ツインレイかどうか、なんて分からなくていい。わかってたまるか。
ツインレイで~とかサイレント期間に~とか当たり前のようにスラスラと述べてきましたが、実際問題私たちがツインレイかどうかなんてよく分かりません。どちらかというと、どうでもよい。スピリチュアルな考え方自体は嫌いじゃなかったけど、いわゆる「洗脳ヤバい系の思考」は苦手。人生攻略本ほど面白くない本はないと思っているし、考え方の指南書みたいなのは私には要らない。大きな流れでみると自分が望んだように、今まで、わりとそうなってきたから。
そもそも、向こうはシンプルに「この俺が血迷った、忘れたい出来事」として私をフォルダ保存しているかもしれないしそれはそれで私のM気がじわる。私もそうしてしまえば、楽なのは知ってる。根気よく一人の人を心の奥で愛し続ける、ということがこれから私にできるのか、今まで通りの私なら性格的に、あと一年二年もすれば次に気になる人ができて、あっさり遊んでいるかもしれない。「これはサイレント期間」といってしまえば、いま離れている気持ちが落ち着くのだろうけど、魂のスパンで考えたらすべての人間関係はいつでもサイレント期間だ。
けれどこうやってせっせと記事を書いて、文章化して心を整理しようとしている事実、相手と出会ってから身の回りに起きてきた出来事、おかしな現象が、私にとって何か大事なもので、自分の中について深く考える時間で、これからの人生で基盤になっていく考え方を示してくれるという確信がある。そんな気がしてしょうがないから。
なので、どうやら、そうらしい 出会ってしまった相手との見えない絆を信じられないくらい信頼していくことにする。どう考えても、それが自分を信じることと同じだと思うので。
今日も読んでくださってありがとうございます。