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書くことが最高の薬

忘れていた。
僕にとって、書くことは欠かせないことだったのだ。

最近は電車の中で、メールやFacebookやXやnoteを書いている。それも書くことだと思っていたが、ちょっと違うようだ。僕にとっては、肩が凝るだけでなく、脳みそが腐っていくような最悪の行為だった。

ペンで書くのが一番かもしれないが、いつからかパソコンで書くことに慣れてしまった。スマホで書くのは最悪、というか別の行為のようなのだ。場所も姿勢も親指だけという行為も、画面の狭さもことごとく、アウトプットを悪い方向に向ける。

この歳になると通勤時間なんて、ラジオを聴きながら、ボウッとして過ごすのが最良だ。無論、若い頃は本を読んだものだが、今は持ち歩くのも読むのも疲れる。パソコンと上製本が一緒にリュックに入っているだけで腰がやられるし、何かを読むのは目がやられる。

サンドウィッチマンのザ・ラジオショーなんか最高じゃないか。

最近は黙っていると頭が痛くなるので漢方を飲み始めたのだが、僕にとって最良の薬は書くことだと発見した。なんとなく自分の来し方を整理しようと思って、色々と書き始めたら、頭がスッキリしてきたのである。

どんな薬よりも良く効くようで、逆流性食道炎になってから実に10日ぶりに寿司が食べたくなった。そして家族と一緒に出前を思わず頼んだ。これからまとまった時間が取れるときは、いそいそとパソコンを立ち上げて黙々と文章を書き続けることにしようと思っている。

人それぞれに、幸せの在りかは違う。

仕事一つとってもそうだ。そもそも仕事は成果を出して配分することだと僕は思う。成果が出たら楽しめばいい。優勝後のビールかけみたいに。僕はそのための土台もつくらずに「楽しくやろうよ」というノリが大嫌いなのだ。

少なくとも、僕の幸せはそこにはない。

たいがい成果責任を持っていないか、もしくはマイナスを掘り続けている人がそんな能天気な旗を振り続ける。創業と守成とどっちか困難か。派手な成功をしたベンチャーが、しばらくして瓦解していってしまうことが多いのはここに理由があるんだと思う。

バカ騒ぎではなく、まずは仕組化をして安心して仕事をできるようにすべきじゃないか。僕にとっては、その中で成功に向かって前進している実感こそが、仕事における幸せの在りかである。

そういう毎日を過ごしながら、家族や趣味の仲間と余暇を楽しめたらいい。ちなみに、会社で成果よりもまず「楽しくやろうよ」という人の中には、この順番すら逆のケースもあるのかもしれない。人生が辛すぎて、会社で楽しくやるしかない、というケースだ。

人それぞれに、幸せの在りかは違う。

だから僕は、誰かを否定するものではない。みんな寂しくて楽しい人間だ。幸せを最大化する鍵はどこにあるのだろう。46億年の歴史のなかで、人類は役割を決めることで大きな進歩を遂げてきた。

幸せの在りかが違う人たちが集まって成果を作ろうとするときに、最も重要なのは役割だと僕は思う。そこが混乱しているといつまでたっても問題が起き、離職が後を絶たなくなってしまうだろう。

明日も時間があるのでゆっくりパソコンに向かいます。気が向いたらnoteにアップしますので、よかったら付き合ってください。

ではでは。





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