外出自粛がモヤモヤする理由
私の投稿は始めてからずっとこの内容で、どうかなとも思うけど
ここはつらつら思いを書く場所、と決めてはじめたので、今日も
やっぱり気になってることを書く。
外出自粛が大きく実施されて1週間ほど。
早くからテレワークなど始まった人もいるのでそれ以上の期間「外出自粛」がなされているわけだが やはり、完全ではない。
どなたかのツイートでも見かけたが、そうなるのは、外出自粛の意味がちゃんと伝わっていないからだと思う。
あんまり外に出ているわけではないのであくまで私の近所の話になるけど、最近の世の中の景色の変化は
・屋外でトレーニングしている人が増えた
・犬を連れて歩く人が増えた
・スーパーではたくさん買うひとが増えた
・若者を見かけなくなった
ということ。
天気のいい日は 子供たちを公園で遊ばせていて、ハラハラする。
外出自粛は、人の集まっていた場所では、実行されている。それはきっと、
人目が気になる文化だからだろう。
「こんな時に渋谷にいたとか知られたらなんか言われそう」
みたいな感覚が、都心への外出自粛には一役も二役も買っていると思う。
しかし、なぜ外出自粛と言っているのか というそもそもの理由が曖昧だから
「ちょっとくらい」の気持ちが出たりして、
医療従事者の私にとってはハラハラするような状況を作っている。
ハラハラする状況とは、
・わざわざマスクをとって会話をする
(↑会話時こそ飛沫が飛ぶ)
・屋外なら大丈夫、と子供同士を遊ばせる
(↑屋外でも近づけば感染する)
・生活に必要なことならばいいんでしょ?という外出
(↑最低限。接触の機会になるからほんとはしないほうがいい。)
とか、あります。
ウイルスは、空気読んで行動しませんから。
いつでもチャンスを狙っています。
・・・
一方、本題の
「外出自粛がモヤモヤする理由」とは、
その自粛のジャッジを一般市民に委ねられていることではないだろうか。
「不要不急」かどうかを判断するのは自分である。民主主義だから仕方ない。
そして、たとえば
芸術や娯楽に関わる人にとっては それらを
「不要」とされることもなんだか腹立たしい。はずだ。余計な買い物でスーパーへ行くほうがよっぽど「不要」だと思う。
この外出自粛をめぐっては、私以外にも
いろんな人があれこれと思っているはずである。
こうした大きなことを、一般市民が考えることとセットで成り立つやり方を成功させるためには、それぞれの知性がポイントになる。
小さな子供がいる家庭や認知症家族がいるところは難しいかもしれないけど
在宅時間が多いこの時間で、知性を磨くことに少し当てたらいい。
この期間をどう使うかが、今後、
ウイルスの問題が解消された時、再稼動する社会に影響すると思ってる。
心に響く、以外の
いいキャッチコピーはないかな。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?