親近感とひがみ、良家出身と浮世離れの表裏一体性
将棋の藤井聡太七段が棋聖戦で勝利してついにタイトルホルダーとなりましたが、凄さが報じられると同時に、彼自身が鉄オタ・自作PCオタっぽいところを見せているので結構親近感を持っている人は多いのではないでしょうか。
彼に限らず最近では、多くの芸能人やスポーツ選手あるいは政治家などでも特定の趣味を隠さずオープンにして何らかのオタクであることを宣言することが普通になってきました。
超然として浮世離れしている仙人のようなプロフェッショナルよりも、何か一般人と変わらない趣味を持っているプロフェッショナルの方が、当然ながら親しみやすいですよね。
別に棋士であれば一般人に親しまれなくても対局に勝てば賞金を稼いで生きていけますが、芸能人とか政治家はある意味人気商売ですので親しみやすさも重要です。
吉田茂は貴族趣味というか、民衆への親しみやすさなんかは考えていなかった政治家だと思いますが、政敵の鳩山一郎はその吉田に自由党を逐われた格好になったこととか、病気で半身不随になりながらも吉田と戦って首相に就いたこととかは一般ウケしました。生まれはむしろその逆というか対極的なんですけどね。吉田茂はそれほど豊かではない家に生まれ、養子に出されたところが貿易商でしたのでその後は生活には苦労しなかったと思いますが、外務省に入った後は英米派とみなされて軍部から煙たがられたり(別に平和主義者ではなく対中強硬論が軍部以上だったからですが)、戦時中は和平工作をしたことで憲兵に捕まったりしました。その一方、鳩山一郎は弁護士兼政治家の家に生まれて若くして議員になり、戦前には大臣を歴任しました。
その後で言えば田中角栄が庶民派の代表格でしょう。尋常小学校出が総理になった、という物語(実際は専門学校が最終学歴)は一般人にとって分かりやすく、マスコミにとって伝えやすいものでした。しかし、金権政治の代名詞になりロッキード事件で逮捕され、結局支持も失いました。親近感で成り上がり、その一方で巨額の不正が当然ながら庶民から忌避されてしまいました
逆の立場で言えば細川護熙がその対抗馬でしょうか。熊本の細川藩主の子孫であり、近衛文麿の孫というのは、「殿様」「貴族」感満載の首相として93年に誕生しました。しかし連立政権の運営は困難を極め、突然の国民福祉税構想を公表したために求心力を失い、佐川急便事件もあって政権は崩壊しました。
親近感によって畏れ多さが無く好印象を受けることもあれば、近い存在ですから逆にひがみも受けやすくなります。その一方で血筋や家系の良さによるウケの良さもあれば、逆に浮世離れしていることが致命傷になることもあります。
家柄がいい人に対しては庶民はひがみ・ねたみ・そねみは抱かないものです。自分たちと異なることが良くも悪くもなります。
逆に庶民っぽさをアピールする人に対しては親近感を抱く一方で、いざ何かやらかしたときは育ちの良い人の場合と違って庶民からの攻撃を受けやすいです。そう言えば、東北大学総長にもなった物理学者の西澤潤一の本に、「日本人は同僚の成功を喜ばない」といったことが書いてあったと記憶しています。 現物に当たれないので確証がないのですが、アメリカの米国電気電子学会(IEEE)に「ジュンイチ・ニシザワ・メダル」という賞が存在しているのは分かりやすい日米の差ですね。
それはともかく、庶民派の政治家と良家出身の政治家を見比べてみると、親しみやすさとねたまれやすさは紙一重というか、コインの表裏なのだろうと思えます。家柄の良さと浮世離れのしやすさも近いものがあるでしょう。この辺を戦略としてコントロールして自己アピール出来る人はいいのでしょうけれど、ナチュラルにやっちゃう人は最終的にはやらかしてしまうんでしょうね。