事業を閉鎖して
数年前、友人の工場を手伝っていた。けれど、年々上がる固定費に工場運営も厳しくなっていた。正直自転車操業だったと言っていい。そして、2015年から急激に厳しくなった中国の環境規制が決定だになった。2016年に工場を閉鎖した。
中国人社長は、工場が入っていた工業団地の手伝いをしながら、商社として既存顧客の仕事を続ける事にした。僕は、既存の日系企業向けの窓口をしつつ、以前営業に出向いた先で誘われた仕事を受けることにした。工場を閉めてしまっては、収入をえられるほどの仕事は残っておらず、他の選択の余地が無かったわけだ。現地採用を探すても有ったのだけれど、その選択肢は選ばなかった。
この頃から、何となく複数の仕事を掛け持ちして稼げたらなと考え始めていた。それまでは、工場の営業や生産管理として働いてきたし、そのこと自体が事業になるとは考えられなかった。それは今でもそう思っている。何らかの技術などを持っていると違ったのかもしれないが、、、。
友人に紹介された仕事は上海外の中国地場企業での仕事だった。最初の2年は給与制なので安心していたが、その後は完全歩合制に変わった。3年目に入った時、僅かばかり残る上海の仕事と中国現地企業の歩合収入では足らなくなった。
足らなくなると工夫せざるを得ない。それまでは、お客様の手前だとか、義理だとか、色々な理由をつけて複数の仕事をしているとは口外しなかったが背に腹は変えられない。この時やっと気持ちが「何でもするぞ」と固まり、周囲にもそう話すようにし始めた。周りに話すことで、それが自分の仕事のスタイルとして固まったこともあると思うし、周りからもその様に見られるようなったと感じた。中国人の働き方は正に複職で、効率が良くて、凄いと評価されることもあった。
結果として、周りにいた人達が大いに助けてくれた。ちょっとした通訳・翻訳の仕事を回してくれたり、ホームページの依頼、工場を探す、人員を探す、工場警備、などなど色々やりながら本当に食い繋いだと言っていい状況が一年半は続いたと思う。
今はお陰様で、中国企業の営業顧問、工場サービス系、日系商社顧問と三つの仕事の掛け持ちすることで少し落ち着いてきた。新型コロナの不安定な環境にあっても新しい仕事を頂けている。
新しい出会いもある反面、常に契約解消や失注の不安もありつづける。そして、稼ぎは同年代の平均の半分くらい。稼ぐってのは本当に大変だと、会社を離れてだいぶ経つけれど、今も心の底からそう思う。