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生き残った特攻隊。
10年前に亡くなった祖父は、缶詰が大好きだった。押入れを開けると缶詰がたくさんあって、わたしが遊びに行くといつも、好きなの持っていきな。と両手にいっぱい缶詰をくれた。わたしはいつもみかんとかパイナップルとか甘いものばかり貰って帰った。
若い頃からずっと理容師として働いていた祖父は、亡くなる1週間前までお店に立っていた。明るくて穏やかで私のことを『モリモリ(名字に森がつくから)』と呼び、人を笑わせるのが大好きだった。
毎日の楽しみは、夕食後に安いウイスキーをチビチビと飲むこと。お酒が進むとたまに戦争の話をしてくれた。
航空隊にいた祖父は特攻隊の生き残りだった。
100人以上いた部隊で、生き残ったのは6人。その中の1人が祖父だった。昔から超強運な祖父は操縦する飛行機が2回墜落しても生きていて、中国に渡った時に終戦になり、2年間日本には帰ってこれなかった。
戦争について多くは語らなかったけど、今思うと多分語れなかったんだと思う。特攻隊の人たちは飛行機に乗る前に、決まってチョコレートを食べて行ったと話してくれた。子供の頃はただの美味しいチョコレートだと思ってたけど、違ったらしい。穏やかで明るい祖父がその時だけ、ふと表情が暗くなった。
超強運な祖父は墜落した時に瞼を切った(そしてノー麻酔で縫った)以外病気ひとつせず、88歳で夏風邪を拗らせてぽっくり亡くなった。
亡くなる数日前に、自分が死ぬのを悟って、家族、お客さん、病院の看護婦さん、とにかく周りのみんなに、今までありがとう。お見舞い来てくれてありがとう。ありがとう。ありがとう。とお礼を言い続けた。
そして祖母には可愛い娘を3人も産んでくれてありがとうと、手を握りながらゆっくり話をしていた。戦争で何度も死ぬ覚悟をして、仲間がどんどん亡くなる中、自分だけ生き残ってしまったことを後悔して、周りからも恥だと言われた。だけど、生きて、結婚して子供が産まれて、孫が産まれて、最後まで仕事もできて、最期はみんなに見送ってもらえて、生きてて本当によかった。と。
ゆっくり話をした後、祖父はしばらく眠って、目が覚めた時に一言だけ『タオルが上手に畳めた』と言った。毎日お店で閉店後に、乾燥機から出して畳んでいたタオルを夢の中でも畳んでいたようだ。
そのまま、またもう一度ゆっくり眠って、もう二度と起きることはなかった。
未来のために出来ること、言葉にするのが辛くて、多くを語れなかった戦争についてを、自分の言葉で、息子や周りに伝えていくこと。そしてわたしも毎日を必死に生きることだと思う。