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2025年1月8日

12月21日に賞味期限の切れた冷凍鮭がある。

今日の晩ごはんは、卵とわかめのとろとろ中華スープと、小松菜をナンプラーで炒めたものを食べようと思っていた。昨日からそう決めていた。

出勤と同時にさっさとデスクに座り、パソコンを開く。年末から積み上がっていた大量のメールをひとつずつ返していく。「それでいきましょう」とか「適当に進めていただいて大丈夫です」とだけ返せるならどれだけいいか。残念ながら、そう返信できるやりとりはひとつもない。

ひとつを返すためには、前提を説明する資料を作って予め添付したり、各所との下話や、確約をとる別のやりとりが発生する。メールが10通たまっていたら、それらを返すための手数は30通ほどに膨れ、そこに資料を作る作業がプラスされる。

ひとつの返事にかかっている労力と時間を考える。たった1通、たった数行の裏に、私の1日が貼り付いている。変なの、と思いながらもノンストップでキーボードを叩く。大量の手数を機械的なタイピングでポチポチと消していく。次から次へとやるべきことをただ打ち込む。

猛スピードでタイピングしているときになぜか思い浮かんだ鮭の切り身。真空パックにぎゅっと閉じ込められたオレンジ色の二切れが、青白い冷凍庫の底に転がっている。

今日はシチューにしよう。ルウの残りもあるし、鮭のシチューを作ろう。

帰り道にじゃかいも、にんじん、玉ねぎ、牛乳を買う。ブロッコリーはあったはず。

生まれてはじめて、鶏肉ではなく鮭でシチューをつくる。作り方は特に調べない。鮭を先に焼いて取り出し、皮と骨を取り除く。野菜を炒めて水を加え、ほんのりピンク色に変わった切り身をそっとその上にのせる。ルウを溶かすときに、ゆっくりと具をかき混ぜながら切り身を大きくほぐし、ごろごろ煮込む。音がぐつぐつと濁ってきたら、牛乳をちょろちょろと加えてこってりしたベージュを白く染める。

シチューと一緒に食べるのはごはんではなく、安売りで買ったライ麦パン。パンと食べるおうちごはんは、勝手にお洒落なレストラン気分にさせてくれる。なんとなく背筋を伸ばして、優雅な気分で椅子に腰かける。ついでに、友人からプレゼントされた上等なスプーンをテーブルに並べる。

冬のシチューが絶品に変わるのは、寒い日にシチューを食べたくなる気持ちと、とろりとした白いスープが沁み渡る冷え切った体があってこそ。

「寒い日にあたたかい部屋の中でつくる真っ白なシチュー」という響きが、食べる前から私の心をほくほくあたためる。

寄り添って焼かれる鮭。はじめてつくった鮭のシチューは100点満点でした。

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