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風にキレたセブンティーン

 人生において、人目もはばからずキレ散らかしたことが何度かある。

 できればそんな恥ずかしい過去はなかったことにしたい。だが、人は歳をとると羞恥心が薄れるものらしい。もう四十が近い今となっては、むしろ笑い話として話せるようになってしまった。

 例えば、親戚が来たくせに部屋にこもっていたら、私の分のケーキがなくなっていて、猿のように泣き叫んだこと。(兄は、それを見て心底驚いたらしく、めったに連絡したことない母に「帰りに肉まん買ってきて」と緊急メールを送ったらしい。)

 例えば、上京して初めて住んだアパートの壁が薄く、隣の部屋のどんちゃん騒ぎに孤独が煽られ、壁を蹴りながら泣いたこと。(ちょっとへこんだ。でも退去費用は取られなかった。)

 そして、今でも友人に語り継がれている伝説的事件がある。

 そう——私はかつて、風にキレたのだ。

 いや、風そのものに怒るという行為がどれほど無意味かは、今ならわかる。でも、十七の私は真剣だった。いや、本気で怒らずにいられなかったのだ。

 なぜなら、あの頃、風は私の大敵だった。

 特に春先、私の地元・松本に吹く風は、母が「バカっ風」と悪態をつくほど強烈だった。四方を山に囲まれた盆地特有の気流が、上空から勢いよくなだれ込む。突発的に吹く風速10メートル級の暴風に、小学生たちはランドセルごと押し出され、足を動かさずとも学校へ着く。

 そして、この強風は 前髪命の女子高生 にとっても、到底耐えられるものではなかった。

 どれだけ苦労してアイロンをかけ、スプレーで固め、角度まで調整して作り上げた 完璧な前髪 を、風は一瞬でめちゃくちゃにするのだ。

 当時の私は、どんなにダサい服を着ていようと(レイヤードと称して、ズタズタに引き裂かれた服を何重にも着重ねて)、どんなに吹出物がたくさんで顔が疲れていようと、前髪さえ決まっていればすべて良し、という価値観で生きていた。前髪はすべて。前髪は私のプライドそのもの。

 だから、風にだけは負けられなかった。

 私は高校のバンドサークルに所属していた。
 Vo.のマキ、Dr.のデノ、Ba.のユキエ、そしてGt.の私。四人で月に一度の新曲発表会に向けて練習を重ねていた。

 学校のクラブ練習室(通称:クラ練)は順番制で、先輩優先だった。まだニ年生の私たちはなかなか思うように使えない。そこで、私以外の三人の地元にある音楽文化ホールの練習室を借りることになった。

 しかし、私の家から音文ホールまでは7km。しかも、ずっと ゆるやかな上り坂 。バンド練習のために毎回そこまで自転車を漕ぐのは、わりとしんどかった。

 そして、その日の練習は あまりうまくいかなかった。
 細かいことはもう覚えていないが、メンバー間の空気は微妙に悪かった気がする。

 「もう、今日は帰ろうか……」

 私たちは楽器を片付け、ホールの外に出た。
 自転車を押してメンバーと歩き始めたその瞬間——

 ゴォォォォォォ!!!!

 凄まじい突風が吹き荒れた。

 咄嗟に前髪を押さえる。だが、遅かった。

 風は無慈悲にも、私のプライドを粉々にした。

 「……もう無理。」

 限界だった。

 そして、ついに キレた。

 ガシャァン!!!!

 私は自転車を地面に叩きつけた。

 いや、「倒した」なんて生易しいものじゃない。完全にぶん投げ、蹴り倒した。

 「ふざけんなあああああ!!!!!」

 怒りの矛先は 風。
 強風の吹きすさぶ夕闇前の山間で、私は 風に向かって勝負を挑んだ。

 「ちょっと、やめなよ、見られてるよ……」
 「いや、でも……めっちゃ面白いから写真撮っとこ」

 ——カシャッ。

 それから何年も経ち、私はもう十七歳ではない。
 あの時の写真は、今でもメンバーが集まる飲み会で毎回ネタにされる。
 そろそろ消してほしい。

 前髪へのこだわりも、あの頃ほどではなくなった。風にキレ散らかすことも、さすがにしなくなった。

 でも、今になって思う。

 私は、あの日、本当に風に怒っていたんだろうか?

 たしかに、風は憎かった。前髪をめちゃくちゃにした風に対して、本気で殺意すら抱いた。

 でも、それだけじゃなかったはずだ。

 バンド練がうまくいかなくて悔しかった。
 一人で帰るのが寂しかった。
 しんどいって、誰かに言いたかった。

 「私を見てよ、私を労ってよ、優しい言葉をかけてよ」

 そうやって、何かを訴えたかったんじゃないか?

 けれど、それを素直に言えないのが十七歳だった。
 だから、自転車をぶん投げて蹴っ飛ばして、訳の分からない言葉を叫ぶしかなかった。

 痛々しい。ほんとうに痛々しい。

 でも、それが あの頃の私だった。

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