日本経済を建て直せるのはゲーム開発者!? ~メタバース経済とMMTを考える
「メタバース経済とMMTを考える」、前回の序文に続く2回目です。
今回は、前回示した『FINAL FANTASY XI』(FF11)の経済図をもとに、ゲーム内経済におけるお金の流れを見ていきます。図は今回の記事タイトルにもしてあります(少し修正しました)。
なお、ここで大切なのは「お金が安定して流れていくこと」(を確認すること)です。図には「現在」と「過去」とがあるように、FF11は20年の歴史のなかで経済の仕組みが変化しています。過去の反省をもとに、現在があり、ぼく自身のプレイヤーとしての個人的な主観も入りますが、変化によってFF11の経済はかなりよくなりました。
「しょせんゲームのなかの話」「ゲームをもとにまじめに経済を語るなどバカらしい」と言われることは百も承知ですが、でも、そこにたくさんの人々がいて、昔はつらかった経済への関りが今は快適になっていることは事実です。
この感覚を正確に伝えるのは難しいのですが、昔は「かなりがんばって金策しなければ一歩も前に進めない」という感覚だったのが、現在は「あえて金策をせずとも日々を楽しめる、前に少しずつ進んでいける」という感覚になっています。ログインして「今日も金策せねば」と思っていたのが「今日はなにをしよう(お金はあとからついてくる)」に変わったのです。
現実も、こうであってほしい。
そうは思いませんか?
その気持ちを持てるだけでも、FF11の経済(の復興)に触れてきた価値があるというものです。
方や、現実の経済は綻び、つらくなっていく一方ですから、むしろ現実の側に説得力など皆無です。あえて言わせてもらいましょう「現実にしがみつき続けるのはやめた方がいい」と。結局、直視できてはいないのですから。
もちろん現実の経済や社会の仕組みをすべてゲームのようにできるはずはありませんが、部分的に教訓になることがあれば、それを知っておくことには意義があります。ですから、"クソ真面目"に話を前に進めていきます。
オフラインRPGのインフレ経済を振り返る
脇道なので話を短くまとめますが、オフラインRPGの経済はたいてい破綻しています。
古いものでも、RPGをいくつかプレイした経験があれば、物語の終盤にお金がありあまって、買いたいものもなく「カンスト」(カウンターストップ、所持金が999999Gなどになって、それ以上増えなくなること)に至る経験をした人は少なくないのではないでしょうか。カンストに至らずとも「お金はもういいや」という気持ちになり、それまで出会うことに金銭的価値のあったモンスターが「ただの邪魔者」に見えてきた経験をしたひとは少なくないはずです。
初めの村ではスタンダードな武器を50Gで買えたのに、次の町では200gに、その次は500Gに、「次は1000かな?」と思ったら1500Gに、という感じで物価が上昇していきます。もちろんモンスターを倒して手に入れられるお金も初めは1~5Gくらいだったのが、10G、20G、50G、と増えていきます。
このような物価の変化は、ゲームデザインの都合で決められています。「モンスターを"X"体倒せばその地域のボスに勝てるレベルになる」「その時点で得られるお金の総量は"Y"で、それが必要な武具の購入に使える金額」という感じです。
そして、最後のボスを倒して物語が終わらせるために必要な武器や防具をプレイヤーに買わせることができれば、ゲーム内のお金の役目も終わります。だから、ゲームの終盤では物価が高いぶん収入も高く、これ以上買うものがなくなっても高収入が続くために、お金がありすぎて逆に「うんざり」するような状況が訪れるのです。
オンラインRPGの経済は"ホンモノ"になるしかない
でも、FF11のようなオンラインRPGは「終わらない」ことを前提に設計されていますから、オフラインRPGのようなインフレ(物価高)の末に破綻する経済バランスにはできません。オンラインRPGはオフラインRPGのように気前よくお金をバラまくわけにはいかず、プレイヤーとしては「オフゲに比べて、なんだかタイヘン」という印象を受けます。
別作品になりますが、おなじくオンラインRPG化した『ドラゴンクエストX』(DQX)も、サービス開始初期には(それまでのオフラインと違って)必要なお金が全然手に入らないと非難が集まりました。
でも、実はこの「非難が集まること」自体が、オンラインRPGはただのゲームではなく、経済が"ホンモノ"であることを示しているのです(もちろん、本物になれずに消えていった作品もあります)。
なお、今回の図はFF11におけるシステム(青、左)とプレイヤー(赤、右)との間の価値の流れを示したものですが、この"核"の部分は[y]にあたる"プレイヤー(冒険者)"とシステム[2][3][4]のやりとりにあります。この部分は、オフライン、オンライン両方のRPGに概ね該当します。左向き矢印はプレイヤーからシステムへの支出、右向き矢印はプレイヤーがシステムから得る収入です。また、黄色はお金、緑色はアイテム、灰色はゲーム内において無形のものを示しています。ただ、呼び名は「代金」だったり「報酬」だったり、状況によって変化します。
なおオフラインRPGでは、地域を守る小ボスを倒して先へ進むために必要な武具の購入も移動のための支出と考えてください。そして、お金とアイテムがシステムから生み出されたぶん、消えていく(矢印の本数が同じ)ことさえわかれば今の時点では充分です。
ここで注目すべきは、オンラインRPGにおいては、右向き矢印の「報酬」が細いことです。オフラインRPGの場合はこれが太く、プレイヤーへお金を"大盤振る舞い"する一方、逆に左向き矢印の「代金」は控えめになっています。
ここがインフレの原因なので、オンラインRPGでは"引き締め"が行なわれ、日々の稼ぎは少なく、必要な金額は多くなっているのです。ただ、これだけではお金の総量は減少し、逆に激しいデフレに陥ります。
さらに、図の下の方を見てみましょう。
すると、プレイヤーのなかで強くなった上級者を対象にさらなる挑戦の機会(図の6、試練=エンドゲームコンテンツ)があり、そこでも報酬を得られることがわかります。こうしてシステムが生み出すお金と、回収されるお金の総量のバランスが取られ、経済が破綻しないようになっています。
というのは嘘です(えっ)。
日本経済と初期オンラインRPG経済の類似点
実際には「これでいい」という"建付け"になっていただけです。
この場合の上級プレイヤーはオンラインRPGの住人のなかでの先行者であり、その時点での天井にたどりついて「もうやることがあまりない」と思っている人たちです。つまり、オンラインRPGのプレイヤーでありながら、一時的にオフラインRPGをクリアした人のような状態になっているのです。この層はお金を使う意欲があまりなく、あるとしても他の上級プレイヤーとの間で"高級品"をやりとりすることが主体になるため、庶民的プレイヤーとの間でお金が循環しません。
なお、経済がこういう状態にあると、庶民プレイヤーは必死で小銭をかき集めて上級プレイヤーから高級品を買うことで強くなり、自分が上級プレイヤーになろうとします。そして、ますますお金が上級者へと偏っていきます。
なんだか、まるで、ここしばらくの日本のようですね。
逆に、MMTのように「じゃんじゃんお金を配れ」という考え方はオフラインRPGのようだとも言えます。
「MMT肯定派はオフラインRPGのような経済が良いと言っている」と思われて非難され、「MMT否定派は初期のオンラインRPGのような経済が良いと言っている」と思われて非難されている、と考えればわかりやすいのではないでしょうか。でも、どちらも誤解です。両者が本当に求めているものは、別にあります。同じ苦境にある者同士、「わざわざ悪いものを求める人などいない」という前提に立たなければ、議論も、考えも前には進みません。
次回は、FF11の経済の全体像を見つめつつ、さらに現実との類似点を探っていきます。
(つづく)