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心はどこに存在するか

「人の心はどこにありますか」

そう言われたとき、頭を指さす人と、胸に手を当てる人の二つに分かれると思います。

まさか足の裏を指さす人はいないでしょう。足裏は第二の心臓とか言うこともありますが、あれはあくまで指圧する時の話です。

興奮するとき、落ち込むとき、喜ぶとき、泣くとき、辛いとき、楽しいときといった、何か心に影響があるような時には頭の中だけで反応するのではなく、顔にも反応が出ますし、汗をかいたり、涙を流したり、心臓の鼓動が早くなったりします。

これは全て脳が体をコントロールして反応が出ているわけですが、「心が動く」というのはどこまで含むのでしょうか?

ビックリしたときに心拍数が上がりますが、ビックリしたという意識だけ、つまり脳内における神経伝達物質の作用のみが「ビックリした」ということになるのでしょうか。

それとも、心臓がバクバクして手に汗をかいて「うわっ!」という声を上げるところまでが「ビックリした」ということになるのでしょうか。

個人的には、生体活動として分離できないところまでは一つの作用として考えた方が良いと思います。上述の「ビックリした」で言えば、脳内だけではなく最後の声を上げるところまでを「ビックリした」心の動きとして考えます。

「うわっ! 何すんねん! いてもうたろか!」といきりちらして相手につかみかかるところまでは含めません。当たり前ですね。

これまでアホなことを書いてきましたが何を言いたいかというと、人の心は頭だけではなく体全体での作用と考えるべきではないかと言うことです。脳の中だけではなく体があってこその心であって、体への反応がない心の作用は無い、とも言えます。

心の動きの中心は脳にあるのは間違いありませんが、脳だけで完結するわけではなく、体の様々な部位での反応を含めて、「心が動く」ということです。

逆もある程度は成立するはずです。体を動かすことである程度は心に作用するとも言われています。

こう言い出すと疑似科学っぽくなってきてしまいますが、そこまでいかなくても、体を動かさないよりは動かした方がいい、くらいのことはなんとなく分かります。

運動してカロリーを消費して脂肪を燃焼して健康になる、という目的だけではなくて、体を何らかのやり方で動かすことで心にとっても良い影響があるのであればなおさら良いですよね。

ただ、体が不自由な方、高齢のため運動など出来ないといったケースだとそうもいきません。

体を動かした時に生まれる神経伝達物質が出るような薬もあるのかも知れませんし、今後開発されるのかも知れませんが、薬にはどうしたって副作用がつきものですから、そう簡単にもいかないでしょう。

せめて、体を動かすことが不自由なく出来るうちは、無理しない程度にしておきたいものです。また、あまり副作用のない、体が不自由な方向けの薬も出来てくれた方がいいですね。


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