税金の使い道としての立憲君主制
税金の使い道というのは難しいものです。税金を支払う側からすれば、自分の金が何に使われているのか、誰に渡っているのかということは気にはなっても、お金に名前も色も付いていない以上、国庫にまとめて入って個々の使われ方をします。
かくして税金の使い道となる先になる、全ての組織や人の行動や在り方に対して、国民やマスメディアや各種組織による監視や批判が出てくるわけです。
税金は、誰もが直接間接的に利用するものと、一部の人が利用するもののどちらかに回されます。道路や橋、役所の建物やあるいは公務員の給与そのものは、社会全体にとっての必要なインフラ・人件費ですので、特定の人だけが享受するサービスではありません。実際には一部の人しか使わないにしても、誰にでも開放されているものとして無料で使用出来る図書館は想像しやすいはずです。
その一方で、必要なグラウンド・体育館とか、あるいは個人で発行する住民票とか、割安ではあるにしても無料ではないサービスもあります。これらを完全に無料にしてしまうと、利用に際限が無くなって逆に不公平になってしまうため、有料の公共サービスとなります。これは受益者負担ということになります。
とは言っても、日本で言えば有料の公共サービスといっても実際の負担はわずかな金額に抑えられていますし、いちいち役人に袖の下を渡す必要もありません。ニュースでは収賄だの談合だのと流れますが、国家としては役人の腐敗レベルは低い方です。
役所や警官に一般市民でも賄賂を渡さないとまともな公共サービスを受けられない国も世界にはあります。そういった国では公務員の給与そのものが低いという面もあります。国民・市民から等しく徴収した税金から公務員の給与をまともに払うのではなく、公務員に用事がある人だけが賄賂の形で公務員の収入を負担するのは、ある意味で受益者負担と言えますが、国家としての在り方としてはロクなものではありません。
国家にとって必要不可欠なものは法的根拠に基づき、国民の代表の監視の元に予算が付けられます。公務員を減らせとか国会議員を減らせ、歳費を減らせという意見はたまに耳にします。今年及び去年は東京オリンピックについての税金負担についてはかなりホットな話題でした。
さて、今この9月10月で税金の使い道としてニュースでさんざっぱら扱われているのは、眞子様とその婚約相手の小室氏及び皇籍離脱の一時金です。
当然ながら天皇・皇室は日本国憲法に謳われているように、国民の象徴として存在しています。制度としては国民全体が受益者となる、国家そのものを支える擬似的なインフラとも言えます。
小室氏本人やその親族に対して好意も隔意も個人的にはありませんが、国民の象徴である以上は、国民が抱えている問題を当然ながら皇族だって抱えます。娘の結婚相手に悩む親なんて、日本国内に何百万世帯とあるでしょう。天皇は国民の象徴なのですから、日本的イエの概念が変われば、皇室のイエの在り方も変わります。
国民(あるいはマスコミ)が気に食わない結婚相手を否定し、そのためにかかる費用や一時金を非難し、税金の使い道として認めないということは、立憲君主制国家の在り方として許容範囲にあるのかという疑問を持ってしまいます。
皇室に生まれ、皇族である限りはずっと人権に制限をかけられます。基本的人権の尊重を規定した日本国憲法があっても、皇族には他の国民が享受出来る自由がありません。自ら望んで皇族になるわけでもない一方で、発言にも行動にも制限がかけられます。それでも君主制を国民も政府も維持する以上は、皇室の存在維持のために必要なコストが予算として配分されます。
それを無駄金と批判されれば、皇族が皇族であることを忌避する動きがいずれ出てくるのではないでしょうか。皇室を離れる際の一時金やそれまで貯めたお金は、それまでの人生における人権制限の慰謝料と見なせるのではないでしょうか。
皇族が皇族として生きるにしろ、あるいは皇籍離脱後も100%純粋な民間人にはなれないですが、民間人として生きるにしろ、そこに掛かる費用は、立憲君主制を維持するためのコストです。
皇族が国民の大半が気に食わない結婚相手を選び、何か色々あったとしても、それも立憲君主制を維持するためのやむを得ないコストです。それを防ぐには、皇族の結婚相手を国民が選ぶしかありませんが、そんなことは不可能ですし、それこそ人権侵害の極みでしょう。
はっきり言うと、小室氏を叩けば叩くほど、立憲君主制が危うくなります。皇族の皇族たるモチベーションダウンにしかなりません。非難している人は皇室の在り方に一家言あるのでしょうけれど、何のために天皇・皇室・皇族が存在していて、なぜ日本国憲法で天皇は国民の象徴とされているのか、ということを考えると、度を過ぎた批判は問題があると言わざるを得ません。