カルト化するリベラルによる文化盗用批判
人種差別・民族差別と並んでよく取り上げられる問題として、文化盗用があります。
正直、自分自身がちゃんと文化東洋とはどういうあたりが問題なのか理解出来ていない気がしますが、自分の所属している文化とは異なる文化を上辺だけなぞって中途半端でいい加減な利用をする、ということなんでしょうかね。
「これは文化盗用だ!」
と糾弾する事例に出くわしても、いまいち何で問題視するのかが分かりづらいのですが、他文化・異文化を尊重しろ、という非難なんでしょう。
もしかすると、日本人的感性では文化盗用という概念は理解しづらいのかも知れません。全てではありませんが、そもそも日本文化は色々なところから集まって出来たものでもあります。
ユーラシア大陸の東端の海に浮かぶ島国には、大陸から際限なく影響がもたらされてきました。日本独自の文化ももちろん存在しますが、よそから来た文化に影響され、触発されて生み出され、洗練されてまた他文化を取り込んで発展してきたものです。
そう考えると、そもそも文化なんていくつもの文化が混ざり合って変化し続けるものであり、特定の文化圏に属する人が他の文化に影響されること自体を否定するというのはどだい無理な話です。
表現、特に芸術分野においては他文化からの影響を排除したらほぼ全てが消滅します。
まあ、確かに偏見や誹謗や嘲笑のために異文化をネタにするような人もいますが、それはそもそも文化盗用として以前にネタの使い方に問題があるので、そういう批判をすれば良いのだと思いますが、そうでもないんでしょうか。
文化は混じり合わないと発展しないものです。インスピレーションやセレンディピティというものは、異なるものを結びつけてこそ起こり得ます。他文化を拝借する程度ならゴチャゴチャ言わんでいいやん、と思うのですが。
リベラル派の人が文化盗用云々と言って誰かを血祭りに上げていると、表現規制に容易につながりますが、それはそもそもリベラル的よりも保守的な考えでしょう。左右が一直線になっているというよりも、円グラフの最初と最後がくっついているようなイメージでしょうか。極左と極右は考え方が似ています。
行き過ぎた国家社会主義と、共産的な社会主義が共に強烈な国家・政府主導の社会を志向するようなものでしょうか。
自分たちだけの考えが正しいと考えてしまうのは、極端な思想の集団にあるのは当たり前ですが、他者を受け入れない純粋さは危険です。
少なくとも西欧は数百年前に魔女狩りや異端、カトリックとプロテスタントの宗教戦争などでそのヤバさを経験しているはずなのですけれどね。
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