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読書から生まれるアウトプットはプッシャーゲームに似ている
何らかの情報を自分の頭の中から生み出そうとする時、自分が過去にインプットしたものが頭の中で絡み合い、整理され、押し出されるように出てくる気がします。
ひょっとしたら人それぞれ感じ方は異なると思いますが、何かを入れなければ頭からは何も出てこない、という感覚は共感してもらえるのではないでしょうか。
そして、何かをインプットしたからといってその入れたものが直接すぐにそのままアウトプットされるわけではありません。それまでの自分の知識や経験や感情などと結合して、頭の奥深くにしまわれます。引き出しの中、壺の底のようなところに設置され、しばらくは陽の目を見ません。そこから更にまた他のものをインプットしていき、押し出されるように、絞り出されるようにして頭の中からアウトプットされます。
読書によるアウトプットは、プッシャーゲーム(ゲームセンターにある、メダルを入れて既に入っている他のメダルを押し出して手に入れるゲームです)のようなものかも知れません。
かつてインプットしたものが、何らかの別のインプットによって押し出されるようにアウトプットされる感じがします。
一度にたくさん出ることもあれば、全然出ないこともあります。
読書の数が少なすぎると、アウトプットはほぼないでしょう。それなりの数を読まないと出てこないはずです。
この比喩では読書の質が問われません。もちろんインプットされる情報もアウトプットされる情報もメダルのように均一な形ではありませんが、読書は土管のように入ったらそのまま出てくるものではなく、記憶の中で揉まれ少しずつ整理され出口に向かっていって、最後は何かをキッカケにして、ポンと頭の中から出てくるものだと思っています。