【追悼特集】横山和正インタビュー02「宝を自覚して絶えず磨く」
【追悼特集】研心会館館長 横山和正先生を偲んで
インタビュー02「宝を自覚して絶えず磨く」
聞き手・文●日貿出版社 コ2編集部 下村敦夫
横山和正先生(東京 公開講座 2017年)
空手家・横山和正先生が2018年5月26日に亡くなられて、もうすぐ一年が経ちます。
コ2では追悼特集として、横山先生の残された言葉や映像をご紹介しています。
先週に続き、今週も闘病中の病室で伺ったお話をお届けします。
※本インタビューは2018年5月12日に入院先の病室で収録したものです。
本気で怒らせたら、弱い人間はいない
横山 だから映画なんかもそうですよ。映画「GREEN」なんか撮った時に、相手がアーミーの奴だったんですよ。エキストラで出るということで来ているんだけど、やっぱり態度が悪いんですよ。それでちょっとした挑戦をされるんだけど、その瞬間に殺陣をやるような感じで脅かしてしまう。
コ2 「いつでもやれるぞ」と。
横山 そうそう。「これはやばい」と思うと、向こうも喧嘩はパーフォーマンスじゃないけど、本気ではやりたくないわけだから、その時点で「こいつはやばいな」と思うと引くじゃないですか。だからその辺を微妙に使ってくるというかね。
日本の空手の人で間違っているところは、「チャレンジしてくる」ということを勘違いしちゃって、「私たちは相手を選ばない」とやって自滅していっちゃうんですよ。
一番大事なのは相手の土俵からいかにして引き摺り下ろすか。現実の勝負として考えた時に、人間として考えた場合、相手が武道をやっていなくても本気で怒らせておかしくさせたら弱い人間なんていないと思うんですよ。そこのところは人間はみんな強いから。そういうのをこなしていくためには、「いかに相手に力を出せないか」じゃないですか。それは相手の土俵からいかに引き摺り下ろして、自分のものに引っ張ってくるか。そのへんなのかなって。
コ2 その発想というのはどこからきたのでしょう?
横山 やっぱり経験でしょう。失敗もありますよ、ちょこちょこと。
俺が失敗した時は手加減した時ですね。生徒に手加減をして逆に向こうに調子に乗られるというパターン。やっぱり手加減した時はやばい。弟子の一人で日本からアメリカに来て、道場の組手でしっかり鼻を曲げられて帰ったのもいますよ。
結局日本のつもりでやると絶対にダメなんですよ。適当なところでうまくかわさないと。
やっぱり日本人の感覚でいうと、「これはスパーリングだからそこまではやらないよ」というのがあるのだけど(相手は)ないですからね。俺、(組手で)相手に噛まれたこともありますから。目の色が変わるんですよ。そうなっちゃうと本人も何をやっているかわらかない状態だから、そういうのを相手にすると大変じゃないですか。
だからそこまでキレさせないというか、本当に倒してしまうんだったらそうなる前に倒してしまわないとダメですね。
コ2 アメリカで倒すとあとで裁判とか大変なことになるとも聞きますが。
横山 俺もそういう風に脅かされたけれど、そうなったことは一度もないですよ。
(組手は)適当に流して、相手のミスを誘って、自分の方からあまり攻めない。試合だったらそれ(入れていって)で良いんですよ、こちらが入れれば止まるから。でも道場のスパーリングだと「止め」が入らないじゃないですか。そういう時というのはうまく流す時は流す。
相手を追い詰めちゃうというのは、窮鼠猫を噛むじゃないけれど、向こうからすれば、「こいつ体小さいくせに生意気だ」というのが絶対にあるから、うまく相手に技を出させて、付き合ってやるというモードじゃないと。
コ2 先生のアメリカでのスパーリング動画を見ると、待ってカウンターを当てる感じで、一方的な展開にしないですね。
横山 相手にやらしてやる感じですね。でも調子には乗らせない。「調子に乗りそうだな」と思ったら、先にパチンと当てて抑える。大きな回し蹴りをポコンと当てたり。
あと「この人は苦労して自分に当てているな」という印象も与えない。「この人が本気でやったら、一発で倒されてしまうんだな」と思わせる。
だからそういう時はフェイントもかけないで、「ここ」というタイミングで、基本の(動きの)ように当てて「あ、こんなに簡単に当てられてしまうんだ」と思わせる。そうでないと、「先生も無理して当ててきている」となっておかしなことになる。「必死感」を出さない。
大変だけど組手って稽古じゃないですか。だから自分自身だってあれが強さとかだとは思っていないから。そういうところで駆け引きを覚えたり、指導する側には指導する駆け引きというのがあるじゃないですか、そういうことを身につける。
組手のための組手に意味はない
コ2 以前「本来の空手に攻防という分け方はない。だけど組手には攻防がある。でも「これだ」と思ってやると間違える」と、おっしゃっていたのをよく覚えています。
横山 組手と空手も違いますからね。俺はある意味で組手はなんでも良いと思うんですよ。色々なやり方があって、工夫があって。
コ2 それでも「組手が空手の攻防そのものである」と思ってしまうことも多いと思うのですが、そうならないためには何が必要でしょうか?
横山 そこは結構難しくて、例えば一本組手では相手の攻撃に合わせて下がったりするじゃないですか。でも本当の時は相手が出てきた時に自分も出ていくわけでしょう。(かといって)そういうことを相手をつけて練習することって難しいじゃないですか。
だからそれは自分が組手の中で理解していないと。「本当はここでは出ているんだ」ということを理解しつつ下がる。「ここで自分が前に出れば入る」ということを意識して、それを確認して下がる。俺はそうしていますね。相手が来た時に、「今出ている」ということを思いながら下がる。ただ下がらない。
コ2 ある程度自由に動く組手(スパーリング)のなかでもそういう意識があるのでしょうか。
横山 ありますね。だけどやっぱりこっちには技術があるからそれを生徒を相手に出すと、不公平になってしまうんですね。だって、「本当にやりましょう」となったら、相手が攻撃する前にボコボコっとやって終わりなってしまうわけだから。それじゃあこっちの練習にもならないわけじゃないですか。そこうまく考えながらで。
だから組手の中で自分が気になっている動きを入れて行ったり、相手によってテーマを変えて、「この相手には蹴り、この相手には突き」と。そういう一つの組手の中にも色々なことを試す。そこはテーマを持った方が内容が違ってきますね。
だから沖縄の中里先生のところは組手をやる奴は組手しかやらなかったから。だけど俺は型を学びに行っていたんですよ。逆に彼らのやっている組手というのはわかっているわけですよ。だからやろうと思えば大体のことはできるんだけど、それをやるのは自分の稽古のプラスにならない。だからあえて今まで自分が使ったことのない技を使ったりしていました。
そうするとやっぱりうまくいかないわけで、先輩から「お前何をやってるんだ?」と言われるんだけど「俺は違う練習をしているんだよ」と思って聞き流していましたね。別にこの人たちに勝つために練習をしているわけではなくて、自分には自分の練習があるわけだから。だから沖縄の時代からそういうことを始めていましたね。
特にアメリカに行って指導をしてから、生徒と組手をする機会が多くなって、そういうことを試すことも多くなりましたね。
それもさっき言った通り、知る段階があって、学ぶ段階があって、沖縄は完全に学ぶ段階だったから。でも沖縄で組手をやったアメリカ人は少しそういうことがわかっていたと思います。
組手で俺以外の日本人にやられても後で「あれは本当は大したことない」とか言ってるんですよ。実際、道場で威張っていた日本人の先輩相手に組手でキレて、顔面を殴ってノックアウトしていました。「ほら見ただろう、こんなもんだ」という感じで。「アメリカ人の方が体もでかいしパワーもあるんだから、いざとなった負けるわけないよ」と。
横山和正先生(東京 公開講座 2017年)
でも彼は俺と組手をやる時にはそういうことはなくて。むしろ組手についての考え方は似ていましたね。「組手は大したことではない」と。「組手のための組手をしても意味はない」と。彼もそのあたりのことをわかって付き合っていたんだけど、(K.Oされた)相手がそこに気がつかなかったからキレちゃったんですね。
だから意外と外人の方がそのあたりの空気を読んでやっていたんですね。で、そのことがわかっていなかった日本人に「調子に乗りやがって」とやってしまった。そこをわかってやらないと危ないわけですよ。
自分の中でやっぱり型で得たものをものすごく組手の中で使っている。だからA.Jなんかからすると、「俺はすごくパワーがある」という印象なんでしょう。アメリカ人もスピードもそうだけどやっぱりパワーを感じているんじゃないかな。それは型の中で養ったものなんですよ。
力を入れて全力で型をやるじゃないですか、瞬間的に出す力を循環的にして動くわけで、構えてる手を上からパンと抑えただけでも体ごと持っていかれるわけで、「なんだその力は!?」となる。
コ2 先生は本の中で「全力で型をやるうちに体の中にギアができた」ということを書いていますけど、それは普遍性のある、先生以外の人にも同じことが起きるものだとお考えでしょうか。
横山 思ってますね。だから生徒を教える時にも一生懸命教えるし、覚えて欲しいと思ってます。だけど意外と難しいみたいですね。でもアメリカ人でも結構高いレベルにまでいった弟子がいますから。内弟子でも二年くらいでグッとよくなったのもいるし。
だけど結局それ以上いかない。それはそこで満足してしまうから。努力してそれを得ても、絶えず磨いていかないと落ちてくるじゃないですか。一回その感覚をつかんだことで満足してしまって。宝をつかんだんなら、「その宝を自覚して絶えず磨こうと思う」か、「宝を得たらそれで満足してしまって、そこで終わってしまう」のか、その違いなのかなと思っています。
横山和正先生(東京 公開講座 2017年)
(第二回 了)
『沖縄空手の学び方』横山和正著
横山和正先生の遺著となった『舜撃の哲理 沖縄空手の学び方』。本書はすでにご自身が重篤な癌に冒され、余命宣告を受けたなか「最後の仕事」として向かい合った一冊です。横山先生が追求し実感した空手の姿がここにあります。
現在、アマゾン、全国書店で発売中です。
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–Profile–
●横山和正(Kazumasa Yokoyama)
沖縄小林流空手道研心会館々長。
本名・英信。1958(昭和33)年、神奈川県生まれ。幼少の頃から柔道・剣道・空手道に親しみつつ水泳・体操等のスポーツで活躍する。高校時代にはレスリング部に所属し、柔道・空手道・ボクシング等の活動・稽古を積む。
高校卒業の年、早くから進学が決まったことを利用し、台湾へ空手道の源泉ともいえる中国拳法の修行に出かけ、八歩蟷螂拳の名手・衛笑堂老師、他の指導を受ける。その後、糸東流系の全国大会団体戦で3位、以降も台湾へ数回渡る中で、型と実用性の接点を感じ取り、当時東京では少なかった沖縄小林流の師範を探しあて沖縄首里空手の修行を開始する。帯昇段を機に沖縄へ渡り、かねてから希望していた先生の一人、仲里周五郎師に師事し専門指導を受ける。
沖縄滞在期間に米国人空手家の目に留まり、米国人の招待、および仲里師の薦めもあり1981年にサンフランシスコへと渡る。見知らぬ異国の地で悪戦苦闘しながらも1984年にはテキサス州を中心としたカラテ大会で活躍し”閃光の鷹””見えない手”との異名を取り同州のマーシャルアーツ協会のMVPを受賞する。1988年にテキサス州を拠点として研心国際空手道(沖縄小林流)を発足、以後、米国AAU(Amateur Athletic Union アマチュア運動連合)の空手道ガルフ地区の会長、全米オフィスの技術部に役員の籍を置く。
これまでにも雑誌・DVD・セミナー・ラジオ・TV 等で独自の人生体験と沖縄空手を紹介して今日に至り、その年齢を感じさせない身体のキレは瞬撃手と呼ばれている。近年、沖縄の空手道=首里手が広く日本国内に紹介され様々な技法や身体操作が紹介される一方で、今一度沖縄空手の源泉的実体を掘り下げ、より現実的にその優秀性を解明していくことを説く。 すべては基本の中から生まれ応用に行き着くものでなくてはならない。 本来の空手のあり方は基本→型→応用すべてが深い繋がりのあるものなのだ。 そうした見解から沖縄空手に伝えられる基本を説いていこうと試みる。
平成30年5月26日、尿管癌により逝去。享年60。
書籍『瞬撃手・横山和正の空手の原理原則』(BABジャパン) ビデオ「沖縄小林流空手道 夫婦手を使う」・「沖縄小林流空手 ナイファンチをつかう」・「沖縄小林流空手道 ピンアン実戦型をつかう」「沖縄小林流の強さ【瞬撃の空手】」(BABジャパン)
web site: 「研心会館 沖縄小林流空手道」
blog:「瞬撃手 横山和正のオフィシャルブログ」
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