人間関係/対人関係

これはあくまで2025.02現在のわいの感覚であることを先に述べておく
これから記するように、色々なことは経てきているつもりなので
ある程度はまとまったが
これ以降あるであろうことでまた変わることがあるかもしれない
その時はその時で(わいの肉体が生きていて、noteが存続してて、noteを書ける状態であるならば)書く

そして他人のプライバシー保護の観点からなるだけ伏せては書いていくが
いわゆる「この事をいうてるんだろうな~」というカラーだけは濃くして書いていきたい、ああ文才があればそれがもっとたやすく出来るだろうに…

さて
わいの人間関係についての話、本題である(超長いよ~、分けろという話ではあるが、わいの中では全部連結していることなのだ)

わいにある程度関わったことがある人ならわかるのだが
わいは大変気難しく、独特で
世間がラベルを貼るところの「変わった人」らしい

自分もそういった点で生きづらさというのは抱えている自覚はある

対人関係というところで小さなトラブルをよく起こしてきた
まぁトラブルといったら「まぁ、トラブルゥ?」と眉をひそめられそうだが
別に大したことではない
ただ最初にわいが分かりやすく他人に受け入れられるタイプでないこと
他人との行き違いから気持ちが行き違い、喧嘩になったことも、ということなどなどをトラブルとしてまとめて言っている

まず最初に言っておくと
わいに原因があったなということの多くに関しては
自分で理解している、つもりである
もちろんまだ指摘されずに、自分でポイントを見つけられずに
理解していない・目を伏せているとこはあるとは思うが
ただ他人が思っているよりは理解している「つもり」であるということだ

その上で
わいは他人と関わることで、他人が思うよりも傷ついてきたのだと思う
もちろん、同様に自分も相手を傷つけてきた場合もあるとして

例えばいじめ問題というものがある
わいも被害者・加害者の両方の立場に立ったことがあり
大体は被害者的立場に立ったのだが
まぁ被害としては世間で「うわぁ…」みたいなやつとかと比べればいささか外的被害的だったりがマシではあるのだが
それに意外と別にいじめ加害者的存在については基本的に
今でも「ぐぅ~~~」みたいなことは少ない
まぁ人やケースによっては「あれのせいでややこしくなった、やりづらくなったわぁ」というのもあるが
でも逆に今から書き記すことを炙り出せた意味では「よくやってくれた」ともいえる

そう、わいがその件に限らずだが
他人と関わる上で傷つき
恨んでいるものがあるとしたら
「仲良くしようと相手から寄ってきたのに、いざさっさと切り捨てた人間」
「私は中立ですよ的に振舞った傍観者的存在」だろう

まずそもそもわいは他人と仲良くしたくないわけではない
自分と気の合う存在
「ウホッ、良い顔」など好みの要素がある存在とは
別に(互いが無理しない程度、お互いが許容できるところが交じり合う場合)仲良くはしたいと思うのだ

だが、じゃあ
「友達がいないとダメ人間みたいでだめだよね」「友達いないとトイレ行けないのぉ」「とりあえず誰かしらと仲良く~」みたいなそういうアホらしい一般的な認識ではないのだ
その人が好きで仲良くしたいというのでなく、友達を持っておかないと・友達いないと探そう、というのでは動かないというか
つまり外面や見栄のために友達を作りたくはないのだ

そして基本的に他人と関わる場合
わいは幼少期から
あくまで遠巻きに眺めて
たまにつっついて、ふざけて反応を見る(もちろんこれが他人からしたらウザいことは理解している)
それだけ出来ればいいのだ

そして幼少期、鏡の前で一人で踊っていたように
基本ソロプレイ向きの人間であるのだ


さてそれらを念頭に
まず
「仲良くしようと寄ってきたのに切り捨ててきた」人間であるが

2024に至るまでの中で
「ひろきくん、仲よくしようよ」と声をかけてきた人間はいるのだ、そう、意外といるのだ
熱量にそれぞれ違いはあれど

そしてそれらをダイジェスト的に振り返ってみれば
大体最初はわいの方が乗り気じゃない場合は多かったのだ
相手のほうがなんか絡んでくるというか

だが、何回も「あ~そぼ、あ~そぼ」とされている内に
ほだされてしまい
遊ぶようになるのだ

するといつしか自分の方が気を許しているわけで

もちろん、気を許す中で
わいが他人に対してだらけきった態度をとったことは理解しているし
そういった色々によってこれから述べる事柄が生じたことは理解している
決して自分だけを正当化してはない

だが、だがだ
「ひろきくんに興味がある、結構好き、仲よくしようよ」とずんずかずんずん私の心の扉を「おじゃましまぁ~す」と強引に開けて入ってひっちゃかめっちゃかにした相手は
結局消えるのだ
相手の好きなタイミングで、相手から、消えるのだ

するとわいの方はどうだろう
自分の心の部屋を見渡してみれば
まぁなんと散乱しているではないか

そして相手を訪ねてドアをコンコンする、出ない場合もコンコンする
「どういうこと?」でもいいし、相手と関わるのが癖になってしまっている、心をもっていかれてしまっている(変な意味じゃなく)などで
すると相手はこう対応するのだ「何、今更、何、付きまとってんの?、もういいから」的態度

まぁ
こういったことだったりなんだったりは
人間さんの誰でもあるだろう

だが
わいはその特異性からか
そういった珍しい子と仲良くしておきたいだとか、そういう人間関係ハンターからコレクションしておきたいか何かだと思われるのか
大体どこの環境に行ってもそういうややこしいことになるのだ

そしてそういった場合
相手には選択肢があるのだ
だがわいは相手に一方的に入り込まれた後
どんどん選択肢を奪われるのだ
そして選択肢が狭まったぐらいで、放り出されるのだ

そして大体それをする相手というのは
大体
他に多数のお友達をしっかり作っていらっしゃる
抜け目がない
多数の愛人、避難所と言ってもいいかもしれない
自分がこういった事によっては損害を受けるのを最小限に済むように(意図的かそうでないかは置いておこう)、ちゃんと用意しているのだ

そしてわいだけが身ぐるみはがされて
おヌードで夜の寒風ぴゅーな街に立たされているのだ(例え)

まずこれで
わいの対人関係の観念が良くも悪くもな状態になり
病んだような時期すら生み出した

そしてもう一つ
「中立的存在傍観者」というのが厄介

普段仲いいわけじゃないが
穏便にことを済ませたいために
「僕・私は別にひろきくんの表立ったアンチではないですよ」という感じでいる
もしくはわいに対してアンチ的行動はするんだけど「決定的なことはしない」から他人から裁かれにくい立ち位置に自分を置くタイプ

あれが一番わいからしたら邪魔だわ~
だからまだ(無論ことの重大さによるし、こちらもうっとおしいという意味で邪魔ではあるが)いじめっ子の方がマシなのだ

中立的立場が邪魔で邪魔で仕方がない
あの上手いことやってる感じも鼻につく(これも小学校時代に多めだったな~、どんだけ魔物の巣窟だったんだ、あの時代)

そして「表立ったアンチではないんですよ~」については
いざこちらと二人になるタイミングだったり
わいが普通に「どうも~」みたいな感じで会釈するとしよう
そうすると平気でグーパンでわいの顔面を一発殴ってくる(例えです)


とまぁ

この二つが
わいの(これまでの経験によって)恨みに思うタイプである

もちろん、普段忘れているし(自分の事だったり現在に忙しいからね)
まぁ、どうでもいいっちゃ全然どうでもいいのだが
ただ結局その傷というのはわいの中にぎったぎったにあるのだ
残っているのだ
太った後に急激に痩せたときに残る肩のイトミミズみたいなやつ(実際にわいの体にある)みたいに残り続けているのだ

なのでその傷にたまに気付かされるような時
まるで三日月を包丁砥がすり減るぐらいまでに研いで尖らせた、そんなような目をしている自分になっているのだ

そう、先ほどもいったように
多数のそういったお下品な人間によって
わいの対人関係観は「もうぅグチャグチャよぉ!」という感じになったわけだ、他人換算するところの27年で

あとそういったものの両方に共通していえるのが
そういうのに限って
「わたしは何もやましいことしていません、まっとうに生きています、スポーツして汗をかくって気持ちいいですよねぇ~、自転車でツーリングしているんですよ普段、ははは~、世間でいわれている炎上案件のアレコレ?いやぁ、酷いですよねぇ~」といった感じの顔で普段生きてらっしゃるのだ

自分自身を美化してみないようにしているか
本気でそんな顔をしているとしたら、圧倒的に実は足りていないのだろう

だが世間はそういったところで見ないというか
そもそもそういう方たちの存在自体実はどうでもいいと思っているのもあってか
「あ、フツーにやってらっしゃる人間さんだわ」と評価していらっしゃるのだろうけども

つまりわいも足りていないが
そういった方たちはきっとわいとは足りていない場所が違うのだ
わいも代わりにそこが足りていなければ、精神的にもっと楽に生きられたのにぃ~と、わざと嫌味を一つこぼしてみる


話はちょっと別の路線になり

わいは好きな存在のタイプに「変な奴」というのがある

そもそも「すぐ他人と仲良くなれる系」の人らにも才能ある人、面白い人はいるのだろうが
わいはこれまでにそんなに出会ってきていない
大体才能や面白さを感じるのは
分かりやすくいえば「孤立しているような変な人」なのだ

まぁわいも孤立しているような変な人だろうが
わいは別にそこまで才能あるでしょぉ~面白いでしょぉ~といきすぎてるわけでない、少なくとも顕在意識の中では
ただ自己評価というよりかは、自分自身は別に大事というか
卑下はしないし、「いいじゃん」って感じで自分について思っていたりするが

話がズレた

とにかく
そういったこともあり
「他人とすぐ仲良くなれます~、無難に人付き合い多いです~」みたいな人は偏見込みで「平凡な、よくありふれたやつ」と認識する場合が多い

わいはそういったところからあぶれて
場合によっては煙たがられているような
で、実は頭いいです、才能あります、顔もいいです的なのに弱いのだ

そしてOIS era (2009-2013) の前の段階でわいの心は疲弊しきっていたのだが
OIS eraでそういったわい好みの存在にようやく出会えたのだ

通称トイレ坊やは
それから崇高な存在としてわいにいい意味でのしかかり続けている

そして勿論彼の方が色々出来る、持ってる、頑張る人ではあるが
わいはなんだか彼との間に、言葉にできない、自らとの共通性というものをひしひしと感じたのだ

わいは奴を好きになり
それこそわいが苦手な「誰とでも仲よく、自分にもコレクション目的で掌握しようとしてくる」人間が彼の周りで彼をたらそうとすれば不快であったりもした

お互いに一筋縄でいかない中身ならば
もちろん一筋縄でいかない
互いの手綱は握っている状態であっても、その縄は複雑に絡む

ある段階からわいはそれに我慢できなくなり
誘いにのっかり、離れ、そこからもつかの間の逢瀬はあったが
最終的にわいと彼は、わいが思ってもないことを彼に言うという
ある種最悪の結末で、わいのライフからの彼の失踪を招くという結果を起こした

そしてそこから(まぁそれだけが原因じゃないが)
わいの迷走は始まった(2015からね)

彼を失った
あんど、その当時わいには軽い付き合いの友達に区分されていたであろう人間たちはまぁまぁいたのだが
まだ自らの特性だったりなんだったりをしっかりと把握しきれていなかった自分は
大切な人を失ったショック、とりあえず今ある目の前にあった状況に躍らされるという、組み合わせてはいけない二つが組み合わさったことにより
(今から考えたらなんともまぁ糞な)過去の知り合いにやたら「会おうよ、今でも友達じゃね?」的モーションをかけたり
今から考えたら「私おかしかったのよ」というようなことを繰り返した
本当は人間関係に積極的じゃないのにもかかわらずだ
とにかく喪失感や目的を埋めようとしていた

そういう自分らしくないことをしていることは自分のみえないところで重荷となっていたのだろう
病的にSNSのアカウントを変えたり(これについては大方自分のリセット癖でもあるのだが、要は暴走化してしまった要因の一つということ)

そして別記事でも述べるが、ゲイにやたら(自分ではそうしているつもりはなかったし、そうは見えなかったかもしれないが)こびへつらったような感じになったりもした
「まぁ~お兄さん、今日は麻婆豆腐なんですの、素敵だわぁ~」的なそういうアレ

とにかくなんというか
やる事なす事
空回っている、そんな状態が他人換算でいうところの5年ほど、もっと続いた

要はわいはソロ活動向きなのに、グループ活動を無理にやろうとしたのだ

そしてそもそも自分と合わない
冒頭で述べたようなわいが嫌いなタイプも今思えば結構いるわけである

そういったのも含め、わいは他人の対応・態度に毒を挿され
毒は神経を回り、自分は自分でなくなっていたのだ

結果、更に多くの他人はわいの周りを離れたのだが
でもこれは実はわい自身が望んでいたことなのかもしれない
見えない潜在意識のようなものが招いた現実ともいえる

そう、わいは当時からある程度にいたるまで、トイレ坊やさえいればよかったのだ
だが結局大切な存在を目に見える形で失ってしまい
その代替も見つからなかったとしたらば、どうすればいいのだ?

そしてそれが無いというならば
わいは世間の「おともだちはひつようだよぉ~一人でいちゃだめだめですよぉ~」みたいなようなものにかき乱されず、一人でいればよかったのだ

まぁそういった騒動みたいなようなものは
自らの抗体となり、今色んな事がわかるということに繋がったから
そこでいえば結果オーライなのだが

そう
そしてさすがにある時期から、わいは違和感を感じ始めた
そして「あれれぇ?おかしいぞぉ?」と
解毒作業が始まった
もちろん今も毒が抜けきったわけではないとこはあるかもしれない
それでも以前と比べたらだいぶ血は綺麗になっただろう(例え)

ちなみに
わいは今でもトイレ坊やの、わいの世界への帰還は待っている
そもそもわいが「ひろきくんだお~」ということを告示した状態で𝕏を続けていたのは
「もしかしたらトイレ坊やがわいのことをggって、ほしたらこのアカウントが見つかって、いい感じにもつれた糸正せるんじゃね」的な思惑があってのことだ

まぁそれに迷走が入り込むと
出会い系垢みたいな使い方をSNSでやらかしてしまっていたわけだが
これについては詳しくは別記事で

まぁとにかくその毒はおおかた抜けたわけだが

今でも𝕏は続けているし、「トイレ坊やがわいの事を探しにきた時のために」という𝕏やらSNS続行の理由は継続している
英語喋れなくなったのに(いや、元々喋れないけどさ)、International School出身などと書き込むのは最早羞恥プレイであるが
そうしているのはやはりトイレ坊やから捜索されたとき分かりやすくするための一環である

なので今でも奴はあくまでわいにとって大事な存在(相手がどう思っていようが、忘れていようが)であり、「あんたぁ何様ぁ?」な言い方をすれば大変著しい評価を彼にしているのだ

で、それは置いておいて

わいは別に彼だけに固執しているわけでなく
ビビビっとくる相手がいれば
その存在を第三の〇〇~、第四の〇〇~として
(これまたえっらそうな言い方だが)受け入れるつもりではいるし
わいの👁️自体は未来というか
現時点でこれからのものに向いているわけで

2025.02現在は
わいが勝手に軽く友達扱いしている(相手も嫌な気はしていないんじゃなかろうか)子が2~3人ほどいるという状態である

友達というか単純に自分が落ち着くし、「ウホッ」という感じになれる部分があるので、相手がどうとかでなく、わいが気にいっている
そんな感じである


しっかし
小学校時代は一人、二人(まずわいと6年生かなんかの文化祭まがいみたいなやつでわいとユニットを組んでくれた子)(あとその後だいぶわいの肉体が成長、年数が経過した後に再会して、2~3回ほど居酒屋で呑んだ子)しか
頭が良くて、所謂まともなのがいなかったし

アクシス時代は自分とおんなじ事務所で同じ学校で~みたいなのを最初なんでか無視していたら(実際に泣き?はしてなかったと思うが)、泣くぐらいの勢いで仲よくしようよ~ってきたから仲よくしたら、その後案の定悪い意味で「ちゃんちゃん♪」みたいな結果になり(後年再会した時はわいが悪く捉えるならば「今は今の生活が楽しいからお前の事なんかしらねーよ♪」みたいな感じ・雰囲気だった)

OIS eraもトイレ坊やな奴は素晴らしいとして
歳というものが上なだけの、まぁじめっとこじらせてる、何か悲しいことでもあったんですか?ってぐらいじめっとして暗いのが、いちいちこっちに当たり悪いわ
トイレ坊やとの関係において、それこそ「誰とでも仲良く~」みたいなイガグリ坊主みたいなんがほんっと邪魔だったし

プラムの時はその当時は侵されて楽しかったかもしれないが
(対人関係的に)自分に合っていないことをさせられていただけだったし
わいは勝手にゲイ扱い(そりゃある意味で間違ってないが)され、海外ドラマに憧れた女性達(奇麗な女性だらけであったが)のゲイフレンドのような立ち位置にさせられるし
そして結局残ったものは何もないし(別に残ってほしくもないのだが)

その後の隠居生活の時はまぁどちらかというと自分自身が(いつもおかしいけど自分にそぐわないおかしさという意味で)おかしくなってたし

ゲイゲイeraの時は
先述のように(自分ではそのつもりないけど)ゲイにあぁそうでございますか~的とおべっか的感じもありつつ、かつ
今から考えたら「てめぇレベルの男ごときなんでそこまで有難がらなあかんねん」という程度の男に関わろうとしたり関わったり、結局自分の中でちゃぶ台ひっくり返しが常だったし
男だったらなんでもいいんかいぐらいの水準まで落ちていた気もする(それだけトイレボーイ失踪による傷が大きかったんだと思われる)

あと仕事関係は別に友達じゃないし(仕事をしにいっているわけで)
(だからそもそも悪印象がない、あと小さい時の仕事は良い人たち多かったけど別に当たり前だが現在付き合いがあるわけじゃないし)

という感じに
自分が悪かった・自分が余計なことして台無しにしたというのを含めたとしても
自分の研ぎ澄まされたeyesで振り返って見れば
可哀そうに、わいは基本的に2024か5以前はロクな対人関係を送ってきていないのである


S・A・T・E

さてトイレ坊やの時にも述べたが
わいはそういう他人・世間からあぶれてるようなものに惹かれる傾向が多く
現在でも引き続きそういった感じである

繰り返しになるが
別に友達多めぇ~、うまいことやってます系でも
自分的に何か評価できるところがあれば付き合うが
今のところ期待は持てない

まぁやはりお友達多めタイプよりかは
一人で行動します系の方が圧倒的に惹かれる
なおそれでオーラやら顔が良ければなおよし

あ、これはわいの人間の好みの話である
今綴っているのは「タイプ」の話なのだが

まぁ単純にそういうタイプが好きなのだ
ただ繰り返すが、もちろん、ただあぶれてりゃあいいわけじゃない
糞すぎてあぶれているようなのは要らない
わいが「ウホッ」と思えるところがあって、あぶれているのがいいのだ

そしてまたまた先述したように
別にわいは
友達いらね、という訳ではなく
・あくまでくだらない人間に時間と労力をこれ以上割きたくない、割けというなら対価出せ
・友達というのは作ろうと思って作るものではない、そして自分が「ウホッ」と思った人間に近づきたければ近づく、ただそれだけ

ということなのだ

ただ
主にゲイゲイeraの時にそうだったのだが
自分が「ウホッ」と思って軽くアクセル踏んだ相手が
「なんだ、つまんない奴、期待外れの奴じゃん、時間と労力返せ」みたいなのは結構あり、失敗もあったりする
この時はたぶん迷走によって、「あぁ早く何とかしなきゃ」とか目先のことだけを見ていたからだと思う、今もそういったとこはあるが

あとは関係性

それこそ異性同性問わずセックスフレンドになっても問題ない(これについては別記事でもちょい触れてるが)

お互いがお互いを「あぁ親しいですよ」としても恥ずかしくない、周りにいえますよ、違うな~と思わないですよ的な感じならば
肩書もどうでもいいかもしれない

ともかく
結局、あぁお互いに「あぁお互いいいよね、必要っちゃ必要だよね」があることが大事である

そしてわいの場合
長期間関係が続かないとそういった存在に信頼性・信用が加わらないというのは、引っ掻き回されて構成された対人関係観に含まれている
これまでが短期間とか、期間はあってもいまいち煮え切らないみたいなのがまぁまぁあったので
長期間、お互いにあぁ仲いいですよね的実感があれば
それがわいのフレンドだったり(まぁ肩書なんでもいいけど)、そういう
わいの関係者~ということになるのかもしれない

あと色々あったが
今のわいの歴史、まともな感覚の中では
少なくとも2023から2024以前の人間・魂たちの中では
トイレ坊や以外はわいの友達としてカウントしていない、歴代全部ひっくるめて
(まぁ小学校の時にユニット組んだ子は相手がわいの事を当時は友達だと思っていたというスタンスならば、彼も以前は友達だったということにしてもらって別に構わない、あくまでわいからはトイレ坊やだけである)

それ以外が「以前友達だった」だとか付き合いがあったとか
仮にほざこうが
今のわいからしたら「どの口がいうてる」という場合も「どちら様ですか?」という場合もある


別にこれから
気の合う存在自体とは出会うだとか
関係を詰めるような関係自体はあるだろう

一時期「可能性」というものを逃さないように
無駄に我慢して動き回ったりしたことがあったが
可能性というものは自然に生まれるものである
自分が何気なしに動き回ったり生きてる中で
勝手に開かれるものだと思ったので

そういうことを踏まえた上であくまで「可能性」はあるとだけいっておく

あと2025.02現在の気持ちとしては
ハンサムな友人がいた方が
やる気は出るな、というのはある
これはセクシュアリティの話にも関連するが…(そちらはセクシュアリティで)

とにかく
2025.02現在の
これまでの対人関係
全部ではないが考え方・スタンスはこういった感じである

(2025.02 修正再投稿)











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