編集者は告げた「もっとパンツ見せろ」と。(後編)
前編から続きです。ある日、マンガ家を志す青年ヒトシは、作品持ち込みのため大手出版社を訪れる。しかし編集者は作品を見もせず、ヒトシに覆いかぶさると「HENTAIしようぜ」と囁いた……。
冗談はさておき(ごめんなさい)。
雑誌などの媒体にどの作品を載せるか、あるいは単行本などの商品として何を発売するかを決めるのは出版社です。作者が一方的に「載せてほしい」「売ってほしい」と言ったところで自由にできるわけではありません。
「俺の作品を載せないのは表現の自由の侵害だ!」と言っても仕方ありません。そんなこと言う人いないでしょ……と思うかもしれませんが、企業が運営している掲示板などへの投稿も同じで、投稿時にチェックされはしないものの、投稿後に削除されると「表現(言論)の自由の侵害だ!」と批判する書き込みを目にしたことがない人は少ないのではないでしょうか。
『表現の自由』は、かなり誤解されている概念です。
自分ひとりだけで何かを作り、表現するのは自由です。所持したり、他人に譲ったりしてもいい。これを強制力を持つ者が阻むことが表現の自由の侵害となります。
難しいのは、複数人がチームとしてモノを作るときです。
本来はチーム全員が合意してモノを作っていけば良いだけですが、作家と編集者(出版社)の場合、その力関係は対等ではありません。多くの作家は編集者の要求を呑むか、関係を断ち切る以外に選択肢がないのが実情です。
編集者の主な役割は利益を増大させることで、そのために編集者は作者・作品に介入します。基本的には作品をより良いものにし、多くの読者に受け入れられるものにするためですが、作者にとって不本意なことも少なくありません。
女性キャラクターについて言えば、「パンツ見せろ」のほかにも、胸など体型の強調、ある種の表情などの介入もあります。非エロ作品に含まれるエロ表現(いわゆる『エロコード』)が問題視・指摘されたときに、それを擁護する言説として「わざとやっている手法ではない、そんなこと考える方がエロい」などという反論がありますが、事実に反するうえに完全にセクハラです。
編集者から作者への介入として、言語化されるかたちで『エロコード』は実在します。
もちろん作者も同意し応じているわけですから、出版社だけに責任があるわけではありませんが、出版社にとって作品の表現が不本意だということはほぼありえない一方で、作者にとって不本意なことは大いにありえます。
そもそも、エロ産業に従事すること自体が不本意というケースすらあります。
本当は重厚な歴史マンガを描きたいけど実力が及ばず、比較的容易にお金を稼げるエロマンガ誌などで仕事をする作家は存在します。いやならやめればいい、コンビニでバイトするなどほかに選択肢があるはず、という意見は間違いではありませんが。
しかし、お金を貰えて画力アップにもつながる、商業経験ありの経歴ができる、という実益があるほかに「いずれ描きたいものを描けるようになる(してやる)」といった言葉に抗えないこともあり……その構図の一部は、地下アイドルから性風俗やAVに至る道へ進んでしまう女性たちに似たものがあります。
エロ表現を巡る議論が起きると、男vs女のような雑な対立を仕向けられることがありますが、そういう安直な問題ではないことは明らかです。背景にあるのは、ビジネス最優先で他の都合を無視したり、クリエイターなどの憧れ産業を志す人たちを搾取する構造にあります。本来なら味方になれるような人たちが、嘘や無知に基づく無責任な言説により分断されていることはとても残念です。
こういった問題は、社会の構造を知り、他人の都合を考えるほど難問になって「答え」を出しにくくなるものです。この記事も「こうすればいい」と無責任な答えを出すことはしません。
ただ、「誰もが自身の本意や不快感を示すのをためらわないこと」、「他人の都合を勝手に代弁しないこと」は大切だと言えます。これは『表現の自由』の概念を正しく用いるうえでも重要です。
逆に、自分の意志を表すことを非難し、他人の都合を勝手に騙る人が、誤った「表現の自由」を声高に主張して悪用することがありますが、どうか騙されないようにしてほしいなと思います。
ところでタイトル画像、パンツを2枚にしたら蝶ネクタイみたいになっちゃいましたけど、まあいいですよね。