映画「花束みたいな恋をした」感想
先週末「ターミナル」と「はじまりへの旅」の洋画2本を自宅で観たので、今週は映画館で最旬の邦画を。
※映画のネタバレを含みます。
思わず観たいと思ったきっかけは映画.comの記事「エモすぎるオフショット」と坂元脚本の魅力を語ったこちらの評論。
それにしても、今まで以上に固有名詞に溢れている。ふたりの距離を一気に縮める重要な役割を果たした押井守にいたっては本人役で出演しているし、その後も天竺鼠、ミイラ展、ジャックパーセル、今村夏子、ゴールデンカムイ、宝石の国など、書き出したらきりがない。
身近な単語の数々に、私小説かと興味を惹かれた。
2020年に26歳で5年間付き合ったカップルのお話、ということで現在27歳のわたしには他人事に思えなかったこともあり、菅田将暉は同い年の同じ地元同士(と勝手に親近感を抱いてる)ということもあり、おおいに共感しながら観ることになった。
また、映画やドラマを観る醍醐味のひとつとして心に残るフレーズをいただいて帰るという楽しみ方がある。
こちらの映画が大好きなドラマ「カルテット」を書いた坂元氏の脚本となると、なおさら期待が高まるというもの。(カルテットといえばかの名台詞「泣きながらご飯を食べられる人は、生きていけます」。)
映画は多くが二人の綴る日記のような語り口で進行していた。「○月✕日、美味しいパン屋を見つけた。」という類のもの。
全体を通して詩的な雰囲気があり、耳馴染みが良かった。
映画って、美しい映像の組み合わせがあれば言葉は多く必要ないと思っていたけど、美しい文章を肉声を通して耳で聴くことがこんなにも心地よいのかと、この作品では気付かされた。
まさに上の評論で書かれているように固有名詞の波紋攻撃を”浴び”、気持ちよく飲み込まれ身を任せる感覚です。
始まりは、終わりの始まり
有村架純演じる八谷絹は、永遠に続く恋愛があるのだろうかと少し疑念を抱いていた。
映画や音楽の好みや価値観が一致し、運命のように出会った二人。
幸せの最高潮であるはずの場面で、絹が不安げにしていたのが印象に残っている。
「花束みたいな恋」。土に咲く花ではなく、美しくコラージュされた完成品である花束のように始まった恋だからこそ、いずれは枯れてしまうという表題の意味を予感させる。
といってもこの映画、初っ端が二人が別れた後のシーンから始まり、5年間を回想するという建て付けになってるので、予感ではなく確信なのだけれど。。笑
社会に出るのは、お風呂に入るようなもの
生活のためにお金が必要だ。
ー本を買ったり、映画を観たりするのにもお金が要るでしょ。だから就職するんだよ。
ー基本的に17時には仕事上がれるって。
ーじゃあ、絵を描くのも続けられるね。
ー僕の目標は、絹ちゃんとの現状維持です。
現状維持。ここで、あれ、違う気がする。と思った。目的がすり替わっていたのだ。
カルチャーを愛する生活を送るという二人の理想は、安定した生活を維持するために、少しずつすれ違っていった。
ー社会に出るっていうのはお風呂に入るのと同じで、入るまではめんどくさくって嫌だけど、浸かってしまえば気持ち良いのよ。
絹の母のセリフ。これは真理で、
自分自身、会社勤めを経て時間の余裕がなくなった結果、金銭的に余裕ができても、休みにはソシャゲをする元気しか残っていなかったり
(麦が"パズドラしかやる気が起きないんだよ"と云っていたのは典型的かつ非常にリアルでどきりとした)
私も大学時代のころは「本当に良い作品を鑑賞する。周囲から理解されなくてもいい」という考えだったのに、尖った感性を持ち続けるのが難しくなり、
いつの間にか「社会に出ること=社会に協調すること」の責任を感じて、流行モノを追うようになったり。
(別れの場面で、麦が”結婚””家族でディズニーランド”みたいな一般的でありきたりな幸せの幻想を見ていた場面は、彼のあまりの変化に心が痛くなった。)
これは誰もが通る道なのかもしれない。
自分もこうして転職して、映画を週に最低2本は観ようと決めているのが、現に感性のリハビリみたいなものである。
変わらずひとりでも映画を観る時間を取ろうとする絹もえらいし、
彼女のために地に足のついた生活を選ぶ麦もえらいよ。
ところで「社会に出る」「お風呂に入る」というレトリックが効いているのもいいですね。
一度その壁を越えると、行き来してバランスを取るのはやはり簡単ではない。
でも幸せな二人の家は変わらずそこにあって、見えない壁が分厚くなっていくばかりで、この映画、観ている人の多くは辛い思いをしたことでしょう。エモ青春映画の皮をかぶった鬱恋愛映画です。(個人の見解による)
ささやかな幸せとライフイベント
私はこの映画の鑑賞中、すごく自宅でアイスコーヒーを作って飲みたくなって買って帰った。
何が言いたいかというと、飲み物を淹れて「はい」と差し出したり、紅茶の時間を置きすぎて少し苦くなったねと云ったり、ささやかで現実的なやりとりの描写が上手いということ。すごく自然に違和感なく見れて、なんとなくエモく共感できてしまうのは、こういうシーンの積み重ねがあるからなのだと思う。
5年間を通して、春夏秋冬すべてのシーンが違和感なくつながっていた。気づいたらニットを着ていたり、半袖シャツを着てたりした(衣装が可愛かったのも見どころ)。
いっぽうで、いわゆる冠婚葬祭、お通夜と結婚式のシーンも象徴的に登場した。
お葬式や結婚式みたいなライフイベントって、周囲と自分を客観的に見つめるきっかけになる。誰しも経験があるのではないだろうか。二人の間にも間違いなく影響を与えたシーンである。
この作品のすごいところは、就職活動というきっかけはあるにしろ、起承転結でいう大きな「転」、転覆、事件性がなく、ゆるやかな生活の延長線上に別れという答えが生み出されるところかもしれない。
少しずつ掛け違えて、歯車が軋んですれ違ってしまった、どうしようもないリアルな恋愛をここまで描いていることが、観た人にある種の衝撃を与えられる所以かもしれない。
お客さん、結構カップルが多かったけど、心なしか気まずそうにしていました(一人で観た女の所感です)。
音楽とエンドロールについて
もう一つ、この作品を観たいと思ったきっかけにAwesome City Clubというアーティストの存在がある。去年知り合いから教えてもらってハマった男女ツインボーカルバンド。
「勿忘」という曲がインスパイアソングとして予告編で使われていた。
PORINさんのキャスト出演から、バンドのライブシーンまであるという、予想外に密接に作品に関係してくるなと思い楽しんでいたら、予想外だったのはエンドロールにはこの曲が使われなかった(主題歌の扱いではなかった)こと。
しかもこの曲、鑑賞後に聴いてみると、歌詞がとても作品の内容とリンクしてて泣ける。
この曲を最後に流せば、お客さんも思わず号泣して、帰りも気まずくならずに「めっちゃ泣けたわ~」って言い合える作品になったのでは?!
なんなら、映画のオチに二人が過去を懐かしんで涙するシーンが入って来てたのでは?!
しかし、驚くほど軽快、コミカルささえある語りで幕を引くのです。
花束みたいな恋をした。でもそれは過去のこと、あの時の二人はもういない。そして生活は続いていく。
それがこの作品の終わり方なんだなと思い、こだわりを感じた。安易に泣かせず、衝撃を残すこと。
最後に、菅田将暉と有村架純は映画「何者」でもカップル役をやっていて、この映画と同じく同じく就活をしているのだけど、二人の性格も就活中の印象も全く違っていた。二人の役者としての技術の凄さを感じられるので、未鑑賞の人は「何者」も観てみることをおすすめします。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
※映画感想note初投稿、評論初心者につき、拙文お許しください。
※本文に出てくるセリフはざっくり意味をとらえているもので、実際のセリフとは異なります。
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