新規顧客開拓の概念欠如による檀家制度の危機
日本各地のお寺が、檀家減少によって維持できなくなりつつあります。
今に続く檀家制度は、江戸時代に幕府によって形作られました。民衆の宗教を支配するため、というよりは宗教を利用して政治的支配を行う、というシステムです。
宗教的権威ではない武力政権が、宗教組織を行政上の人民把握に利用し、なおかつ本来の宗教そのものには世俗的権力がない、という多分世界史的に見ても稀なシステムとなりました。
在来の神道と外来の仏教が神仏習合の状態が数百年以上も続いていたことも、幕府の統治を手助けすることになりました。キリスト教を弾圧した結果、それら以外に宗教が存在しませんから、戸籍制度の代用品としては充分な機能を持っていたわけです。
時は流れ、明治・大正・昭和・平成そして令和と檀家制度は続いてきましたが、おそらく一番大きな変化は昭和中頃の高度経済成長期にありました。ここで、地方から都市部への大規模な人口の移動がありました。
人が減る地方では当然ながら、お寺が抱える檀家の数の減少が起きます。昭和の頃はまだ実家というかたちで檀家が残っていましたが、家を継いだ長男の家系が続かない場合やその家系自体も元の地域から離れることによって、元のお寺の檀家ではなくなります。
いわば、一家揃って引っ越しする場合を想定していない管理システムです。江戸時代はそもそも自由に一家どころか個人レベルでも簡単に移住できない時代でした。檀家制度は人の移動がない江戸時代だからこそ成立して続けられたシステムということです。
個人でも家レベルでも移住した先にあるお寺の檀家になれば、日本全体で見れば檀家制度は維持できるはずですが、いざ移住してしまうと新たに檀家になる、ということがほぼ無くなってしまいました。それは檀家制度によって強制的に地域にある住民を割り当てられるために新規顧客開拓の概念が無くなってしまった寺側の問題でもあったと思います。営業活動をしなくても檀家が割り当てられて経済的に維持できてしまう、という状態が数百年続けばそうなるのも当然でしょう。
高度経済成長期に地方から都市部に出てきた人に対して宗教的アプローチを行ったのは、創価学会を始めとする新興宗教でした。地方からの移住者全てが新興宗教に帰依したわけではありませんが、新興宗教に入らない人でも都市部の寺の檀家になるのではなく、「なんとなく無宗教」的なポジションとなり、実家に帰省したときに檀家になっている寺と関わる程度となります。
もちろん、都市部に元々あるお寺と檀家でも似たようなもので、都市部に住んでいる人が移住したときも同様です。寺を変更するのではなく、仏教との関わり自体が大きく減り、高度経済成長期からおよそ2世代を経た現代に寺&檀家制度の危機的状況をもたらしたという結果となります。
じゃあどうすればいいのか、ということになると日本の人口動態の問題でもありますし、新規営業のノウハウが無い仏教界の問題でもありますので解決は容易ではないでしょう。
Amazonが葬式手配の代理のようなことをするだけで猛反発が起きるくらいですから、新規顧客の獲得よりも現状の縮小再生産しか出来ないところも多いはずです。個別のお寺や住職などのレベルでは、しばしばメディアに取り上げられるような、面白い人もいるのですが、日本の仏教界全体ではどうにもならないんじゃないですかね。