春の雪
いつだったか、イングリッシュガーデンの催しでヘーゼルナッツの変種を見ていたら、同じ鉢に目を留めたご婦人がその枝ぶりを褒め、そして僕に、自分の習っている華道では、こんな変わり枝も花材として使うのだと言った。
ナチュラルなんですねと問うと、その流派は山村御流といい、自在に伸びた枝物を用いたりするという。
「野にあるように」ということもおっしゃる。バラ苗だの花柄の雑貨だのという催しの中で、そういう寂びた話が面白くてよく覚えている。僕はワークパンツにブーツという格好で、「園芸関係の方だと思った」のであなたに話してみたのだとも言った。
山村御流の家元は、奈良の圓照寺。
江戸時代から続く尼寺で、奈良の「山の辺の道」に、一般に開かれずひっそりとある。初詣の奈良、人混みを避ける方向でバスなど乗り継いだら、その先にあった。細かな砂利の緩やかな参道、周りには高い木が茂っていて、ほの暗い。
この寺は花の関係だけではなく、小説の舞台としても知られている。三島由紀夫の遺作の「豊饒の海」。最後にこの坂のシーンが出てくる。
「その杉木立の暗みの中を、白い蝶がよろめき飛んだ。点滴のように落ちた日ざしのために燦と光る羊歯の上を、奥の黒門のほうへ、低くよろばい飛んだ。なぜかここの蝶は皆低く飛ぶと本多は思った。
……
これと云って奇巧のない、閑雅な、明るくひらいたお庭である。数珠を繰るような蝉の声がここを領している。
そのほかには何一つ音とてなく、寂寞を極めている。この庭には何もない。記憶もなければ何もないところへ、自分は来てしまったと本多は思った。
庭は夏の日ざかりの日を浴びてしんとしている」(豊饒の海・天人五衰)
浅く江戸時代の作で、明るく開けたお庭なのだと思う。中には入れないので、表から見た予想ではある。
手前には華奢な黒門があり、それは皇族の関係である門跡寺院であることを示すらしい。
豊饒の海の第一部は、映画にもなった「春の雪」。春の雪では、若者が友人にまた会おうと言ったりする。そのシーンの門もある。
若者は、元の許婚を求めてよろめき雪の中たどり着く。
「今、夢を見ていた。又、会うぜ。きっと会う。滝の下で」(豊饒の海・春の雪)
若者は衰弱して亡くなってしまい、女性の方は剃髪してこの寺に入る。
小説「豊饒の海」の中では、寺は圓照寺ではなくて「月修寺」という。
三島由紀夫がドナルド・キーンに、豊饒の海というタイトルを解題するエピソードがある。これは月世界の地名であり、豊かさではなく、本当はカラカラの冷たい何もない海を指すのだと。
それからすれば圓照寺、つまり太陽の照らす場所でなくて、月修寺、月のおさめる国ということなのでしょう。
訪問、帰るさに通りに出たら、雪が降り始めた。奈良・大和平野に1月初めの、これは本当の春の雪だなと思っていたら、降り止まずにどんどん積もっていった。
圓照寺にはまたうわさ話があり、さきの山村御流を開いた門跡は、実は昭和天皇のご兄弟の、双子の妹なのだという。双子が忌まれた時代に遠く預けられたというが、本当のところは分からない。
「春の雪」は豊饒の海の中でも美しい小説で、映画監督のフランシス・コッポラも撮影の合間に読み返し、映画化を強く願ったと聞いた。