
1月6日、プチ事件
さぁ。突然介護3日目の朝。
今日は妻と一緒にばぁちゃんの家へ。
5時起きのはずが、、、気づいたら6時20分。
※2日の疲れが出たのだろう。たった2日でと言われても構わない。
飛び上がるように起き上がり、妻を起こし即準備で6時半過ぎに出発。
7時過ぎに到着。
なんで慌ててると言うのは、ばぁちゃんは一緒に住んでる時(今より元気な時)なんでも1人でやって、尻餅を何度もしていたからだ。
また勝手に起き上がり、悪化したらという思いが先行という事。
ばぁちゃんは寝ていた。
到着後、家中を暖め、ばぁちゃんの様子を見に行く。
「スースー」っと寝ていた。ホッとした。
さぁ、ルーティンで色々準備。
3日目、介護のベースが出来てきた
介護おむつの形も色々あり、なにがばぁちゃんに適しているかを試すことができた。寝る時、日中と分けて、快適に過ごせるようになった。
夜のおねしょ漏れで布団やシーツがびっしょりになることもなくなり、僕らもとても楽に介護ができるようになった。
やっと、少し落ち着いた感じがした。
夜と朝の着替え。これが現在一番大変だったから。
尻餅した怪我のゆくえ
僕の感覚では、尻餅した当日より、少しずつよくなっているのではと思ってきた。最初は、おしりから足先まで痛い痛いと言っていたのが、少し足を動かせるようになったのと、簡単な足裏マッサージをして様子を見ていた。
しかし、ドクターではないので9日に、地元の診療所の往診をお願いした。
それに伴い、併設するケアサポートのケアマネジャーさんに相談。
父は介護申請を役所へ。
妻の助言で、整形外科へいきレントゲンを取ってもらうことにもなった。
この結果は後日。
介護のシフト化
日中は、父や親戚がくるので、妻が妹と僕の朝晩のシフト化をしてくれた。
これで情報を共有して、ばぁちゃんの様子をみんなで把握することができるようになった。
少し一段落
怒涛の年始を過ごし、明日からは少し休める。
しかし、仕事が会社決算後の事務作業や支払いの手続きをせねば。
と思う3連休初日の夜。
妻と久々にゆっくり過ごせた。何よりの幸せ。
今年は、本厄。1日の地震から羽田空港の事故、芸能人の逝去。
そして、僕はお寺の分家。本家の僕世代の住職が母と同じ膵臓癌と闘病中。
今年は、飛躍の年。と決めた2023年の大晦日からたった6日。
大忙しだ!今までのリバウンドと思い、ひたすら前を向き、夢と目標を達成する為、視点高く、視座を考えて過ごすと決めた1日だった。
7日、8日は妹に託し、9日からの会社始業に向け、色々整える。
こんな介護ばっかりしてる年始だが、制作会社を経営し今年は年始から大きなプロジェクトを多数抱える。
まだまだ、今年はこれから!
さぁ!次の介護日は9日の朝と夜!それまで、生気を養い講座を受け視点を高めていく。
今回もご一読ありがとうございます。