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なぜカウンセリングが効くのだろう

一応専門家を名乗っているものとしては大変不明を恥じるべきなのだが、なぜカウンセリングが「効く」のか、いくつになってもわからない。何がしかの理由で効果があることはわかっているし、経験的にこうやって行くことが良い結果を生むことも予想はできるし、そのとおりに実践している。しかし、そもそも、なぜ、カウンセリングという営みが、人を変えるのかということを説明するのは極めて難しい。測定もできない。

もちろんカウンセリングには多くの理論があって、その仕組みはいくつも説明されている。それはそうだと受け入れて実践はするけれど、しっくり来たことはない。それは、「どうすれば効くのか」と、「なぜ効くのか」は、説明のレイヤーが違うからだろうと思ってはいる。

第一、カウンセリングはセラピスト一人の力でなされるものではないから、セラピスト側の関わり一つで説明ができるものではない。何かが変化したり良くなるためには、これまでとは異なる、変化や良くなるような行動をクライエント自身が自発せねばならないとこがある(セラピストはそれを発揮することに手を貸すだけである)。

自発の土台を作ることも大きく関与しているところもあるのだろうが、話し合って、実行する、すると変化が生まれる。しかし、その事実や行動だけで良くなっているのだろうか? それだけで説明できるような気もするし、そんな単純な説明ではつかないような感覚もある。例えば、比較的軽度の適応障害や社交恐怖であるならわかる。しかし重い神経症や人格障害などではどうか? どれくらい同じことが言えるだろう?

説明できればよいのか

しかし、心理療法がなぜ効くのか明示的に説明されるときが来るんだろうか? と考えたとき、それが明晰に分析されてしまうことの怖さもある。それがわかるのはエキサイティングなことだが、ことはそう簡単でもないだろうとも思う。もしこれがわかったら、心理療法におけるポリコレの嵐が吹き荒れるだろう。過去のセラピーは問い直され、損害賠償の訴訟も起こるだろう。「関係で癒やす派」と「行動で改善する派」の「文化闘争」はなお一層激化し、不毛な議論を生むかもしれない。だったら今くらいの曖昧さでいいのかもしれない。エビデンスが多く提出されている認知行動療法も統合心理療法も、「技法だけ」で良くなってるとは証明されてない(盲検法であってもセラピスト間で治療成果が一定しないのはその証左である)。個人的な感覚では、何故良くなるのか、という問いについて、どの技法も、かなりの部分は正しくて、ある部分については間違っている。全部が正しくて、全部が間違っている、そういうものなんじゃないかと思う。

メンタライゼーションと身体-図式

そこで最近着目しているのは、メンタライゼーションという概念だ。フォナギーは愛着の問題や力動的心理療法的バックグラウンドを持つ人だが、無意識的なものと認知的なものを統合する説明概念を作った。それがメンタライゼーションだと今の所理解している。メンタライゼーションは人間の明示的黙示的な認識や知覚、行動に関わる広範な概念である。自他の心理を推測する能力と説明されるが、そんな単純なものではない。人間の認識の有り様を広く理論化したもので、多くの問題はメンタライゼーションの失敗による、適切な認識や、知覚の失敗であって、それによって行動が阻害され、障害となる。だから、 メンタライぜーションできるようになったから良くなった、というようなことになってくる。それはまさにそのとおりだろし、その説明には全く異論がない。他に説明のしようもなかろうと思う。

なぜ、カウンセリングや心理療法に効果があるのか。その説明で一番しっくりくるのは、やはり岸先生の言うところの「身体-図式(メルロ=ポンティ)」の変化という説明がもっとも納得の行くものであった。ものの捉え方というのは、その人の間合いや呼吸、記憶とそれに基づく経験によって、黙示的に所作を決定する身体習慣のようなものである。関わりを通じて、相互反応が起こり、徐々にその身体図式が変化していき、ある閾値を超えたところで変化が目に見えてくるようになるというものだ。これはなるほどなと思う。心理学的にその一部を説明したのがメンタライゼーション概念なのだろう(こんな事言うのは偉そうだけど)。理論的説明としては一番しっくり来る説明のように思う。

わからないが、どう動いているかは観測できる

自分たちが何をしているか説明できないものを提供しているって面白いなとおもう。それがどういうものかはわからないが、どうすればいいのか知っているというのは。そもそも、インターパーソナルなものに実体なんかないわけだから、「なに」が変化したのか同定もできない。だから、カウンセリぬによって何が変化したのか直接測定できない(つまりなぜ効くのかもよくわからない)。これは、測定という手法の限界でもあるのかもしれない。測定はできないけど、何が変わったか「わかる」のがまた面白い。

誤解がないように言っておくけれど、たいていのものはだいたいこんなもんなのではないかと思う。だから、機序が曖昧だからといって、心理療法を腐そうとかそういう意図は一切ないし、アメリカでは7年くらい前から、この辺をちゃんと考えようぜってタスクフォースができて活動しているから、期待しているところではある。きっとこういうのは内部的な理屈では説明できなくて、外部の理論で説明されるのが、一番スッキリ来るのではないかと期待している。それは哲学かもしれないし、言語学かもしれないし、脳神経学かもしれない。多々脳神経学は、何も説明したい、ただ記述するだけなので、あまりあてにはならないかもしれないが。

理論的背景はどうであれ、カウンセリングというのは、多分「正しいゴール」が設定できたら、かなり効くものなんだろう、とゴーストはささやく。正しい問がたてば問題は解決してゆくように。「真の名」がわかれば、「そのものを操れるようになる」ように。しかし、その「正しさ」を見極めることはとても難しい。マスターセラピストになったらなにかわかるのだろうかとは思う。いつまでもアマチュア気分ではよくないなとは思ってはいるのだが、マスターへの道はまだまだ遠い。

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