【インタビュー】バートン・リチャードソン「ブルース・リーが目指した進化とはなにか?」前編
バートン・リチャードソン インタビュー(前編)
取材・文◯コ2編集部
取材協力◯光岡英稔
毎年恒例となっているJKDアンリミテッドを主催するバートン・リチャードソン氏の講習会が、今年も10月18日〜27日まで、東京と岡山で行われた。
バートン氏は多年に渡ってブルース・リーの盟友である、ダン・イノサント氏に師事。JKDの他にもブラジリアン柔術、カリ、シラットなどをはじめ、アフリカ・ズールー族のスティック術など、様々な民族武術を現地を訪ねて学んでいる。※以前のインタビューはこちらから。
1992年にJKDアンリミテッドを設立、ハワイで活動を開始。「アンリミテッド」という名前は、ブルース・リーの「制限、制約がないということが、唯一の制約だ」という言葉に拠っているという。
前回は主催の光岡英稔先生のご厚意により、セミナー3日目に行われた「ブルース・ リーの基本技術の変遷とJKDU前編 〜ジュンファンJKD〜」「ブルース・ リーの基本技術の変遷とJKDU後編 〜JKDU〜」の模様をレポートでお伝えした。
ここでは改めてバートン氏へのインタビューを2回に分けて紹介したい。
「形や套路はツール」(バートン先生)
コ2編集部(以下、コ2) 今回の講座を拝見して、ブルース・リーの技術の変化は、伝統的な技術を元に、実戦性というものを念頭に変わっていったということがよくわかりました。
バートン・リチャードソン(以下、バートン) そうですね。伝統的に「こうでなくてはいけない」という定型化された教えから、自分の経験から「これが実際にうまく使えるか、使えないのか」という実証を踏まえて進化していきました。
コ2 それは非常にわかるのですが、もともと伝統的な武術、空手や中国拳法で学ばれる形や套路は、技術を含めて様々な要素があり、その中には自分の体を養う、武術的な動きの基礎を作るという部分もあると思います。
バートン 私が信じていることは、形や套路はツールをもらうようなものだということです。例えば絵描きになる人は、ブラシの持ち方や塗料の混ぜ方を習うと思います。いずれは自分の絵を描かなければいけないわけです。それは歯医者であろうと大工であろうと同じで、まず自分の使っている道具がどういう機能を持っていて、どう働くのかを経験的に学習しなければならないわけです。
例えば空手のマスターである大石代吾先生の映像を見ると、非常にリラックスしています。彼は極真空手で必要なツールを学び、自分自身にとって最適なツールの使い方を見つけ、独特のスタイルを身につけたわけです。柔道も同様です。ほとんどの場合柔道を学ぶ人は一通りの技を教わります。
しかし最終的には自分の得意技を見つけ、それが有効に機能する方法を工夫するわけです。それこそ、ブルース・リーが「JKDは個人だ」と言った理由です。個人がそれぞれの体格や個性に合った闘い方を作り上げるわけです。それはあなたのお仕事、物を書くということでも同じでしょう。そこ(文章)にはあなた独自のリズムや書き方があるはずです。ですが書くという作業をするためにはまず文字や文法を知らなければできません。
ですから形や套路はそうしたツールであり、最終的にはそれを使いそれぞれの人が自分なりのスタイルを作るのだと考えています。
コ2 ブルース・リー先生自身は套路についてどのようにお考えや意見をお持ちだったのでしょう。
バートン ブルース・リーはロサンゼルスの教室では蹴りの套路のようなものを教えていたそうです。またダン・イノサント師父は「ブルース・リー先生の套路はそれまでも、またこれまで見たどの套路よりも素晴らしかった」と言っていました。そうしたことからもブルース・リーは形や套路自体がexercise(エクササイズ)、体を作るものであると理解していたと思います。tool development(ツールデベロップメント)、道具をどう養うか、磨くかということですね。ミット練習も突きを養っていると言えますし、サンドバッグを相手にしたコンビネーションの練習も套路であるとも言えるわけです。バッグが打ち返してくるわけではありませんしね(笑)。
ブルース・リーは常に進化を目指していた
コ2 セミナーを拝見していて一番感じたのは、確かにブルース・リーはボクシングから大きな影響を受けていると思うのですが、同時に武術のエッセンスの一つである「交差法」、受けと突きを一挙動で行うコアな技術をスポーツ的な動きの中に実践しようとしていたのではないかということです。
バートン その通りです。ブルース・リーはロスアンゼルス時代に映画「死亡遊戯」に出演したアブドゥル=ジャバーに連れられてUCLAに訪問して、カリームのバスケットボール仲間を相手にスラップ・ゲーム(手のひらで相手の額に触るゲーム)をしたそうです。
彼にとってはそれは難しい時間だったそうです。なにしろリーチが全く違いますし(編集注・アブドゥル氏の身長は218cm、ブルース・リーの身長は170~175cmと言われている)、またバスケットボールの選手なのでとても機敏でもあったわけです。
そこで「これはもっとボクシングや自分より大きな人間を相手にした研究しなければ」と思ったそうです。こうした変化は映画のなかにも現れています。「ドラゴンへの道」の最後にチャック・ノリスと戦う場面で、ブルース・リーは最初、伝統的な一つ一つに極めがある固い動きで不利な展開になります。そこで彼はリラックスを心がけてより自由なスタイルにすることで挽回、勝利するという展開になっています。
このシーンはとても重要で、相手に応じてより自由に「進化」することの大事さを伝えたかったのだ思います。
コ2 あの決闘のシーンは格闘映画史上でも屈指の名シーンだと思います。
バートン どうしようもないような困難な状況を目の前にして、それまでの自分のやり方だけで「なんとかしよう」と努力をしていても、どうしても通用しない時に、別の方法を自分のなかに見いださなければならない。そういう教えがあのシーンに込められているのだと考えています。
ダン・イノサント先生はブルース・リーと映画を撮っていて一番最後に会った時にいろいろお話をしましたが、最後にはスパーリングをしたそうです。その時、彼はもう「相手の攻撃を受ける」ということはしていなかったそうです。
コ2 それはボクシング的には常にカウンターを返される、というイメージでしょうか。
バートン カウンターだけではなく、自分から仕掛けたり、蹴りもあったそうです。「とても素晴らしかった」と仰っていました。
ブルース・リーの寝技について
コ2 映画に関連してですが「燃えよドラゴン」のオープニングでサモハンキンポーを相手にブルース・リーが腕十字を極めるシーンがありますね。ああした寝技はどこから学ばれたものだったのでしょうか。
バートン ヘイワード・西岡先生ですね。ブルース・リーの柔道の先生でした。またジーン・ラベルからも習ったそうです。レスリングについても学んでいたようですが、それが誰だったかはわかりません。
ダン・イノサント先生もブルース・リーと一緒に寝技を学んでいたそうですが、二人でスパーリングをするほどまでは研究が進んでおらず、一つ一つ技を練習する段階だったようです。もし生きていたらガードポジションなども見つけていたかもしれません(笑)。
コ2 そうですね(笑)。ブルース・リーの残されたノートを見ると、寝技のスケッチが残されていますね。
バートン 沢山ありますね。「死亡遊戯」では袈裟固めも登場しています。まだ研究の途中だったのですが、グラウンドということを自分の技術体系の一部として完全に考慮に入れていたのだと思います。
コ2 ブルース・リーと言えば打撃系というイメージが強いのですが、なぜ寝技にまで興味を持ったのでしょう。
バートン やはり視野が広く、どんな局面もカバーできるものを目指していたのだと思います。ブルース・リー自身が実際の格闘で寝技を使う必要はなかったのかもしれませんが、やはりいろいろな経験から学ぶ必要があると考えたのでしょう。
JKDにはラリー・ハートソールという先生がいますが、彼はグラップリングが大変得意で、JKDのなかでも最も研究されていました。元々はレスリングを学び、警察官もしていました。ですのでJKDではいまも熱心にグラップリングが稽古、研究されています。
(了)
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–Profile–
●バートン・リチャードソン(Burton Richardson)
ハワイ在住の武術家
JKD(ジークンドー)と東南アジア武術の第一人者
ブルース・リーのジークンドー・コンセプト、ジュン・ファン・グンフーとフィリピン武術 カリを継承し伝えるグル(導師)ダン・イノサントやラリー・ハートソールからJKD・インストラクターの認可を得る。
フィリピン武術に関してはアメリカ、フィリピン在住の多くのマスターやグランドマスターと交流し学ぶ。その多くは今となっては殆んど稀である、互いに武器を持っての素面で行う命をかけたデス・マッチやチャレンジ・マッチを生き抜いて来た世代のフィリピン武術のマスターやグランドマスターばかりであった。
カリ・イラストリシモの今は亡きタタン(フィリピン武術指導者最高の象徴)・アントニオ・イラストリシモから公認の指導者として認められる。
イラストリシモ門下の故マスター・クリステファー・リケットや故マスター・トニー・ディアゴ等と共にイラストリシモの下で稽古に励む。
グランドマスター・ロベルト(ベルト)・ラバニエゴにも師事しエスクリマ・ラバニエゴを習得。
フィリピン武術の世界では有名なドッグ・ブラザーズの立ち上げ当初のオリジナル・メンバーの一人でもあり、ニックネーム“ラッキー・ドッグ” の名前でも知られる。
インドネシア武術シラットにおいては、今は亡きグル・バサァー(最高導師)ハーマン・スワンダに長年に渡り師事しマンデムダ・ハリマオ流(インドネシアで失伝しそうであった16流派のシラットを受け継いだハーマンがまとめた流派)を修得。
ペンチャック・シラットをペンダクラ・ポール・デトゥアス(最初にペンチャック・シラットをアメリカへ紹介したアメリカにおける第一人者)から習い、シラットにおけるグル(導師)のタイトルを授与される。
他にムエタイ、クラヴ・マガ、南アフリカのズールー族の盾と棍棒、槍の技術等を修得。
イーガン井上からブラジリアン柔術黒帯を授与される。
90年代には総合格闘技UFCのコーチとしても活躍。
web site:「Burton Richardson’s 」
●光岡 英稔(Hidetoshi Mitsuoka)
日本韓氏意拳学会会長。日本、海外で多くの武道・武術を学び10年間ハワイで武術指導。現在、日本における韓氏意拳に関わる指導・会運営の一切を任されている。また2012年から「国際武学研究会(I.M.S.R.I.International martial studies research institute)」を発足し、多文化間における伝統武術・武技や伝統武具の用い方などの研究を進めている。著書に『武学探究―その真を求めて』『武学探究 (巻之2) 』(どちらも甲野善紀氏との共著、冬弓舎)、『荒天の武学』(内田樹氏との共著、集英社新書)など。
Web site: 日本韓氏意拳学会
国際武学研究会 bugakutokyo.blogspot.com
twitter:@mclaird44