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不果志の弁明 ー 木村久夫の余白,菅季治の遺稿(あとがき)

唐木順三(1904~1980)は,“自殺について ― 日本の断層と重層 ― ” のなかで,木村久夫と菅季治について論じています。

木村久夫が “哲学通論” の余白に, “実に立派な最期の文章をかきこんで” いる一方で,執行前夜に短歌を詠んだことを “急屈折” と評しています。

木村たち若い学徒と東條英機ほかのA級戦犯との間には,“思想においては共通領域をもつことのむずかしい二つの世代が,死に臨んでほとんど同じような短歌をものしていること” について,“二つの世代は思想的には断層がありながら,感情的には直接に結びついて” おり,“このことはまた同一世代,同一人において,思想と感情の間に乖離,失調のあることを意味する” とし,“科学と神話が,時代においても,同一人の胸中においても並存する” ものの,“その両者が妥協し,領域の協定を守っているうちは平穏であるが,乖離が乖離として自覚されてくると,互いに衝突するにいたる” と論じています。

この点に関し,菅季治についても “菅は,自己のさまざまな情念を理性によって統制することに成功している” として,“彼は日本では類をみないほどのデカルト的知性の人間といいうる” とする一方,“他人の心の洞察にたけた繊細な心理家である” と評しています。このことは菅にとっての悲劇の淵源にもなります。

自己に対しては論理のきびしさをもって,外に関しては心理の洞察を以て臨み,相手に対して謙虚であった

こういう人間はいきおい他によって傷つけられる

唐木順三「自殺について」(『詩と死』文藝春秋)

かく論じる唐木は,菅の先輩として1927年京大哲学科を卒業し,菅が東京文理科大哲学科に在学中の1940年(昭和15年)に,母校 松本高校とゆかりの深い筑摩書房の設立に参画します。筑摩書房は1950年8月に,菅の遺稿集 “語られざる真実” を発刊しますが,菅の命を捧げた弁明から,わずか4ヵ月後のことです。

戦後,唐木は,信州と甲州の県境近く,南アルプスの甲斐駒ヶ岳,鳳凰三山を眺める別荘 不期(ふご)山荘での時間を慈しみました。

七月以来ここに来て一歩も外へでないことを身上としている。不期は不期明日に由来するが,また人の来るのを期せず,新奇を期せず,仕事を期せず,まあ,なるがままにならせているというのんきな状況をも示している

唐木順三「蛙」(『詩と死』文藝春秋)

南予(なんよ)アルプスの別称をいただく鬼ヶ城山系(愛媛県南予地域)に発する目黒川は,高知県境を越えて四万十川と合流し,太平洋へとそそぎます。

この目黒川の上流部に,およそ12㎞にわたる “滑床(なめとこ)渓谷” があります。
千畳敷,出合滑,雪輪の滝など,清流により浸食された花崗岩に象られた渓谷は,避暑と読書空間にふさわしい景勝地と賞されます。

なるがままにならせている” 清流の渓谷で、辻邦生のとなえる “読書の祝祭

辻邦生,唐木順三の作品を旅行鞄にしのばせて,仁淀川上流の “面河渓”,物部川を遡る “猪野々”,さらには四万十川の源流のひとつ “滑床渓谷” へと,旧制高等学校の学生たちが謳歌した昔日を想う ”読書の旅” にいざなわれてはいかがでしょうか。


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