ゆりのはるか
そういう類のもの。
ブログに書くほど長くはないけど、Twitterで呟くほど短くもない気持ち。ゆるゆる。
いわゆる詩みたいなもの。
床に転がっていたボディファンタジーのスプレーのこと、わたしはどう受け止めればいいかわからなかった。 「これなに?」 そう問えば、自分のものだということはわかっていたけれど。何とも言えない微妙なライン。男性が使わないこともない絶妙なボディスプレーだから、変に咎めるとめんどうなことになってしまう。そう思うと、何も言えなかった。何も言わなかった。 「落ちてるよ」 代わりに、そう言った。するときみは「ああ、」と言って、棚の上に置く。その棚のなかに、小さい化粧水とか乳液のボトル
いつのまにか、自分ばかりが傷つけられていると思うようになっていた。傷つけられた分だけ、傷つけているというのに。 恋をするのが怖いのは、24時間365日、頭のなかがその人でいっぱいになってしまうから。仕事を大切にしたいわたしに、恋愛してるひまなんてない、って思ってしまう。 でも、結局のところそんなのいいわけで、わたしは傷つきたくないだけなのだ。人に裏切られるのも、人を裏切るのも、心は擦り減る。 わたしが優先したいひとがいるように、あのひとにもわたしより大切なひとがいるってだ
いくら祈ってもらったって、願ってもらったって、その先に幸せはない。 だって私が欲しいものは、ずっと変わってない。 「なんか大人になったね」って言われたけどそんなわけない。 当たり前に辛いし、泣きたいし、苦しい時だってある。 けど、甘えるわけにはいかないから。 1人でも強く生きていけるようにならなきゃいけないから。 「俺といても幸せになれないよ」 「上手くいくこと祈ってるよ」 就活のお祈りメールみたいなことを言われて、冗談っぽく言葉を交わしながら、そんなのいらないんだけ
見覚えのないボディミスト。当たり前のように置いてあるクレンジング。買ってないのに増えていく、アイシャドウとファンデーション。 最初からわかっていた。 見ないようにすることが、一番幸せになれる方法だと思った。 この香りを纏ってあの人に抱きしめられながら、眠りにつく女の子がいる。信じたくもないのに、突きつけられる現実。 じゃあ全部上書きしちゃおうって、ソファーにも、ベッドにも、毎日のようにわたしの好きな香水を振った。 最後に家を出た日も、忘れないように、消えないように、香
モスバーガーを食べたのはあの日以来で 少しだけあの人のことを思い出した。 キスする前にハンバーガーを食べるなんて ばかだよねって笑ってたあの人は 最後まで曖昧な言葉だけを紡いだ。 わたしはもう道に迷わないし Googleマップにも惑わされない。 それでもまだ あの人の体温とか肌触りとか 優しくあいされたことは 覚えていたいと思う。 愛しく思うのは、つみではない。 #エッセイ #コラム #詩 #恋愛詩 #恋愛ポエム
運転なんてできなくてもいい。お酒だって飲めなくていい。何も知らなくていい。 幸せにしてあげたい。初めてそう思った。 本当に本当に本当に、大好きだった。心の底から好きだった。誰よりも好きだった。 私ならもっともっともっと、愛をあげるのに。そう思っても、あの人が選んだのは私じゃなかったのだ。 新成人に祝杯を。 これから大人になっていくきみへ。 何も知らないままでいてほしいけど、必ず知る時が来る。 理不尽な世の中を見てしまっても、荒波にのまれることがあっても、きみはきみ
言葉を交わさないという行為が、ここまで露骨に中身のない関係性を生み出すとは思っていなかった。 余計なことは言わないし、めんどうなことはしない。取り決めた訳でもないのに、いつのまにかそういうことになっている。 これが暗黙の了解というやつか。 そう思うと、自然とため息が出た。 別に嫌なわけではないけど。1番怖いのは、いつのまにか私がそれを自然と受け入れるようになったことだ。 そんな関係を辞めたくて、真正面からぶつかってみたこともあった。でも結局、のらりくらりと交わされて、都合
自転車の二人乗り 深夜のモスバーガー Googleマップに惑わされて 渡された鍵 曖昧な言葉 増える電話の数と 減るメールの回数 あれは夢だったのか うつつだったのか やっぱりわからない わからないよ きみに言われたこと 感情が巡る 本当のことは 見えなくていい
この人のことがたまらなく好きだ。そう思った時に、素直に率直に伝えることができれば、どんなにいいだろう。 今は好きだと言ってはいけないとか、好きって言いすぎたら調子に乗らせるとか、そんなこと全くもって考えたくない。 好きな人には何度も好きだって言いたい。それはもう毎日のように。それが伝われば最高。好きを返してもらえればもっと最高。 それが出来ないからこうやってうだうだと悩む。言いたくても言えないことはどんどん増えていくのに、別れの日までのカウントダウンも容赦なく進んでいく
地図を見ながら2人で自転車を走らせるのはひどく滑稽で、ある種の逃避行みたいだった。きみの背中を見ながら静かに泣いた。 抱きつくと、きみは中学生の時の友達の話をした。2人乗りをしていたら、恋人が後ろから抱きついてきたと、きみの友達は嬉しそうに話していたらしい。それを思い出したときみは言う。 それを話して、きみはどうしたかったんだろう。恋人にはしてくれないのに。
たとえば、昨日食べたプリンの味とか、そういうもの一つひとつを忘れたくないって思う。 人を好きになるっていうのは、きっとそういうことだ。 ありふれた日常のたった一コマをどうしても忘れたくなくて、瞬間を切り取る。記憶する。 そんな行為とともに、愛が積もる。 好きな人と同じものを食べて、美味しかったねって笑い合えることがどれほど幸せなことか。とっくにばれてる気持ちを押し殺しながら、「最近どうなの?」って聞くことがどれほど悲しいことか。 簡単に消えるような気持ちなら、最初から
欲しいものをちゃんと欲しいって言えないと人は損をするらしい。 時には押さないといけないときもある。 だけど、今更どうすればいいのか。どうすればよかったのか。 そこで踏みとどまってしまうから、一番欲しいものはいつも手に入らないのかな。 けらけらと笑うあの子を見て羨ましく思う。 夢は口に出せば叶うっていうけど、逆に言えば心に秘めた熱意も愛も口にしなければ誰にも伝わらない。 拒絶されるのをこわがって、自分の気持ちから逃げちゃダメだ。 そんなこと、とうの昔に頭では理解してるけど、一
虎ノ門で面接を受けて、霞ヶ関から千代田線に乗る。 上手くいかなくて落ち込んだ帰りには、明治神宮前で降りて、お気に入りのカフェでドリンクを飲んだ。 ああ、きょうも何もできなかった、って思いながら、また電車に乗り、代々木上原で降りる。 帰る場所があるというのは、ありがたいことだった。 相変わらずうまく生きれない自分に嫌気がさして、声に感情がないと正しくも苦しい指摘をされる。 それでもやっぱりわたしは、千代田線沿いで生活することが好きだった。 わたしはあの街で何を得たのか。 それ
別に駆け引きをしようとしているわけではない。思っていることをちゃんと話しているはずなのに、肝心なことは何一つ言えていない。本当に思っていることは全然うまく言えないし、口にしてみればなんか薄っぺらくなる。 行動で示すのも苦手だし、どうすればいいかわからない。 言いたいことを人に言えないからって、抽象的に書くことで逃げようとする。書くことに逃げるなっていう自分への戒めと、今書いてるっていう最大の矛盾。 考えてもしょうがないことをぐるぐる考えて、勝手に踊らされてる自分がばかみた
懐かしい通学路の写真をみていていろんなことを思い出した。夏休みの部活帰りの夕焼けがすごくきれいだったこと。深草でアイスを買って食べて帰ったこと。丹波橋で特急に乗り換えて、たいてい枚方か樟葉でみんな降りてしまったから、1人で終点までのってたこと。校舎の入り口にあった階段とか、新館とか中庭とかいろいろ。今更だけど、通ってた学校がなくなった(移転した)のはやっぱりすごくさみしい。 学校のことを考えていると、ついでに昔考えていたことを思い出した。 向上心をもたなくなればひとは楽