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スティーヴ・ライヒの Different Trains におけるスピーチの構成

1.

 現代アメリカを代表する作曲家スティーヴ・ライヒ Steve Reich(1936-)の Different Trains(1988)は、ヒトラー政権下で行なわれたユダヤ人迫害を題材にした作品である。ライヒは、ユダヤ人である彼自身の思い出を絡ませつつ、当時を回想する老人たちの言葉を使って、この悲劇を描いた。彼らの声はテープに録音され、器楽がそのイントネーションを模倣する。スピーチ・メロディと呼ばれるこの手法は、この作品以後、The Cave(1990-93)、City Life(1995)などでも使用されることになる[1]。これらの作品に関しては、従来、「人がしゃべった言葉をそのまま音楽の素材にする」[2]点で、しばしば彼の初期(1960年代)のテープ作品(It's Gonna Rain(1965)、Come Out(1966)など)との関連が指摘されてきた[3]。だがこの捉え方をする際、初期作品とスピーチ・メロディによる作品との間、すなわち1970、80年代の作品は、ほとんど考慮に入れられていない。

 ライヒは1960年代から、「〔作曲作業に用いた〕プロセスそのものが音楽作品である」[4]というテーゼの下、作品の形態を決定する知覚可能なプロセスを探究していた。その態度を変化させる契機となったのは、Music for 18 Musicians(1974-76)である。この作品において、プロセスを聴取することは困難であり、ライヒ自身もその重要性を強調しなくなった[5]。そこで、プロセスに代わる構成原理として彼が導入したのが、アーチ形式である。

 アーチ形式とは、前後と異なる性格を持つ中間部を対称軸として、それを挟む前後の部分を相称に配置した形式を指す。すなわち、その最も単純なかたちは A-B-A の3部形式であり、さらに、3部形式の両端を拡張した形式(例:{A-B-C}-D-{A-B-C})や5つ以上の部分が完全な対称をなす形式(例:A-B-C-B-A)も、そこに含まれる。この形式概念を提唱したアルフレート・ローレンツ Alfred Lorenz は、ワーグナーの楽劇を分析し、幾つかの部分にこのような図式が適用できることを示そうとした[6]。また、バルトークが多くの作品をこの形式で作曲したことも、よく知られている。Music for 18 Musicians においては、冒頭と結尾の Pulses と呼ばれる部分に挟まれた Section I-XI のうちの幾つかにアーチ形式が見出せる。

 Music for 18 Musicians 以降、ライヒはアーチ形式を好んで用いるようになった。前述の City Life の楽章構成もアーチ形式になっており、このアーチを形成する要素の1つにスピーチの配置と使用法が挙げられる[7]。素材であるスピーチがこのように扱われる点で、City Life は、プロセスのみが作品の形態を決定していた初期作品と異なる。このことは、スピーチ・メロディの採用の、初期テープ作品への回帰ではない側面を示すものだろう。

 では、City Life 以前のスピーチ・メロディによる作品はどうなのか。これらの作品におけるスピーチの配置と音楽の形式との関係については、先行研究において詳しく論じられてこなかった。この研究ノートの目的は、Different Trains の楽曲分析を通じて、対称性を意識しつつ作品を構成しようとするライヒの指向を検証し、この作品におけるスピーチの役割を考察することにある。これによって、彼の作品において1970年代から90年代に至るアーチ形式の使用の系譜を補完し、ライヒの創作の変遷に関する研究への一助としたい。

2.

 4組の弦楽四重奏とテープのための Different Trains は、ベティ・フリーマン Betty Freeman によって委嘱され、クロノス・クァルテット Kronos Quartet により、1988年11月2日にロンドンで初演された。また2000年には、作曲者自身の手により、オーケストラのために編曲されている。この作品に登場する話者が語るのは、第2次世界大戦前後の2つの旅についてである。1つは先にも触れたナチスによるユダヤ人の強制輸送であり、もう1つは作曲者自身の幼年期の旅行である。ライヒの両親は彼が1歳の時に離婚し、彼は1939年から1942年までの間、父の住むニューヨークと母の住むロサンジェルスを、彼の家庭教師と一緒に列車で行き来していた。ライヒは、ヨーロッパに住むユダヤ人の集団的な汽車の旅の記憶と、ユダヤ人である彼自身の個人的な汽車の旅の思い出とを、重ね合わせているのである[8]。

 全3楽章から成るこの作品の各楽章には、それぞれ副題が添えられている。第1楽章 "America - Before the war" では、ライヒの家庭教師 Virginia と、ニューヨーク-ロサンジェルス間の路線で働いていたプルマン車両[9]の元荷物運搬人 Lawrence のスピーチが使われ、第2楽章 "Europe - During the war" では、ホロコーストの生存者で戦後アメリカへ移住した Rachella、Paul、Rachel が大戦中の体験を語る。そして終楽章 "After the war" は、戦争が終わったという内容の Rachella と Paul のスピーチで始まり、その後、第1楽章で登場した2人を加えた計4人のスピーチで構成される。これらのスピーチは、汽車の走る音、汽笛、サイレン、および3組の弦楽四重奏の演奏と共に、予めテープに録音されており、実際の演奏では、1組の弦楽四重奏団がこれに合わせて生演奏を行う。

 この作品において、複数のスピーチが同時に再生されることはなく、またスピーチと別のスピーチとの間には推移部となる部分が存在しない。そのため、あるスピーチから次のスピーチへと切り替わることで、作品は明確に分節される。個々のスピーチは再生速度や音程を変えられることなく楽曲中に配置されている。よって、器楽のテンポ、旋律、およびそれを支える和声は、全てスピーチ固有の速度や音程に依存することになる。このような制約の下で、スピーチ・メロディを用いた作品に多様性を与えるのは、主として、スピーチそれ自体とその配置であると考えられる。そこで以下では、各楽章をスピーチの内容で幾つかのグループに分け、各グループに含まれる個々のスピーチの内容とその話者(の性別)の交替から、楽曲分析を試みたい[10]。なお、前章で述べたとおり、アーチ形式は対称軸となる中間部を持った形式である。そのため、この分析においては、対称的にスピーチが配置されており、かつその対称軸となる部分を特定できる場合にのみ、「アーチ形式」という用語を使用し、対称的配置になっているものの、対称軸となる部分が存在しない、もしくは特定できない場合には、単に「対称」と呼ぶこととする。

 まず第1楽章(表1)は第296小節前後で大きく2つに分けられる。出発し到着する地名と移動手段である列車に関するスピーチで占められる前半と、西暦を順に数えていく後半、という分割である。

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 前半のスピーチにおいては、地名が登場するものと列車が登場するものとが、ほぼ交互に並んでいる。その両端は Virginia の "from Chicago to New York" であり、また、話者の性別の、女性2回-男性2回-女性2回という順からも、Lawrence の2つのスピーチを対称軸にしたアーチ形式と言えよう(ただし、この Lawrence のスピーチの内容に前後との明確な相違はない)。

 一方後半は、3つの年が順に並んでいるが、その両端の1939年と1941年は2人の話者が語り、真中の1940年を語るのは Lawrence ただ1人である。しかも、1939年は Virginia-Lawrence の順で語られるのに対し、1941年の方は順番が逆になっている。よって、Lawrence の "1940" を対称軸としたアーチ形式と見なして良い。なお、対称軸に位置する Lawrence の言葉は、第2楽章冒頭の Rachella のスピーチと共通する点で重要である。

 第1楽章から切れ目なく続く第2楽章(表2)は、まず第185小節前後で2つに分けられる。この楽章に登場する3人の話者が収容所に送られる前と後ということになる。第2楽章の開始から8分音符で弾かれていた伴奏の反復音型がこの部分で16分音符に替わることと、ここから汽車の走行音が加わることも、この区分を裏付けている。

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 前半の話者の性別は、女性4回-男性6回-女性4回という順で交替しており、対称的な配置になっている。しかし、Paul のスピーチのうち、始めのドイツ軍の侵攻を表すスピーチがその前の Rachella による2つのスピーチと関連する一方、それに続く学校でのエピソードは Rachel の "No more School" に引き継がれるため、対称軸を特定することは困難である。

 後半は Rachella のスピーチのみで占められており、話者の交替からはさらに細かく分節することができない。スピーチ以外の観点からは、第319小節("Flames going up to the sky? it was smoking")において、汽車の走行音が消え、伴奏の音型も持続音に替わることから、ここで1つの分割が可能である。その前の8つのスピーチについては、"into those cattle wagons" と "Lots of cattle wagons there" に "cattle wagons" という語が共通する。よって、それぞれに続く3つのスピーチを合わせた、4つのスピーチから成る2つのグループができる。これは収容所に送られる途中と到着後と解釈できる。以上をまとめると、第2楽章後半は A-A-B という図式で示せる。

 最後の第3楽章(表3)は Paul と Rachella のスピーチから始まる。"and the war was over"(Paul)- "Are you sure?"(Rachella)-"The war is over"(Rachella)というスピーチの配置には対称性を見出せないこともないが、話者の交替はそれに対応していない。しかも、"Are you sure?"の登場する部分が極端に短く、スピーチの反復回数も僅かであるし、その次の"The war is over"へ交替する際に、テンポの変化も転調も起こらない。これらの点から、"Are you sure?"と"The war is over"は一繋がりと考えるべきであろう。

 この後の "going to America"(Rachella)からは3つのグループに分けられる。第1のグループは第282小節までのアメリカの地名が含まれるスピーチである。このグループの末尾のスピーチ "from Chicago to Los Angeles"(Lawrence)は第1楽章と同じものであり、それに続いて、同じく第1楽章でも登場した "one of the fastest trains"(Virginia)も回帰する[11]。この Virginia のスピーチを、1つだけではあるが、移動手段を表していることから、第2のグループとする。そして最後のグループは、"but today, they're all gone"(Lawrence)から始まり、Rachella の3つのスピーチから成る回想で終わる。この3つのグループを通して、話者の性別の交替は、{女-女-女-男}-{女}-{男-女-女-女}となっており、"one of the fastest trains"(Virginia)を対称軸にしたアーチを形成している。

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 さて、この3つのグループが、話者の性別の交替からアーチ形式になっていると言えたとしても、スピーチの内容に関して第1グループと第3グループに共通する要素は何か、という問題は未だ残されたままである。もちろんこの2つのグループの内容が完全に一致するわけではないが、第1グループの冒頭のスピーチ "going to America" と第3グループの冒頭 "but today, they're all gone" には、"go" という移動を表す語が共通している。本来、スピーチの内容の解釈は、その元の文脈を踏まえてすべきものであり、以上で述べたことのみでは解釈の根拠として不充分であるが、共通する単語の存在から次のことが言えるだろう。すなわち、第1グループはヨーロッパからアメリカへの移住、あるいはニューヨークとロサンジェルスを行き来するという空間の移動であり、また第3グループは戦後に第2次世界大戦を回想するという時間の移動だ、ということである。そうであるなら、この2つのグループを結ぶ "one of the fastest trains" は、空間を移動する手段であると共に、過去を回想するキーワードとして、ヨーロッパにいたユダヤ人の集団的体験とアメリカで育ったライヒの個人的体験とを繋げる象徴と考えられる。

3.

 Different Trains における対称性については、クリストファー・フォックス Christopher Fox が以下のように述べている。

「Different Trains における対称性は、3つの楽章が急-緩-急に区分されるということに過ぎない。それどころか、初めの2つの楽章を繋げて演奏させることで、ライヒはこの対称性を明確にすることさえも意図的に避けているのだ。第1、第2楽章の連続性は、言葉によって―― "1941 I guess it must've been" が "1940" に繋がる――〔……〕もたらされる。」[12]

 しかし、スピーチ毎にテンポが細かく変動するこの作品を「急-緩-急」の3楽章とするのは、単純化し過ぎていないか。そして、スピーチ相互の関係は、異なる楽章間より、同一楽章内において、まず考察されるべきであろう。実際に、フォックスが初めの2つの楽章を繋げるスピーチとした第1楽章末尾の Virginia によるスピーチは、この楽章の後半の、西暦を含む一連のスピーチの延長上にあるのだ。

 フォックスが指摘した Different Trains の楽章構成に見られる対称性は、この作品のアーチ形式の表層でしかない。前章の分析から、この作品の素材となるスピーチの内容と話者(の性別)が対称性を意識して配置されていることは明らかである。フォックスの説と合わせれば、Different Trains のアーチ形式は重層的に展開されていると言えよう。スピーチの役割もまた多面的である。スピーチは、楽章同士を相互に密接に結び付ける一方、作品中の多くの部分において対称性を構築する。Different Trains の諸部分における対称性は、スピーチによって曖昧にされるのではなく、スピーチによって形作られているのである。このことは、Different Trains のスピーチの構成に、City Life のアーチ形式へと引き継がれるライヒの対称性への指向が、確実に存在することを示しているのである。


参考文献

Ford, Andrew. Composer to Composer: Conversations about Contemporary Music. St. Leonards: Allen & Unwin, 1993.
Fox, Christopher. "Steve Reich's 'Different Trains.'" Tempo 172 (1990): pp. 2-8.
伊藤知美「スティーヴ・ライヒの創作の変遷における The Cave の位置」修士論文、慶應義塾大学、1997年度。
ライヒテントリット,フーゴー『音楽の形式』橋本清司訳、音楽之友社、1955年。
Lorenz, Alfred. Das Geheimnis der Form bei Richard Wagner, 4 vols. Berlin: Max Hesse, 1924-33; reprint, Tutzing: Hans Schneider, 1966.
Nyman, Michael. "Steve Reich: Interview by Michael Nyman." Studio International 192 (1976): pp. 300-307.
Potter, Keith. Four Musical Minimalists: La Monte Young, Terry Riley, Steve Reich, Philip Glass. Cambridge: Cambridge University Press, 2000.
Reich, Steve. Writings about Music. Halifax, Nova Scotia: The Press of the Nova Scotia College of Art and Design; New York: New York University Press, 1974.
――――、川西真理「ドキュメンタリー・ミュージックへ向かって」 『Music Today Quarterly=今日の音楽』(来日作曲家にきく)16号(1992年)、42-46頁。
――――、末延芳晴「スティーヴ・ライヒ、現代の創作を語る」全2回『音楽芸術』(特別インタヴュー)50巻1号(1992年)、62-69頁;50巻2号(1992年)、54-61頁。
――――. Different Trains. HPS 1168. Boosey & Hawkes, 1998.
Schwarz, K. Robert. Minimalists. London: Phaidon Press, 1996.


[1] 現実の出来事を録音によって音楽の中に取り込んでいる点で、これらの作品をドキュメンタリー・フィルムになぞらえ、「ドキュメンタリー・ミュージック」と呼ぶこともある。
[2] S. ライヒ、川西真理「ドキュメンタリー・ミュージックへ向かって」『Music Today Quarterly=今日の音楽』(来日作曲家にきく)16号(1992年)、45頁。
[3] 例えば、K. Potter, Four Musical Minimalists: La Monte Young, Terry Riley, Steve Reich, Philip Glass (Cambridge: Cambridge University Press, 2000) を参照。
[4] S. Reich, "Music as a Gradual Process," in Writings about Music (Halifax, Nova Scotia: The Press of the Nova Scotia College of Art and Design; New York: New York University Press, 1974), p. 9.
[5] M. Nyman, "Steve Reich: Interview by Michael Nyman." Studio International 192 (1976), p. 302.
[6] A. Lorenz, Das Geheimnis der Form bei Richard Wagner, 4 vols. (Berlin: Max Hesse, 1924-33; reprint, Tutzing: Hans Schneider, 1966).
[7] 全5楽章から成る City Life では、第1楽章 "Check it out"、第3楽章 "It's been a honeymoon - can't take no mo'"、第5楽章 "Heavy smoke" において、サンプリング・キーボードに入力されたスピーチが用いられる。そのうちスピーチ・メロディがあるのは第1、第5楽章であり、第3楽章はスピーチの持つリズムを生かした、サンプリング・キーボードの打楽器的な使用が試みられている。
[8] S. ライヒ、末延芳晴「スティーヴ・ライヒ、現代の創作を語る(上)」『音楽芸術』(特別インタヴュー)50巻1号(1992年)、65頁。
[9] G. M. プルマンが考案した、個室寝台付き特別列車のこと。
[10] この楽曲分析には、弦楽四重奏版のスコア(HPS 1168 (Boosey & Hawkes, 1998))を使用した。
[11] ただし、伴奏をしている器楽のテンポは第1楽章と第3楽章で異なる。
[12] C. Fox, "Steve Reich's 'Different Trains.'" Tempo 172 (1990), p. 8.


『慶應義塾大学三田哲学会大学院生論文集』第12集(2001年)、34-41頁。
転載にあたり、正誤表の内容を反映させるとともに、一部修正を加えました。
正誤表: http://hshinodainfo.starfree.jp/archive/0112--inseironbunshu_errata.html