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わたしが「駐在妻」に抱く違和感の正体 | 30代のアメリカ生活

先日こんな記事を書きました。

少々尖った内容だったかもしれません。考えをしっかり推敲して纏めてから世に出しているわけでもなく、その時の考え、感情をそのまま文章にしているので言葉不足な面もあったかも。

この「駐在妻と言いたくない」というテーマについてどうにももや~っとするものを目にしたので、改めて考えを整理してみました。(と言っても、とても短くシンプルな内容です。)

わたしが「駐在妻」に抱いている違和感はどこから来るのか、正体は何なのか。


例えばある女性がこう自己紹介をした(書いた)とします。
「わたしはサラリーマンの妻です。」

こんな人(自己紹介)みたことありますか?
それを言うなら既婚女性、共働き夫婦、専業主婦とかじゃない?


こちらはどうでしょうか。
「商社マンの妻。」「開業医の妻。」

これはたまにいるかもしれないですね。ちょっとマウントっぽい。配偶者のステータスじゃなくてあなた自身はどうなの?と言いたくなります。(わたしは。)


じゃあ「駐在者の妻。」は?

どうでしょうか。

「サラリーマンの妻」も「商社マンの妻」も「駐在者の妻」もある意味全部同じですよね。自分じゃなくて配偶者の肩書に依拠してしまっている。そこにわたしは違和感があるのだと思います。


とは言え、「●●の妻。」の●●が希少であればあるほど、確かにその人にしか得られない経験をされていることもあるので、違和感は少なくなるかもしれません。「梨園の妻。」とかね。

一方で「駐在者の妻」は今の時代おそらく特に希少性はないですが、どちらかというと、同じ境遇の人とつながるキーワードになっているのかなとは思います。

だから前回もこう書きました。

確かにわたしは「海外駐在中の夫の妻」であるし、たとえばSNSで似た状況の人を探したい、情報収集をしたい、はたまたわたしのnoteを読んでもらいたいときには、駐在妻という言葉を使うのが1番簡単で効果的なのだろうと思う。

「駐在妻と言いたくない」より


それでもわたしは夫に依拠するのではなく、わたしはわたしとして自分を表現したいので、駐在妻と言いたくないという気持ちがあるのだと思います。

それは、「夫に帯同していて仕事はしてないけど、わたしだって家事を、育児を、勉強を頑張ってるもん」などという承認欲求ではなく、自分自身のアイデンティティをなんとするかという問題です。


わたしが自分自身のアイデンティティについて考えていることはこちらで書いています。


違和感を感じたとしても、そう名乗ることによって得られるメリットを取ることに重きを置く人はもちろんそれでいいのだと思います。実際わたしもタグとして使用することもあります。

前回からの繰り返しになりますが、「駐在者の妻」という状況、そこに置かれた方そのものに対して何かを思っているわけではないからです。

ただ、「駐在妻」を自分の一番の自己紹介、肩書にはしたくないということです。


考えをしっかりまとめることなく書き連ねたら、3回にも渡って書くことになってしまいました。

「駐在妻と言いたくない」にいただいたリアクションの多さを見て、同じような気持ちを抱えている人は少なくないのではないかと感じています。もしくは反対の方もいるかも。何かあればぜひコメントでいただけると嬉しいです☺

このテーマについてはちょっとネガティブな書きぶりになってしまったのですが、わたしはもともと海外生活が好きで今の暮らしを楽しんでいますし、産休に入る前からのんびりできる環境、そしてアメリカで出産するという貴重な機会をもたらしてくれた夫にもとても感謝しています。

なのでもし、今後続きを書くことがあれば、その時はもう少しポジティブな方向性で考えてみたいなあと思います。

それでは。

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