架空の会話劇
ねえ、深呼吸をしてみたら。ああ、今、生きてるーって実感がわくんじゃない?
生きてる実感がない人なんているの?今、生きてるか自信がないの?
じゃあ、どんな時に生を実感する?
なんだかむしゃくしゃしてきて、思いっきり気が済むまで走って、息がぜいぜい荒くなったとき。
わたしは、仕事がめちゃめちゃ忙しくて夢中でパソコンに向かった後、ひと段落ついて顔を上げたら目の前が霞んでて、トイレに行く途中で立ちくらみがした時かな。
それ、過労死の予兆じゃん。
あとは、眠る前と後。
寝る前は、自分の呼吸や心音をやたらと近くに感じて、自分の身体じゃないような変な錯覚をして、眠れなくなるよね。
心臓の音で起きたことは?
心臓の音で起きる?
眠っているときに急に心臓が激しく打って、息苦しくなって起きるの。大体朝の五時。悪い夢を見たわけでもない。体の自然現象みたいな感覚。
それも過労死の予兆じゃん。
さあ。でも、過労死してもいい。
生の実感はどうしたんだよ。
死ぬために、毎日働いてる。でないとやってられないよ。死ぬために毎日体を酷使して、やっと生きてるって実感するんだよ。
芸術家は、命を削って作品のために全て捧げたって言うよね。
ジャクソン・ポロックの絵画を観たことは?あの抽象的で破滅的なペインティングには、生に似た、生々しい実感を感じたことがある。
音楽家に例えるなら、直筆の楽譜だろうな。
手書きの楽譜を観たことがあるの?
レプリカだけどね。ベートーヴェンの晩年の楽譜だ。絵画のように鑑賞させるものではないからこそ、苦悩の跡を生々しく感じるんだ。
音楽にも、鑑賞させる気がないものもある。
騒がしい喫茶店のBGMのこと?
エリック・サティの「家具の音楽」という作品があってね、はじめから聴かれないための音楽を作った。
読まれない手紙、食べない料理、走らない競走馬。
あの時、棺桶に読まれることのない手紙を入れた。炎と一緒に故人の元に届くからと。
いまもその人の元に、食べない料理をお供えしてるよね。
言葉は届かなくなって、代わりに御念仏を唱えるようになったね。
音楽なら聴こえる?
さあ。
風の音が、何かを言っている時もある。
そう、何を言っているのかは分からないけど、何か言っている。
猫が鳴いた時、わたしたちの考えは遮られた。
そのまま思い出せないことがあったとしたら?
聞こえない言葉、覚えられない景色、伝えられない色。
まだいくつもの未知がある、この世界には。
しんと静まり返る夜に、音のない電車が走った。
手のひらの感触を覚えて、砂漠を歩くなら。
生温く生きるカメレオンが、情熱的な瞳を光らせて言う。
死んだように生きるなら、死ぬまで生き切りたいでしょう。
おわり
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