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ヴォルフガング・「テゴシ」ウス・モーツァルトの誕生。

日曜の8時は『イッテQ』派だ。旅行が好きなので、海外の珍しいもの見たさにもう10年以上番組を観てきている。のだと思っていた。本当に。でも今回手越くんが番組から「退出」して、予想以上にダメージを負っている自分に驚いている。信じられないけど、私は隠れ手越ファンだったらしい。

これを機に久々に本棚から出してきて、改めて眺めた少女漫画がある。
ちなみに私の蔵書に漫画本はこれしかない。
幾度の断捨離にも耐えてきた、絶対に捨てられなかった漫画本。
『僕は天使じゃない』
今日はじめて告白するが、これは私にとっての「認定モーツァルト本」で、それゆえ密かに愛蔵していたのだ。そして今、これはさらに「認定手越本」かもしれないと気付いてしまった。

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物語の主人公「夏井比里(ひさと)」は高校生。童顔で女顔の比里は、学校でもやけに人目を惹く存在で人気者だ。誰とも友達になれるしサッカーをやらせればエース級。誰にでもジョークを飛ばし、休み時間に「比里くんモノマネやってー」と頼まれれば腹を抱えるほど笑わせてくれるし、「比里くん歌ってー」と言われれば振り付きで完璧に歌う。バレンタインデーでもらったチョコは全て食べ、プレゼントは翌日全部身につけて登校する。

「だって僕、全部うれしかったんだよ?」

彼は夜にもうひとつの顔がある。新宿のジャニーズ系アイドルBarのナンバーワンアイドルなのだ。特に年上女性に人気があり「小悪魔ひーくん」としてショーではセンターを張っている。

「キャー比里くん、かっこいー!」
「キャー比里くん、かっわいー!」
「キャー比里くん、おっもしろーい!」
昼も夜も彼は幅広い女子を「ヒーヒー」言わせる「エンターテイナー」だ。

チョロい。
彼にとってはすべてがチョロい。

そしてすべてが愛おしい。
だって自分は世界を愛してるし、世界も僕を愛し返してくれるのだから!

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そんな中で妙にシラけた顔で見ている女がいた。比里にそっくりの顔立ちの、同級生であり従姉妹でもある「比可里(ひかり)」だ。
彼女は比里を「演技している“人たらし”」「お調子者で軽いだけ」と見えてどうしても受け入れられない。そして比里の方も、どういうわけか比可里には、ブラックで可愛げのない毒舌をもって接してくるのだった。

しかしある時、比里の軽さが傷つきやすさを隠すために必死で獲得したキャラクターであったことがわかる。ふとした時に見せる比里の繊細さと優しさに、比可里はしだいに惹かれていくのだった―――


私はずっとこの2人を、いじましいほど好意をよせながらもついついふざけてしまうモーツァルトと従姉妹の「ベーズレ」との関係に読み替えていた。

モーツァルトと同年代の従姉妹であるベーズレは、モーツァルトが21歳の時に就職を求めてパリまで旅をした時に立ち寄ったアウグスブルクで、一時仲良くしていた女の子だ。

モーツァルトの代名詞(?)として有名な一連のお下品な手紙「ベーズレ書簡」は、その彼女にむけて書かれた手紙である。
ここに ベーズレ書簡の一部をご紹介する。悶えるような可愛らしさで背筋がゾクゾクするのは、きっと私だけじゃないと思う。

最愛のベーズレ、兎ちゃん!
なつかしいお手紙、
たしかに受け取り・ぶんどり・ました。
・・・
あなたの鼻に糞をします。
それがあなたの顎に流れます。

・・・何?
あなたはぼくのことをまだ好きですか?
ぼくはそう思っています!
それでけっこう・こっけい!
そうです、世の中はそうしたものです。
財布を持っている者もいれば、
お金を持っている者もいる。
あなたはどっちに付きますか?
ぼくにでしょう?
ね?ぼくはそう思っています!
今度は前よりひどいことになりました。
ところで。
そのうちまた金細工師さんのところへ行ってみませんか?・・・
(※1)

(1777年11月5日 マンハイムより在アウグスブルクの従姉妹ベーズレへ)

つまるところ、デートの誘いなのである。
とはいえ、このスカトロジカルな表現!しかし、そんな「ぞぞぞ」とするほどの汚らしさの中にこっそり忍び込ませた、あまりにもピュアな初恋のカケラ。眩しすぎてもう眩暈がしてくる。
手紙を読みながらベーズレは、思わず吹き出したことだろう。
「相変わらずヘラヘラしてるわ!」
クレバーな彼女は、モーツァルトの必死の照れ隠しの中にある恋心を、くすぐったいような、嬉しい気持ちで受け取っていたはずだ。

今度また会いたいなあ。
街をウインドウショッピングして
いつか行ったレストランで食事しようよ。
その後はカフェでいっぱいお喋りする。
そしたらキミにはウンコ色のココアをご馳走してあげる、
・・・・・・って、僕また言っちゃった!?

そう、彼はいつもチョロそうにしているだけであって、チョロいわけではないのだ。

「難しいことをさも簡単そうにやって見せることが、僕の美学なんでね」
音楽でのモーツァルトは、これを常に意識していた。そしてそれが彼を音楽以外のところで「生きづらく」した。モーツァルトがどうしても「業界」でうまく立ち回れなかったのも、彼のこういうポリシーが裏目に出しまっていたことにあったのだ。


手越くんに話を戻すと、『イッテQ』での手越くんに対する私たちの感情も、きっとこういうモーツァルト的(比里的)な人間性であったような気がする。

きっと誰もがわかっている。手越くんはとても努力家だ。
チャラいしウェイウェイしてるけど、ミッションには真面目に向き合うし、最後は「できませんでした」「失敗しました」にしない。結果は出す。それもみんなの予想以上に仕上げてきて「してやったり感」を出す。そしてこう言うのだ。

「当たり前でしょ、僕を誰だと思ってるんですか?」

いやそうじゃない。ああ手越くん、きみはデキる人だよ?けどなんで?アホなのか?天然くんなのか?私は失笑を隠せない。だから人に「このクソガキ、たまに失敗して鼻っ柱くじかれれば面白いのにー」と思われてしまう。それが世の中ってものだ。

そう考えると、イッテQのスタッフは、そんな手越くんの誤解されやすさを逆説的に上手く魅力に変換してくれていたのだなと思う。彼が初めてやってみようという時には「神さま、どうか成功しませんように」とテロップを出し、ミスをすれば「イエーイ!!!」というテロップを出した。

今後手越くんのファンは減るどころかちょっと増えるような気がする。モーツァルトがザルツブルグ宮廷のパワハラに耐えかね、大反対の中で振り切るように「炎上フリー宣言」したあと、一時的にピアニストとして貴婦人たちの人気をさらったのと同じように。(問題はその「後」なんだろう)

とにかく、こうして私は『ぼくは天使じゃない』に「私だけの認定手越本」という、もうひとつの意味を加えた。比里、モーツァルト、手越くん・・・ああ私は一生、こんな天使のような小悪魔みたいなヤツらに惹かれ続けるのだろうか。

仕方がない、だってこういうタイプが好きなんだもの。
だから今後も(こっそり)応援してしまう。
そしてまたいそいそと、漫画を本棚に戻すのだった。

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