落を、それぞれ補完する内容と見なせる。

2. 電子音楽からの離脱の軌跡

 以上の「漸進的プロセスとしての音楽」のヴァージョン比較を通じて、ライヒの思想の変化を反映して書き換えられたと考えられる2つの改変を指摘した。1点目は、MGP 1971の第2段落における「formal morphology」から「form」へという形式概念の変化であり、2点目は、MGP 1973の第8、9段落およびその前後に見られる電子音楽に関連する記述の改変である。これらの書き換えはどのような理由からなされたのだろうか。以降では、当時のライヒの創作活動を見直しながら、これらの記述の変化がもつ意味を考察したい。

2.1. 位相変移プロセスの先鋭化

 60年代の半ばから本格的な創作活動を開始したライヒは、当初、「位相変移 phase shifting」と呼ばれる手法を用いて作曲していた。位相変移とは、複数の短い音素材を同時に反復させ、その反復周期を少しずつずらしてゆくことで、パターンの重なりから多彩な音響を生み出すプロセスである。録音された人の声を素材としたテープ音楽《雨が降るだろう It's Gonna Rain》(1965年)や《カム・アウト Come Out》(1966年)、また《ピアノ・フェイズ Piano Phase》や《ヴァイオリン・フェイズ Violin Phase》(いずれも1967年)などの器楽曲が位相変移の代表的な作品である。器楽作品の場合、反復パターンの微細な「ずれ」は五線記譜法で厳密に表すことができないため、楽譜上、位相をずらす過程は点線で省略されており、「ずれ」の進む度合いは演奏家に委ねられている[18]。

 「漸進的プロセスとしての音楽」が書かれた1968年は、ライヒが位相変移プロセスのさらなる尖鋭化を試みた時期と言える。最小限の音素材からより多彩な音響を引き出すために、ライヒが企図したのは、それまでのように複数の反復パターンの位相関係を変化させるだけでなく、そのパターンを構成する1音1音の相互関係をも位相変移によって変化させることであった。「もしいくつかの単音が同じテンポで拍を刻みながら、その位相関係を緩やかに変移させてゆくなら、結果として膨大な数のパターンが生じるだろう」[19]と彼は述べている。

 この構想は人間の手による演奏では実現が困難であるが、電子的手段を用いれば不可能ではない。1968年、彼は、当時アメリカにおける電子音楽研究の一大拠点であったベル研究所の協力を得て、音のずれを厳密に制御する一種の電子メトロノーム「位相変移パルス・ゲート phase shifting pulse gate」の開発に着手している。この装置は、全12チャンネルそれぞれに割り当てられた音を周期的に鳴らし、音の鳴るタイミングをチャンネルごとに反復周期の120分の1の割合で変化させることによって、反復パターンを次々に組み替えてゆくことができた[20]。位相変移パルス・ゲートによる作品においても、「ずれ」の過程は、やはり楽譜上は点線で省略されているが、ライヒは音符の下に数字を付すことで、それぞれの音が反復周期の中のどの位置にあるのかを示す工夫をしている[21]。

 位相変移パルス・ゲートは、1969年に作曲された《パルス・ミュージック Pulse Music》と《4つのログ・ドラム Four Log Drums》の2作品で用いられた。しかし両作品は、MGP 1969がカタログに掲載された「アンチ・イリュージョン」展において上演されたが、間もなく破棄され、それ以後ライヒは創作に位相変移パルス・ゲートを用いていない。彼はその理由を次のように説明している。「ゲート〔位相変移パルス・ゲート〕が(またはシーケンサーやリズム・マシンが)打ち出すリズムの「完全性」は、硬直していて非音楽的である。私の音楽も含め、一定のパルスに基づくいかなる音楽においても、人間が楽器を鳴らしたり歌ったりすることで作られるパルスの非常に微妙な揺らぎこそが、音楽に命を吹き込むのだ」[22]。ライヒにとっては、この位相変移パルス・ゲートの経験が電子音楽から距離をおくきっかけになったと考えられる。

 「アンチ・イリュージョン」展の後にライヒが作曲を開始し、翌1970年に完成した作品が、先述の《4台のオルガン》である。電子楽器を使用してはいるものの、人間の手によって演奏される作品であり、電子音楽に関する記述が書き換えられたMGP 1973はこの曲を収録したレコードの解説であった。ライヒが「漸進的プロセスとしての音楽」をレコード解説に転用するにあたって、電子音楽に関連した部分を書き改めた背景に、位相変移パルス・ゲートの非音楽的なまでに硬直したリズムに対する彼の不満があったことは間違いない。「音楽としてのプロセスを人間の生演奏によって実現するのか、何らかの電子的手段によって実現するのかは、究極的には大して問題ではない」[23](¶8)という1文が、MGP 1973において削除されたことは、彼の電子音楽に対する立場の変化を端的に示している。

2.2. 《4台のオルガン》

 さて、《4台のオルガン》は、ライヒがそれまで追究していた位相変移プロセスではなく、「拡大 augmentation」のプロセス(音の持続時間を徐々に引き延ばしてゆく手法)が用いられている点で、彼の創作史において革新的な作品である。冒頭で提示される11拍の反復パターンは、それを構成するひとつひとつの音がそれぞれ少しずつ長く伸ばされてゆくことで、最終的には265拍もの長い音の帯になる。

 注目すべきは、この作品の楽譜が、それまでの位相変移による作品とは異なり、反復パターンの変化する過程が省略なしに記譜されていることである。ここで再び、ライヒのそれまでの作品において、反復パターンの「ずれ」の過程が楽譜上は点線で省略されており、「ずれ」の度合いは演奏者の手に委ねられていたこと、そしてMGP 1971以降、第2段落の「formal morphology」が単に「form」と書かれるようになったことを、振り返っておこう。ライヒがMGP 1969において「formal morphology」と呼んだのは、作曲者から離れてひとりでに作動するプロセスが生み出す形態であった。プロセスが自動的に進行するとすれば、作曲者は、楽譜に音楽の進行過程を仔細に記す必要はない。しかし1970年作曲の《4台のオルガン》において、ライヒはプロセスを省略せずに書き記している[24]。ここにおいて楽譜は、いわば作曲者による作品の設計図となり、演奏はその再現となる。そこに「morphology」という語に込められた動的な要素は希薄である。「formal morphology」から「form」へという形式概念の変更は、このようなライヒの記譜法の変化に対応していると言えよう。

 それでは、このような記譜法の変化は何によってもたらされたのだろうか。これについてもやはり、位相変移パルス・ゲートの経験が介在していたと考えられる。《パルス・ミュージック》と《4つのログ・ドラム》においても、「ずれ」の過程が点線で省略されていたことは先述のとおりであるが、位相変移パルス・ゲートが生み出す音の「ずれ」は、その性能上、反復周期の120分の1の割合でしか起こりえない。言い換えれば、位相変移パルス・ゲートによる「ずれ」の過程は完全に記述可能なのであり、その点において《4台のオルガン》の楽譜とも通底しているのである。60年代の位相変移の音楽と《4台のオルガン》との狭間で、位相変移プロセスの先鋭化を目指して開発され、間もなく放棄された位相変移パルス・ゲートは、「漸進的プロセスとしての音楽」の改訂に見られた「formal morphology」から「form」へ、そして電子音楽から再び人間の手による作品へという転換点に位置づけられるのである。

おわりに

 1968年に執筆された「漸進的プロセスとしての音楽」は、ライヒが、位相変移による音楽を「プロセス」という概念で説明し、自身の思想を明確化するとともに作曲家としての立場を表明した著作であった。このエッセイが最初に収録された「アンチ・イリュージョン」展のカタログ(MGP 1969)の掲載ページが、展覧会参加作家の略歴を載せる欄であったことからも分かるとおり、ライヒは、いわば自己紹介として「漸進的プロセスとしての音楽」を発表したのであり、この著作が彼自身にとって重要な意味を持っていたことは疑いえない。1970年代前半におけるこのエッセイの改変に見られる形式概念や電子音楽に関する記述の変化は、ライヒが位相変移パルス・ゲートの使用を放棄して電子音楽から離脱してゆく軌跡を示していると言える。ライヒは、自身の芸術観を表明したエッセイ「漸進的プロセスとしての音楽」を改訂するなかで、彼自身にとって電子音楽とは何か、また逆に、人間の手による演奏とは何かを確認し、自分の立場を見直していったのである。

 本稿の最後に、本論においてはほとんど触れることのなかった1974年以降の「漸進的プロセスとしての音楽」のヴァージョンについて述べておきたい。

 1974年には、「漸進的プロセスとしての音楽」の大きく異なる2つのヴァージョンが登場した。《ドラミング Drumming》のレコード解説であるMGP 1974Aには、MGP 1973の改変箇所が、ほぼそのまま踏襲されたのに対し、彼の最初の著作集 Writings about Music に収録されたMGP 1974Bは、むしろMGP 1971に近いテクストに戻り、それがほぼそのままMGP 2002に引き継がれている。

 Writings about Music が刊行された1974年に作曲が開始された《18人の音楽家のための音楽 Music for Eighteen Musicians》について、ライヒはプロセスの知覚が困難になったことを認め、次のように述べている。

「《18人の音楽家のための音楽》において、旋律的なパターンが段々長くなるのを捉えるという意味で、何が起こっているかを聴き取ることは可能です。〔……〕私は、音楽がどのようにできているかを聴き取ってもらうことに、今までほど執着していません。もし何が起こっているかを正確に聴き取れる人がいれば、嬉しく思いますが、そうでない人でも、この曲を好きでいてくれさえすれば、やはり嬉しく思います」[25]。

 《18人の音楽家のための音楽》以降、ライヒはかつて「漸進的プロセスとしての音楽」で主張していたプロセスの知覚可能性を強調することはなかった。ライヒは、自身の過去の著作をまとめるにあたってテクストの内容上の改変をやめ、「プロセスとしての音楽」を主張していたかつての姿を客観化することで、新たな創作の段階へと進んでいったのである。


[1] Steve Reich, "Music as a Gradual Process," in Writings on Music 1965-2000, ed. Paul Hillier (New York: Oxford University Press, 2002), p. 35; 1st appeared in Anti-Illusion: Procedures/Materials [exhibition catalogue] (New York: Whitney Museum of American Art, 1969), p. 57. 以下、本著作からの引用は Writings on Music 1965-2000 所収のヴァージョンを底本とする。
[2] D. J. Hoek, Steve Reich: A Bio-Bibliography (Westport: Greenwood Press, 2002), pp. 76-77.
[3] 復刻CD:Angel 7243 5 67691 0; CD, rel. 2002. 復刻CDに収録された「漸進的プロセスとしての音楽」とLP所収のヴァージョン(MGP 1973)との間にも異同が確認されたが、それらは誤植と考えられるため、本稿の比較対象からは除外した。次のMGP 1974Aについても同様。
[4] 復刻CD:Deutsche Grammophon 427 428; CD, [rel. 1993].
[5] Reich, "Music as a Gradual Process," in Writings on Music 1965-2000, p. 34.
[6] Ibid.
[7] Ibid.
[8] Ibid.
[9] Ibid.
[10] Ibid, p. 35.
[11] Ibid.
[12] Ibid. このテニーの発言は、ライヒが「漸進的プロセスとしての音楽」の執筆中に草稿をテニーに見せたときのコメントである。Reich, "Tenney," in Writings on Music: 1965-2000, p. 138 参照。
[13] Reich, "Tenny," in Writings on Music: 1965-2000, p. 138 および Reich, "John Cage," in Writings on Music: 1965-2000, p. 165 参照。
[14] Reich, "Music as a Gradual Process," in Writings on Music 1965-2000, p. 36.
[15] Ibid.
[16] ライヒの言う「〈それ〉 it」について、「漸進的プロセスとしての音楽」のフランス語訳には次のような訳註が付されている。「この〈それ〉とは、少なくとも本来の意味においては、精神分析学で言うエスではない。非人称的な〈それ〉は音楽としてのプロセスを通じて表れ、また同様に作曲家と聴衆の知覚を通じて、人間に可能な制御と知覚からはみ出しながらも表れる。言語学者にとって、それは言語であろう。ライヒにとって、それは音楽なのだ」(Reich, Écrits et entretiens sur la musique, trans. Bérénice Reynaud (Paris: Christian Bourgois Editeur, 1981), p. 131n.1)。
[17] Reich, "Music as a Gradual Process," in Writings on Music 1965-2000, p. 35.
[18] 楽譜参照。Reich, Piano Phase, UE16156 (Universal Edition, 1980). Reich, Violin Phase, UE16185 (Universal Edition, 1979).
[19] Reich, "The Phase Shifting Pulse gate - Four Organs - Phase Patterns - An End to Electronics," in Writings on Music 1965-2000, p. 38.
[20] 位相変移パルス・ゲートに関する技術的な解説は Ibid., pp. 39-41 参照。
[21] 楽譜参照。Ibid., pp. 42-43, 46-47.
[22] Ibid., p. 44.
[23] Reich, "Music as a Gradual Process," in Writings on Music 1965-2000, p. 34.
[24] 楽譜参照。Reich, Four Organs, UE16183 (Universal Edition, 1980).
[25] Reich, "Second Interview with Michael Nyman," in Writings on Music: 1965-2000, p. 94.


慶應義塾大学三田芸術学会『芸術学』第12号(2008年)、3-14頁。
転載にあたり、正誤表の内容を反映させるとともに、表記の変更(漢数字→アラビア数字、傍点→〈 〉など)を行いました。
正誤表:
http://hshinodainfo.starfree.jp/archive/090331geijutsugaku_errata.html