16年前のモドリッチ。「クロアチア版インテル」~快進撃を続けた小クラブ
6月30日、私が翻訳を手がけたモドリッチ自伝『マイゲーム』(東洋館出版社)が出版されます。昨年にバロンドーラーとなったモドリッチですが、若い頃のキャリアは決して順風満帆ではありませんでした。ディナモ・ザグレブのトップチームに上がれず、17~18歳に隣国ボスニアのズリニスキ・モスタルに武者修行として送られたストーリーは、自伝の第四章「ディナモ時代 ~ 大人への階段」におけるハイライトの一つです。
ズリニスキでの活躍を受け、ようやくディナモとプロ契約を結ぶことができたモドリッチですが、翌2004/05シーズンにはザグレブ郊外にあるクロアチア一部のクラブ、インテル・ザプレシッチへとレンタルされます。降格争いが予想されていたインテルは開幕ダッシュに成功。中盤の要としてチームを牽引したのが、9月に19歳になったばかりの彼でした。
ウィンターブレイク中にモドリッチは危機的状態のディナモにレンタルバックされ、降格リーグへと巻き込まれてしまうのですが、インテルはハイドゥク・スプリトと最後まで優勝争いを続け、2位でフィニッシュ。モドリッチは自伝『マイゲーム』の中でこう振り返ります。
クラニチャールの離脱によって攻撃的ミッドフィールダーのポジションに空白が生じ、ディナモ幹部はそれを僕に埋めさせることを決めた。しかし、インテル・ザプレシッチを去ることが僕には残念だったんだよ。(中略) 秋の戦いぶりから判断すれば、インテル・ザプレシッチのリーグ優勝は現実的だったと確信している。ザグレブ郊外の小さなクラブにとって、リーグ優勝は驚くべき成功談になったのだろう。
16年前に国内を驚かせた小クラブの躍進がクロアチア・リーグ取材4年目となる私からはどのように映ったか。クロアチア在住時に取材した「インテル vs.ディナモ・ザグレブ」を軸に、かつて個人ホームページに載せていた記事を再掲載します(いずれの写真も筆者による撮影)。
「クロアチア版インテル」~快進撃を続けた小クラブ
『クロアチアに行こう!!/現地発!!クロアチア・サッカーレポート』
2004年9月5日掲載
2004/05シーズンのクロアチア・リーグは大異変が起きている。国内二強のディナモ・ザグレブとハイドゥク・スプリトがともに不振を極め、ニコラ・ユルチェヴィッチとイヴァン・カタリニッチの両監督それぞれが辞任。第6節を終わったところで首位に立つのは、開幕前には降格候補の一つに挙げられていたインテル・ザプレシッチだ。成績は6戦全勝、失点ゼロ。ディナモとハイドゥクの勝ち点を足したところでも(7+10)、インテルの勝ち点18には及ばない。今季快進撃を続けるこの小クラブをクローズアップしてみよう。
インテルの本拠地のあるザプレシッチ市は、首都ザグレブから西に15km、人口約2500人の小さな町。かつてはザグレブの一部だったが、1994年に市制が敷かれ、ザプレシッチ市となった衛星都市である。この町にクラブができたのは1929年、マルティンコ・ヴィドなる人物によってだ。
その後はスポンサーであるセラミックメーカーの名前をとって「インケル・ザプレシッチ」と呼ばれたクラブは、旧ユーゴ時代は目立たない一地方クラブだった。1991年、クロアチア独立と共にクロアチア一部リーグのメンバーになると、イリヤ・ロンチャレヴィッチ監督の下、初年度の1992年はリーグ4位。のちにクロアチア代表として61キャップを築いたズボニミール・ソルドは当時のメンバーだ。同年に行われたクロアチア・カップではHAŠKグラジャンスキ(現ディナモ・ザグレブ)を1-0で下し、初代王者に輝いた。その後はリーグ9位、4位、7位とまずまずの成績を収め、小クラブながら「巨人」(Div)との愛称を得ていたものの、1995/96シーズンに13位、そして1996/97シーズンは最下位の16位でついに二部へ降格してしまった。
2000年1月、クラブは財政難に陥り、経営者たちはチームを手放したことで消滅の危機を迎えた。そこで会長となったのは無類のサッカー好きであるブランコ・ラリャク氏。一部復帰のプロジェクトを打ち出したインケルは、2002/03シーズン途中にディナモのスポーツディレクターの職にあったロンチャレヴィッチを呼び戻し、有能なディナモのユース選手であるFWエドゥアルド・ダ・シルヴァ、MFアンテ・トミッチ、DFイヴァン・チョシッチ、DFパトリック・クウェディの4人をレンタルで連れてきた。彼らの活躍で二部南リーグで優勝すると、二部北リーグ王者のマルソニアとの昇格プレーオフには敗れたものの、一部リーグ11位のポモラッツとの入替え戦に勝利。念願のリーグ復帰を果たしたのだ。
2003/04シーズン、ギャンブルに手を染めて長らくサッカー界を離れていたヨシップ・クジェ(元ガンバ大阪監督)を監督に迎えた。選手の出入りは激しかったものの、クジェは短期間でチームを整備。第3節のハイドゥクとのアウェー戦では4-1で勝利、第9節のディナモとのアウェー戦でも1-1のドローなど番狂わせを起こし、ディナモ、ハイドゥクに次いで3位の位置をキープした。しかし、得点力不足も祟ってチームは失速。降格リーグへと回り、最終順位は8位。それでも一部復帰の初年としては合格点をつけられる成績を残した。また2003年11月、これまでスポンサー料を払ってこなかったインケル社との関係を断ち切り、新たなチーム名を公募して「インテル」と決めた。イタリアのインテルは「インテルナチオナーレ」(国際的)の略称だが、クロアチアのインテルは「インケル」と韻が近いというだけ。これほどいい加減な改名は世界広しといえどもここだけだろう。改名後は新聞でもしばしば誤記が見られたが、ようやく最近はクロアチアの「インテル」という認識が広がった感がある。
本拠地もクラブの名前をとって「NKインテル・ザプレシッチ・スタディオン」。8000人収容で、メインスタンドにはクラブカラーの黄と青の座席がある(両端はコンクリートのみ)。7つのカテゴリーに分かれるユースアカデミーには定評があり、ミハエル・ミキッチもここの出身。市内の4つの小学校にサッカースクールを組織し、才能ある選手を発掘している。今でもクラブの財政は豊かではないものの、地元企業22社がスポンサーとなっている。
【スレチコ・ボグダン監督】
クジェ監督は昨季終盤に一部残留を決めた時点で勇退。後任監督にはスポーツ・ディレクターを務めるスレチコ・ボグダン氏が就任した。現役選手としてのボグダンはNKザグレブ、ディナモでプレーしたのち、ブンデスリーガのカイザースラウテルンで活躍。1990年のクロアチア代表メンバーとしても名前を連ねた(ルーマニア戦で1得点)。現役を終えたのちはカイザースに残り、ユースアカデミーのディレクターに。昨季にスポーツ・ディレクターとしてインテルに迎え入れられたのだが、監督職は彼にとって初めてとなる。ボグダンはドイツ・サッカーの宣教師ごとく、とかく怠慢なクロアチア人に規律を植えつけた。ボグダンは四六時中、選手たちにこう言い聞かせている。
「君たちは私のために働くのではなく、自分のために働くのだ、ということを理解してくれ。そして常に自分の中に101%の努力、101%の規律、101%の集中を要求せねばらない。私の基本的な要求に、君たち一人ひとりが1%ずつ加えることを期待している」
ボグダン監督に委ねられた戦力は決して恵まれてはいなかった。昨シーズンの攻撃の核だった司令塔マリン・ラリッチ、FWネノ・カトゥリッチとFWイヴィツァ・カラボグダンのツートップは揃って退団。U-21代表DFのダリオ・ボドゥルシッチはスラヴェン・ベルーポ、現アシスト王のMFジェリミール・テルケシュもザダールに移籍。合計で12人もの選手がチームを去った。昨季途中ではあるが、DFイヴァン・ラデリッチがセレッソ大阪に移籍している。
そんな中、ボグダン監督はクロアチアリーグに流行する3-5-2システムを採用。昨シーズンから安定感のあるクルノスラフ・ヴィダク(32歳)、スティペ・ブルナス(35歳)、スルジャン・ペツェリ(29歳)のベテラン陣を3バックに据えた。ちなみにペチェリは元清水エスパルスのDFだ(登録名ペチェル)。ヴェレジュ・モスタルでキャリアを始めた彼は、ツルヴェナ・ズヴェズダ(レッドスター)やバルセロナにも所属した。流れ流れて2002年にエスパルスへ移籍し、戦力外になったあとは6ヶ月間サッカーを離れ、親の仕事を継ごうとしていたところ、クジェから呼び声がかかったという。
GKダルコ・ホルヴァト(31歳)は二部のソリンやイストラ、あるいはリエカの控えGKとして目立たないキャリアを築いてきたが、昨季にインテルに入団してからは安定したセーブを見せ続けている。今季に至っては一度もゴールを割らせていない。8月31日の移籍期限が迫ってディナモ・ザグレブが獲得を示したものの、好調をキープする今の環境を変える意思はなく、オファーを拒否したそうだ。
中盤から前線にかけてはインテルのユースで育てた選手と、ディナモ・ユース卒業生の中からレンタルされた若手で構成されている。インテル・ユース出身でレギュラーを張っているのは、守備的MFのスティエパン・ポリャク(21歳)とエルナド・スクリッチ(24歳)、右MFトミスラフ・チェライ(26歳)、FWのダヴォール・ピシュコール(22歳)とベルナルド・グリッチ(24歳)といった面々。ディナモやザダールに在籍したMFトミスラフ・ゴンジッチ(24歳)もインテルでキャリアをスタートさせた選手だ。
ディナモからはDFイヴァン・チョシッチ(21歳)、MFマルコ・ヤニェトヴィッチ(20歳)、MFルカ・モドリッチ(19歳)、DFフルヴォイエ・チャレ(19歳)、DFヴェドラン・チョルルカ(18歳)、FWテオ・カルドゥム(18歳)、FWマルコ・ツヴェンク(18歳)がレンタルでやってきた。
特筆すべき選手は、U-21代表でも司令塔の役割を任されているルカ・モドリッチ。クロアチア人としては173cmと小柄な彼は、ボールテクニックと軽やかなステップが優れた攻撃的MFだ。オブロヴァチュキという町に生まれた彼は、故郷に近いザダールのユースでサッカーキャリアをスタートし、16歳になる一か月前に親元を離れてディナモ・ユースへと入団。昨季はボスニア・ヘルツェゴビナのプレミエルリーガ(一部)、ズリンスキ・モスタルにレンタルされ、8得点・15アシストという好成績を残してチーム最優秀選手に選ばれた。今季はインテルにレンタルされたモドリッチは、クロアチア主要5紙の平均採点でGKホルヴァトを上回る現在リーグトップだ。
「誰が僕をインテルにレンタルさせることを決めたか知らないよ。チーム関係者からは『君にとっては良い選択だろう。インテルで進歩することで君のキャリアにプラスになる』って言われたけど、それは正しかったね。しかし、ディナモでも自分のポジションはあると信じている。僕は自信に満ちあふれているし、どれだけ自分に価値があるかも分かっている。U-21代表でもレギュラーなわけだしね。しかし、現時点はインテルでプレーしている、ってことさ。チームも良いプレーをしているし、首位を維持している。ボグダン監督は最高の指導者だし、チームメイトとの関係も最高だ。ザプレシッチでは本当に満足しているよ」
ズボニミール・ボバンとフランチェスコ・トッティが目標で、将来プレーしたいクラブがバルセロナというのはニコ・クラニチャールと同じ。ニコ・クラニチャールがディナモを去ったあとの司令塔を任されるのはこの金髪の若者だろう。
またディナモ・ザグレブに9年在籍したのちに戦力外となったダミール・クルズナール(32歳)が左MFとしてプレーしている。海外移籍も考えたが、昨年からザグレブ近郊で始めたダチョウ養殖の仕事の兼ね合いもあってインテルに移籍してきた。クルズナールはこう語る。
「インテルはとりわけよく働くチームだ。スター選手はいないが、すべての選手が『協力し合えば成功に到達できる』と認識しているし、今は全員がそのように頑張っている。ドレッシングルームでの雰囲気が素晴らしいことは次なる成功と良い結果を保証するものだと思っているよ。シーズン前は自分の調子に対して少し不安はあった。ここ2~3シーズンはディナモでも年間に5、6試合しかプレーしてなかったからね。しかし、今は素晴らしい感触をつかんでいる」
クロアチアリーグをよく知るベテランたちと、自分たちを証明しようとする活きの良い若手で構成されたチーム。それがインテル・ザプレシッチだ。
7月下旬、クロアチア・リーグが皮切り。開幕戦のNKザグレブ戦はアウェーで悪天候の中の試合だったが、FWピシュコールのゴールを守り切って初陣を飾る。第2節は昇格組のメジュムリエ(ホーム)で3-0と快勝すると、第3節のカメン・イングラード戦(アウェー)もピシュコールのゴールで1-0。第4節のスラヴェン・ベルーポ戦(ホーム)はグリッチの2ゴールで、さらに連勝を伸ばした。それでもインテルの快進撃は大きくクローズアップされなかったのだが、テレビ中継された第5節のザダールとのアウェーマッチで2-0と勝利すると(得点:ポリャク、ピシュコール)、「インテルの快進撃はフロックではない」と認識され始めた。開幕5連勝はこれまでハイドゥク(三度)とディナモ(一度)しか成し遂げていないからだ。ボグダン監督はこう振り返る。
「これはまぐれではない。5連勝なんて偶然で起こりえないものだ。しかし、私たちも本当に驚いている。現在の順位表を見るのは楽しいけどね。とはいえ、厳しい日もいずれやってくることになるだろう。いきなり3、4失点してしまうような試合が来る日をね」
【のちにライバル視されたディナモのMFクラニチャール】
開幕以来最大の山場は8月29日にやってきた。第6節にインテル・ザプレシッチはディナモ・ザグレブをホームに迎えたのだ。ユルチェヴィッチが去ったのち、ディナモの暫定監督となっているジュロ・バゴはザプレシッチの出身。つてはこのクラブでプレーし、カップ戦初代王者のメンバーとなった。今でもザプレシッチに住むバゴ監督は、こう警戒する。
「インテルの選手たちは燃えているはずだ。全員がディナモ相手に自分たちの力を見せようと望んでいるからね。インテルには何人かディナモ・ユース出身の選手がいるが、彼らには『自分の実力を証明し、すぐにでもディナモに戻りたい』という特別なモチベーションがあるはずだ。決して我々にとって楽な相手じゃない」
ディナモはクロアチア・サッカー界におけるエリート軍団。とりわけ今季は潤沢な資金のもと、大幅な戦力補強を図った。夏のU-23欧州選手権にも出場したFWゴラン・リュボイェヴィッチ、MFダニエル・プラニッチ、DFマリオ・ルチッチ、DFマリャン・ブリャト。そしてA代表歴のあるMFダニエル・フルマン、DFダミール・ミリノヴィッチ、FWゾラン・ゼキッチ。しかし、成績は1勝4分と振るわない。元ディナモのクルズナールは試合前にこう語る。
「ディナモはすべてのポジションに質の高い選手を揃えている。しかしながら、選手層に見合わないプレーをしている。いずれディナモが目覚めるのは間違いないが、次の試合でそれが起こらないことを願っているよ。インテル戦ではディナモの選手側に大きなプレッシャーが圧しかかっているはずだから、それが私たちのアドバンテージかもしれないね」
試合当日、アテネ五輪のハンドボール男子決勝(クロアチアがドイツに勝利して金メダルを獲得)の放送が重なったため客足が心配されたが、NKインテル・ザプレシッチ・スタディオンは約4500人の観客を集めた。バックスタンドにはディナモ・サポーターのバッド・ブルー・ボーイズ(BBB)が大挙して訪れ、負けずにメインスタンドの一般市民も大きな応援をインテルに送った。ザプレシッチをはじめとするザグレブ近郊の人たちのおおよそはディナモ・ファンも兼ねているが、この日は特別にインテルに肩入れをしていた。
ディナモは機動力に優れたフルヴォイエ・シュトロクをトップ下に置き、走力に難のあるニコ・クラニチャールをFWに上げることでこれまでの中盤の問題を解決しようとした。また、スピード不足で4バックラインの穴といえるアンドレ・ミヤトヴィッチを外し、中盤の選手であるダリヴォール・ポルドルガチュをセンターバックで起用した。スタメン(4-4-2)は、
GKトゥリーナ-DFルチッチ、ポルドルガチュ、ミリノヴィッチ、プラニッチ-MFボシュニャク、シュトロク、アギッチ、ムイチン-FWクラニチャール、エドゥアルド
一方のインテルはこれまで通り、3-5-2のシステムを敷いた。
GKホルヴァト-DFヴィダク、ブルナス、ペツェリ-MFツェライ、スクリッチ、クルズナール、モドリッチ、ポリャク-FWグリッチ、ピシュコール
前半はラジオスピーカーからハンドボールの試合実況が流れ、観客だけでなく選手も気が散ったせいかミスが多発。それでも最初の30分は中盤を支配したディナモがまさる。しかし、インテルもプラニッチ、イヴァン・ボシュニャクによるサイド攻撃をトミスラフ・ツェライとクルズナールが蓋をして対応。一番の危機は32分に訪れる。中央からエドゥアルドとクラニチャールがパス交換で抜け、エドゥアルドのシュートはGKホルヴァトがセーブ。左へとこぼれたボールを拾ったクラニチャールが近距離からシュートを放ったものの、これもホルヴァトが足を伸ばしてセーブをした。
後半47分に均衡が破れる。エドゥアルドからボールを奪ったインテルは右のスペースに展開。ピシュコールはコーナーフラッグの辺りまでドリブルで持ち込み、グラウンダーのセンタリング。ニアポストに走り込んだグリッチが滑り込みながらシュートを決めた。FWグリッチはインテル・ユースで育ったのち、フルヴァツキ・ドラゴヴォリャッツに移籍。その後は一年半所属クラブがなく、昨冬にインテルに戻ってきた苦労人だ。以前はミッドフィルダーだったが、ボグダンがFWにコンバートさせ、大事な試合でピシュコールと並ぶチーム最多の3ゴール目を決めたのだ。
失点後、ディナモはすぐにエドゥアルドに代えてFWダリオ・ザホラを投入した。56分のクラニチャールのアシストからザホラのシュート、77分のザホラのフリーキックのどちらもGKがセーブ。最後はヘディングに強いゼキッチを使ってサイド攻撃を試みたが、インテル守備陣が制空権に勝って1点を守りきった。
これでインテルは無傷の6連勝。終了15分前からBBBはバックスタンドを去り、メインスタンドからは「スレチコ! ボグダン!」と監督へのコールが鳴り響いた。
試合後、ボグダン監督は手放しでチームを褒めた。
「ディナモはどのチームにとっても大きな挑戦であり、我々もこの試合を恐れていた。ディナモはアグレッシブに挑んできて、前半は互角に持ち込めなかった。でも、後半頭に運良く得点を奪い、最後までスコアを維持することに成功した。またして気骨と堅実さを見せてくれたチームにおめでとうと言いたい」
また、会長のイヴァン・ラリャクは真面目にこう語る。
「勝点は十分にあるものの、お金だけが我々には足りない。しかし、この勝利は誰だろうとお金で買えるものではないと思っているし、そのように信じて欲しい」
次の第7節のオシエクとのアウェー戦に勝てば、インテルはディナモが1995/96シーズンに樹立した開幕7連勝のリーグ記録に追いつく。しかし、移籍期限最終日にチーム一のベテラン、DFブルナスがNKザグレブに引き抜かれてしまった。オシエク戦のあともヴァルテクス、リエカ、プーラ、ハイドゥクと難敵が並ぶ。昨季にインテルの開幕ダッシュに成功したクジェ前監督はこうも指摘する。
「インテルは最終的に3位以内へと入れると思うが、いずれは順位を落としてくるだろう。最大の問題は天候条件の悪くなる11月からだ。インテルには11月から3月までの間、満足して練習できる場所がない。それが最大のハンディキャップとなるだろうね」
ディナモとハイドゥク以外でクロアチアリーグを制したクラブは、2001/02シーズンのNKザグレブのみ。ズラトコ・クラニチャール監督率いる当時のNKザグレブには代表FWイヴィツァ・オリッチをはじめ、資金をかけて十分な戦力を揃えていた(のちにそれが極度の財政難に繋がるのだが)。しかしながら、予算の限られたインテルには今あるコマを活かしていく以外に道はない。毎年莫大なお金を無駄にしているイタリアのインテル会長マッシモ・モラッティ氏から、ちょっとばかりの支援金をもらえたらいいのだが。(了)
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