連載 タッチの力08 山上亮さん・前編「 整体ボディワーカーになるまで」
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日本には「タッチ=触れる、触れられる」の機会が少ない。そんな思いから、日本のタッチ研究の第一人者である山口創先生(桜美林大学教授)をはじめ、セラピストの有志が集い「日本タッチ協会」の設立を準備中です。
その一環として行われている、タッチのスペシャリストたちによるワークショップ(通称:タッチ協会山口ゼミ)の模様をお伝えしていきます。
二人目は山上亮さん(整体ボディワーカー)。前編は「子育て未経験だった20代の頃から、子育て講座をしていました(笑)」と語る山上さんの修業時代について、後編はご自身の施術とタッチの基礎的なワークについて、紹介していただきます。
タッチの力
山上亮・前編
「整体ボディワーカーになるまで」
語り●山上亮
写真●コ2編集部(☆以外)
コ2編集部(以下、コ2) この連載「タッチの力」では、「日本タッチ協会」のセラピストの方々にそれぞれ、
触業(触れるお仕事)に携わるきっかけ
ご自身のいつもの施術について
誰でもできる“タッチ”のワーク
などについて、お話とデモンストレーションをしていただきます。
整体ボディワーカーの山上亮さんには「子どものためのタッチ」というテーマでお話いただきます。
山上さんは大学時代、農学を学ばれていたとうかがっていますが?
山上 亮(以下、山上) ええ。農学部の醸造学科で、いわゆるお酒づくりとか味噌づくりといった発酵の勉強をしていて、自分でも趣味で作っていたりしました。それがどういう経緯で「触業(しょくぎょう)」という職業に携わっていくことになったのか、少しお話しさせていただきます。
山上亮さん
インドで自分も考えた〜児童文学への目覚め
醸造科へ進学したのは、生き物やバイオテクノロジーなどに興味があったからなのですが、人間にもやっぱり興味があって、それで教育というものに関心がありました。いまあらためて自分が何に興味を持っているのかと考えてみると……、
人間は学び成長する生き物だけれど、いったいどうやって、そしてどちらに向かって成長しているのか。自分はどちらに向かっていけば良いのか。
その最たる存在として“子ども”がいる。じゃあ子どもの教育法をもっと勉強すれば、人間が、そして自分がどうやって成長していけば良いのか分かるかも知れない。
そんなことを考えていたのかも知れません。
大学時代には国際協力を考えるサークルに入っていて、そのサークル仲間と一緒にインドへ行き、現地の学校や教育機関を回る旅をしました。その旅の途中で河合隼雄さんの『子どもの本を読む』(講談社、1996)という本に出会いました。
今はどうか分かりませんけど、インドには日本の旅行者がたくさん訪れるので、古本屋に行くと日本語の本がけっこう並んでいたんです。
旅行者がいらなくなった本をそこで売り、新しい本を手に入れる。日本語の本を旅行者みんなでシェアしているような感じで、古本屋に置かれていたものの一冊でした。
大学時代(20歳)、インド北部のカリンポンにある寄宿学校を訪問。子どもたちと親しむ原点はここにあり!?(☆山上氏提供)
その頃はまだ河合さんのことを知らなかったのですが、児童文学に描かれている物語を心理学的に読み解いていくのがすごく面白くて、それで日本に帰ってから児童文学に目覚めて、いろいろ読み漁ったんです。
今の私の方向性というのはある意味そこで大きく切り替わって、そこから今の道が拓けていったことになりますから、なぜインドで、なぜ教育で、なぜ河合隼雄さんで、なぜ児童文学だったのかは、今から思えばまさにコンステレーション(※1)だったのかもしれません。
※1コンステレーション:河合隼雄氏が日本に紹介した、ユング心理学の概念のひとつ。布置、配置とも訳される。一見、無関係にみえるさまざまな事柄が、ある時、全体としてなにか“星座”のようにまとまって見えてくることをいう。
さまざまな作品を読み進める中で特に夢中になったのが、ミヒャエル・エンデ[1929-1995、ドイツの児童文学者。『モモ』『はてしない物語』(岩波書店)などで知られる]の作品でした。彼は一時期シュタイナー教育を受けており、作品もその思想に大きな影響を受けていたのですが、そのことを知って「シュタイナー教育って、いったいなんだろう?」と興味をもちました。
そこでルドルフ・シュタイナー[1861-1925、オーストリアやドイツで活躍した神秘思想家、哲学者、教育者。「人智学(アントロポゾフィー)」を創唱し、その取り扱うテーマは教育、芸術(オイリュトミーなど)、医学、農学など多岐にわたる]の著作を初めて手に取りました。
すると……シュタイナーの本は、自分にとってものすごい衝撃でした。それまで何となく考えてはいたけれどもうまく言語化できなかったことを「この人はきちんと言葉にしてくれている!」と思って。それで一気にはまって、図書館を回っては本を借りまくり、ひたすらシュタイナー関連の本を読みふけるようになりました。それが二十歳の頃です。
「賢治の学校」で師匠と出逢う
シュタイナーが縁で、師匠にも出会いました。立川に「賢治の学校(現 東京賢治シュタイナー学校)という学校があります。
いまはシュタイナー学校として活動していますが、当時はシュタイナー教育だけでなく、大人も子どもも一緒に学んで、このあとお話する野口整体や自然農など、オルタナティヴな人間教育にあたるものを全部取り入れながら、それを“宮沢賢治”というひとつの軸で通して実践する学校でした。
もう亡くなられましたけれど、創設者の鳥山敏子(とりやま・としこ)さんは、演出家の竹内敏晴(たけうち・としはる)さんの行なっていた“竹内レッスン”を学んだ方です。公立学校の教師をされていた頃は、「いのちの授業(生きた鶏を絞めて調理をしたり、豚を丸ごと解体して食べるといった内容で知られる)」を行うなど、人間の全体性をみつめた教育を掲げた方でした。
「なんだかすごく面白そうな場所だ」と通い始めたところ、後に私の師匠となる河野智聖(こうの・ちせい)先生が外部講師としていらして。そのときは武術と野口整体(※2)をベースにした、からだのワークショップだったのですが、正直にいうと、自分はあまり“からだ”のことに興味はなかったんです。ある意味幸せなことですけれど、いたって健康で特にからだの悩みもなかったので、あまり深く考えたことがなかった。
どちらかといえば心理面で人間に興味があったはずなのに、河野先生のワークショップを受けたら、“からだ”というものを自分がまったく分かっていなかったことに気づかされて。「ものすごい。なんじゃこりゃ?」とがぜん面白くなってしまいました。
※2野口整体:野口晴哉(1911-1976)が創始した整体法。詳しくはこちら→http://noguchi-haruchika.com/history_top.html(「野口晴哉公式サイト」より)
師匠の河野智聖先生との一枚(伊豆の植物園にて)
伊豆の植物園にて、師匠の河野智聖先生との一枚(☆山上氏提供)
そのあと大学卒業と同時に「勉強したいです!」と、河野先生にお願いして弟子入りし、ひたすら整体の勉強をする道に入りました。
それからずっと、自分の中では「シュタイナー」と「野口整体」が二本柱となっていて、教育や生活や健康法など、ありとあらゆる人間の営みを模索することが今も続いています。
子育て経験のない若者による「子育て講座」!?
当時、河野先生自身が子育て真っ最中だったこともあり、定期的に子育て講座を開いていたんです。整体で行われるいろいろな手当てについて、お母さん方に教える内容でした。
そこでお母さんたちが先生の話を聞くあいだ、私がアシスタント兼、子守役として、子どもたちの面倒を見るみたいな感じで。多いときで6〜7人はいたかな、そこにやってくる子どもたちとさんざん関わっていました。
そうやって子守をする私の姿をお母さんたちは見ているし、私がシュタイナー教育を勉強していることなどもお話ししていたので、しばらくして「山上さんも子育て講座をやってよ」と言われたんです。
「いやいや、子どももいないし、子育てもしたことありませんから」と断ったのですが、「別にいいのよ。そんなことは。やってよ」と説得されて……(笑)。
それがいま考えると29歳の時ですね。結婚も子育てもしていない20代の若造が、自分より年上の子育て真っ最中のお母さん方を相手に「子育てを語る」という……(笑)。
いいのかな?と悩みましたけど、
「考えてみたら、坊さんだって死んだこともないのに、死後のことを語っているじゃないか。だから自分も子育てしていないけどオッケー。向こうがやってくれっていうんだからいいや。」と自分を励まし納得させて、講座をやっていました。
それで、子育てもしたことないのに子育て講座を始めたわけですが、ありがたいことにいろんなお母さんたちに支えられながらほそぼそと続いていって。
そうしたらそこに出版社のクレヨンハウスの編集者の方が来て「取材したい」と言ってくださったりして。やがて雑誌の記事になったり連載になったりして、本を出すことにもなりました(※3)。
こうしたことがいろいろな形で広がり、今の私につながったのが、これまでの経緯ですね。
※3山上さんの本は現在、『子どものこころにふれる 整体的子育て』『整体的子育て2 わが子にできる手当て編』『子どものしぐさはメッセージ』の3冊が、クレヨンハウスから上梓されている。
子どもたちの「気」をつかむのが修行の一歩
整体の勉強というか修行をして分かったことですが、整体は知識というより、感覚的な部分がかなり大きいんですね。私はどちらかというと頭から入る人間だったので、そういう“感覚をつかむ”ことが、とてもむずかしかったです。
でもその言語化できないところこそ整体の真髄でもありますから、どうすればいいのか悩みました。最終的にいろいろな気づきをもらったのは、実際に関わってきた子どもたちからでした。
ワーワー言いながら部屋中を走り回る子どもたちには、いくら「静かに!」とか「言うこときいて!」と言っても、全然通じない。それでいろいろ苦労しているうちに河野先生からさんざん言われてきた“気をつかまえる”という話が、ようやくここで実践として分かってくるわけですよ。
ふとした拍子にパっと何か見ながら「あれ?なんだこれ?」とつぶやくと、子どもたちが一斉に「ん?」と興味津々にこっちを振り向いて静かになったり、とか。
一人ひとりに構っていても振り回されるばかりだし、しかも見てないところでまた大変なことになったりするので、一瞬で子どもたち全員の気をつかまえるしかない。
いわば羊飼いになったつもりで、彼らを羊の群れのように導くことが(笑)、実践の中でだんだんとできるようになってきました。子どもたちの群れの気分とか群れの雰囲気みたいなものをつかまえて導くという感じですかね。それで初めて「なるほど。気をつかまえるとはこういうことか」と感覚がつかめてきて。
そこでつかんだ感覚は、子どもの講座ではもちろん、大人に対する整体の指導にもすごく活かされています。
子供たちの安心感が伝わってくる講座風景(隠れていますが3人の子供がいます!)
基本の型はあっても縛られない
私が学んだ野口整体では「基本の型」を大切にしています。たとえば、手のひらに気を集注して相手に触れ、からだの働きを整える「愉気(ゆき)」では、手を当てる位置や手の形、施術者の座る位置や相手との間合いなど、いくつもの基本があります。
でも型とは、あくまでも術を習得するための方法であって、いざ実践で使う場合は型通りにはいかないものです。特に子どもなんて型通りにはいかないし、そもそもそんな雰囲気自体が嫌われます(笑)。
“型”自体は、先達が永い年月をかけて練り上げてきたものですから、そこにはさまざまな知恵や技術が結集していて、それを稽古して身に付けていくことには、とても大切な意味があります。
でも、お母さんたちが家で子どもに手当てをするときは、型通りにやろうとすることで逆にやりづらくなってしまうので、お母さんたちに伝えるときにはあまり型に縛られないようにお伝えしているんです。
だって先生である私が「型は大事です」って言ったら、もうそこから誰も外れられないじゃないですか。「整体を身に付けるには10年かかるよ」と師匠に言われて、私もその通りだと思って一生懸命稽古してきましたけど、お母さんたちが10年修行していたら子どもは大きくなっちゃいます。お母さんたちにはいま必要なんです。
だから、整体をきちんと勉強している方には怒られちゃうかもしれませんけれども、型を外れても、子どもにはとにかくいっぱい楽しく気持ち良く触ればいい、と伝えています。だから私の伝えている整体はまったく王道ではなくって、脇道というか路地裏みたいな感じなんです。まあそういうのが好きなんですよね、私自身が。子どもと一緒(笑)。
そういう観点から、「整体ボディワーカー」として子育てについて語り始めたら、急にお母さん方が飛びついてきたんです。「今まで野口整体をやっている人で子育てを語る人っていなかったのかな?」と不思議になるくらい。
野口晴哉は子育てについても本当に素晴らしいことをいっぱい語っているのですが、ちょっと敷居が高すぎるのか、あるいはそれを現実に実践として子どもに行なっていくのが難しかったのか、とにかくあまり語る人がいなかったんですね。
時代として「型を通じて教えていく」という方法が、教育としてなかなか通用しなくなってきているのかも知れませんが、とにかく子育て中のお母さん方からお声を掛けていただくことがどんどん増えました。
“愉気”とは相手と通じ合うこと
整体の「愉気」っていったい何なのかと言われると、これは生物間に起きる感応現象を用いた手当てなんだと思います。感応というのは、鳥の群れがお互い見えなくても一斉に飛び立ったりとか、子どもが一人泣き出すと周りも一緒に泣き出したりとか、そんな原始的で本能的な現象です。
技術的には「薄紙一枚あいだに入るくらいの触れ方」とか「呼吸を合わせていく」とか「相手の中心を捉える」とかいろいろありますけれども、野口晴哉は「遠くにいる人に愉気をする」なんていうこともしてますから、最終的には手の当て方云々という話ではないということなんですよね。
「気があえば離れていても感じるし、あわねば隣にいても感じない」とも言っていますけれども、つまりはいかに相手と感応していくかという技術なんだと思います。
手を触れずに手当てするとか言うとオカルト的に聞こえますが、でも私たちの身の回りにだって、相手に触れなくても人を元気にする人もいれば、すごくイヤな気持ちにさせる人もいる(笑)。
その人がいるだけで周りの人が元気になったりとか、そういうことはいくらでもあるわけです。だから愉気に限らず手当てやタッチというものは、単にからだに触れるというだけで無く、相手の気持ちや心にまで触れてゆくということなんだと思うんです。
周囲の人間との信頼関係が、人間の健康状態や幸福感と密接な関係にあるということは、さまざまな研究からだいぶ明らかになってきていることですが、愉気やタッチというものは、単なる手当てや健康法なのではなく、相手との深い信頼感や安心感を築き上げていくひとつの方法なんだと思います。
よくお母さんたちに「どこに愉気をすれば良いのでしょうか?」と訊かれるのですが、そういう意味では本当にどこでもいいんですよ。もし分からなければ本人に訊いてみればいい。
「どこに手を当てて欲しい?」「どこをさすって欲しい?」って。そうやって丁寧に要求を訊いてもらうだけでも、じつは子どもは嬉しいし、元気になるんです。
ただ「そうは言われても…」っていう気持ちがあるのも分かります。とにかく子どもに手を当てればいいと言われても、手を当てているところは合っているのか、自分のやっている手当ては間違っていないのか、そんな疑問や不安も湧いてくる。
ですから私もみなさんに「こういうときはこういうところに手を当てると良いですよ」とか「こういう手当てをして下さい」というアドバイスをします。
それは知識として覚えてもらうという意味ももちろんありますが、それ以上に、自信を持って手当てしてもらうための拠り所になるからです。
本当は知識なんか無くても、ただ子どもの気になるところに手を触れていけばいいんです。動物がみんなやっていることです。でも、取っ掛かりがないとそれこそ最初はなかなか手が出せないので、「ここに集注して下さい」と、私が焦点を作ってあげて、お母さんに手を出しやすく、触れやすくしてあげているんです。
そうして、みなさんがそうやって日々実践しながら、気づいたら自然と手が出るようになっていってくれれば良いなと思っています。
だから私の講座に長く参加してくれている人ほど、自分で勝手にパッと動いていますね。きっと私の言うことなんてあまり聞いてない(笑)。
*
では後編では、ふだんの施術と家で簡単にできる「子どものためのタッチ」をお伝えしていきますね。
(第8回 了)
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–Profile–
●山上亮(Ryo Yamakami)
整体ボディワーカー。野口整体とシュタイナー教育の観点から、人が元気に暮らしていける「身体技法」と「生活様式」を研究。整体個人指導、子育て講座、精神障碍者のボディワークなど、はばひろく活躍中。
著書
『子どものこころに触れる整体的子育て(クレヨンハウス)』
『整体的子育て2 わが子にできる手当て編(クレヨンハウス)』
『子どものしぐさはメッセージ(クレヨンハウス)』
『じぶんの学びの見つけ方(共著、フィルムアート社)』
山上 亮FBページ:https://www.facebook.com/yamakamiryo/