HSPmamaのHSC育児
デリケートだけど根は明るいHSC君の生い立ち
ごあいさつはじめまして。 HSC君を育てるHSPママです。 インスタにて2019年から発信を始めました。 きっかけは、転校先の小学校でHSC君の理解が得られにくかったことです。 転校した小学校は田舎の小規模校。 「のびのび自由に育った元気っこたち」 「地域で子育てしてるからみんな仲がいい」 がウリの学校です。 そんなところに転入してきた超デリケートボーイHSC君は 異質中の異質。先生も戸惑い、同級生たちも戸惑い 最終的に先生はHSC君を責めました。。。 友達はできません
いかなる理由があるにせよ、暴力はあかん。 それから、小学生の頃のノリのままイタズラしても、その相手が今や有名人なんだから、自分の首絞めてるだけって早く気付けるのかな?
久々に地元の同級生と遊んだHSC君でしたが、相手が幼稚すぎて心身共にボロボロになり帰ってきました。 恐喝に暴力、、 親御さんは謝ってくれたけど、本人は納得していない様子。身体の痛みは時間差で来るんだよね。 もう要らない。大切な仲間だけ大切にしよ。
今日担任の先生が1時間半掛けてはるばる自宅まで、正しい通知表を持って来てくれました。 先生にハキハキにこにこ話す姿が嬉しかったな。良い先生に出会えて良かった^_^
息子の進学先N高と伝えた時の親戚の反応が草すぎる。だから嫌い。うちの家族。 職場の人の方が理解がある!
HSC君が中学生から始めたこと 続きを書いていきたいと思います。 共感が新たな道へそれから、そのコミュニティの 様々なグループに参加するように。 夜な夜な話し声が聞こえてきました。 特に仲のいい方が数名でき HSC君が付けたニックネームで フランクに話してくれる事で 彼も心を開いていくのでした。 春休みもほぼ毎日同じ方たちと 楽しく会話していく中で 軍隊中学校の愚痴も 沢山聞いてもらったようです。 ちょうどその頃、クラスの オンラインゲームグループにも 入れてもらい、
中学校生活が終わり 義務教育が終わる HSC君はまた同じ事を 繰り返したくないと 通信高校へ行く 全ては最適解だと思う ようにしている。 でも、やっぱり あの時、あの子が 支えになってくれれば あの子があんな意地悪 言わなければ 先生がクラスに もっとキツく指導してくれれば 不適切行動を止められない 本人、親、学校、への苛立ちが 日々蘇ります。 もっと温かくしてくれてたら 全日制に行けたかもしれないのに 転校しなくてもよかったかもしれないのに 何がいけないのか
こんばんは! HSC君を育てるHSPママです。 今日はHSPママの特効薬をご紹介します! これは、実は少しスピリチュアルなので 賛否両論あると思ったため 有料記事にしたいと思います。 HSPあるあるだと思いますが 過去にスピの沼にハマってしまいまして お金もだいぶ使いました。 本来HSC君の為でしたが、 HSC君から直々に、脱スピして お金を貯めて欲しいと言われました。 しっかり育ってるじゃん! というわけで、お金を使わずに HSC君にも私にも効果がある スピリチ
受験や不登校に関しても 書き上げたいようなもやもやが まだ引っかかっているのですが 今回は、今のHSC君の中心にあるもの をご紹介します。 中1から始めたライフワーク登校渋りが始まった中1の初夏。 夏休みに入ると宿題を計画的に終わらせ 今後が楽しみになりました。 夏休み中盤にはクラスの LINEグループに招待してもらうのですが、 それが不登校のきっかけに。 半年間スマホを持ってたのに グループに入れてもらえなかった事 小学校の友達から悪口を流されて 庇ってくれる子もいた
HSC君の受験の途中ですが 中学校生活もあと1カ月となりましたので ここで、不登校について さらに振り返りたいと思います。 まず、結論から言うと HSC君は通信高校に行くことは 確定しました。 なので、不登校と呼ばれるのも あと1カ月の辛抱です。 (厳密に言うと今の学校は 通っていますか゛) そこで今回は、不登校になって 嫌だったこと、むかついたことを 書いてみたいと思います。 今回は、本人に対してでなく 他人に対してです。 嫌だったことむかついたこと5選1 ママ友
ご無沙汰しております。 忙しく心も落ち着かない日々でしたが ようやくHSC君の受験も終わりました。 (正式にはまだ終わってませんが) 心の整理も兼ねて書き綴ります。 HSC君の高校受験まず、中1にさかのぼると HSC君の担任と最初に話した事は 高校受験だった気がします。 中々馴染めない、通いづらい彼に 目標意識や自信を付けるために 現状の授業態度や成績の話、 私からは目標とする大学、 彼も先生から良く話を聞いていて それが会話のきっかけになっていました。 最終的には、
HSC君の生い立ちを順に書いてきましたが ここで彼の現在の生活について 少しご紹介します。 不登校特例校について現在HSC君は中学三年生になりました。 今は不登校特例校の私立中学校に通っています。 公立中学から転校しました。 思い描いていた生活とはだいぶ違うようですが 公立中学のような理解不能な校則や 軍隊式説教、体罰等がなくなって だいぶ明るい表情になったと思います。 また、担任制ではなくチーム制なので 学年の先生すべてと関わることになります。 5~6人くらいのチーム
HSC君の生い立ちとともに、 そのデリケートさでの困り感を 年齢とともに振り返っていきたいと思います。 今回は1歳の誕生日過ぎに転園した 私立の認可保育園に入ってからを書きたいと思います。 1歳児クラスのころ1歳過ぎて入園した保育園は 一時保育で入園しました。 週3日、朝9時~16時、一時保育クラスへ。 バイト先で就労証明を書いてもらいました。 入園してからのHSC君は、 元気でノリのいい先生が大好きで 沢山話すようになっていました。 先生からも「めっちゃしゃべるじゃん
HSC君の生い立ちとともに、 そのデリケートさでの困り感を 年齢とともに振り返っていきたいと思います。 今回は生後6か月から1歳までです。 生後6か月から8か月のころ発達のスピードも順調、病気も順調に乗り越え 上出来じゃないか!と思っていたころ そろそろ仕事復帰しようかと考えます。 私はHSC君出産前から 特殊な仕事をしていて、ブログを書いていました。 HSC君との日々もブログに綴っていて。 周りが変わらないスピードで 仕事をこなす内容を読んでいて 焦らないはずもなく、
HSC君の生い立ちとともに、 そのデリケートさでの困り感を 年齢とともに振り返っていきたいと思います。 今回は生後6か月までの間です。 生後3か月まで生後間もなくから3か月までのHSC君は、 とにかく母乳をうまく飲めないので エナドリ感覚で20分間しぶしぶ飲んでもらい 粉ミルクを追加する混合授乳でした。 体重もしっかり増えていき ぷにぷに感がかわいかった。 あやしてあげると大声で笑う 明るい子だな~と思う反面 実母や友達に対しては、泣いてしまったり 反応が薄かったり、人
HSC君の生い立ちとともに、 そのデリケートさでの困り感を 年齢とともに振り返っていきたいと思います。 出産のことHSC君が生まれたのは妊娠39週 微弱陣痛からの促進剤により、へその緒が首を絞めてしまい 心拍低下からの緊急帝王切開でした。 とても緊迫した手術でしたが HSC君は大きな産声を上げて生まれてくれたのと 私のそばに来たときには、ぱっちり目が開いていて しっかり私の顔を見てくれたのが印象的でした。 そして、とってもかわいい。 親ばかで申し訳ないのですが くっきり