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誰がどんな意図で誰に対してメッセージを出すか

泣いても騒いでも東京オリンピックの開幕が近付いてきました。延期出来ないなら、無観客・無関係者・無報道陣でやるべきと思っていましたが、無観客以外は実現せずに始まりそうです。

五輪開催反対の人からのヘイトを集める一人、IOCのバッハ会長が来日し、ホテル前とかで「バッハ出ていけ」といったプラカードを掲げての抗議活動もあるようですが、そもそも日本語で書いてもバッハ会長は読めないですよね?

読ませたい対象が読める文字で書かないと相手には伝わらないと思うのですが、もしかしたら抗議している人はバッハ会長が日本語を読めるという独自情報でも持っているのでしょうか。

そうでないとしたら、抗議活動のプラカードや横断幕の文字をバッハ会長個人は読まなくても良いということになります。抗議活動自体に意味があるのです。はっきり言うと、横断幕の文字を読ませたい相手はバッハ会長ではなく、報道を通して見る日本人に対してということになります。

抗議活動を揶揄する意図ではありません。メッセージには相手が必要であり、双方が理解出来るメッセージでないと意味がないのです。

もちろん、英語で書かれている抗議の横断幕やプラカードもありました。そういうのはもちろん本人にも読ませるものですし、国外の報道機関にも見せるためのものでしょう。

古代、神に対する儀式で使われる壺や器の内側に文字を刻むことがありました。当然ながら、その儀式でその壺を見る人には、その文字は見えません。しかし、人に見えない文字は神に捧げる文字となります。

メッセージは相手が読める形でないと伝わりません。相手が読めない文字で書かれていると言うことは、そのメッセージの相手は想定とは別の人のはずです。

メッセージは、送り手、受け手と中身までを含めた解釈をしないと読み間違えます。それは抗議活動に限ったことではなく、マスメディアでも同じでしょう。「メディアはメッセージである」というマクルーハンの金言にもある通りです。

昨今のマスメディア不信の一つは、マスメディアは正しい情報を公平に出していますという建前が大きいのではないでしょうか。実際にはポジションというか色というか、各社によって同じニュースでも解釈や切り取り方は異なります。

その辺を分かった上で読むのと、マスコミの情報は全て公正なものという前提で読むのとでは全然違う受け取り方になります。

単なる誤報もありますが、その社のポジション的に不正確とは言わないまでも微妙にずらしたり情報を減らしたりして報道することもあります。

それを全て、陰謀論的にマスコミは自分の思想の反対サイドにいる怪しからん奴らだと切って捨ててしまったら、自分が間違っている場合に得られるはずの有益な情報にも目を塞いでしまいます。

裏切られたショックで「もう何も信じない」状態に陥ってしまいかねません。

マスメディアの情報なんて半分は誇張か嘘だくらいに思っておいた方がいいのですが、少なくとも、このメディアのこのニュースはどういう意図があるか、ということを半分、頭に入れて読むくらいがちょうど良いのではないでしょうか。

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