いくらの権利
座敷を二間あけはなした和室には、惣菜、寿司、ポテトサラダ、畳のいぐさ、アルコール、タバコの煙など、さまざまなにおいが人の体温であたためられ、蒸発し、まざり、よどみ、ほとんどの弔問客が帰った今でも、ずっと沈殿し残りつづけていた。
蛍光灯のしろいひかりの下、皿をかたづけるためすこしずつ残った料理がいっかしょにあつめられ、喪服のおんなたちがひと息つく時間。
寿司ネタはだいぶかたよったラインナップとなったが、いか、まぐろ、かっぱ巻き、いなり寿司が多くそろい、いくら、サーモン、青魚はすこししずつあつまった。大量のガリとツマは別皿にまとめられ、オードブルは揚げ物多めで無造作に積まれている。
冷蔵庫にいれていた生クリーム大福もこっそりならび、母親がサイフォンでコーヒーを淹れた。陶器のちいさな可愛いカップ。
お勝手から風鈴の音色がしづかにそよいだ。
「わー、サイフォンなんて久しぶり。ねえさんよく淹れるだ?」
「ぜーんぜん、たまにしかつかわない」
「このカップ、ちいさくてかいらしねえ」
母と親戚のおばさんたちのおしゃべりは、声のトーンが普段より一段も二段も高く、あかるい異和のように和室にひびいた。
「でも、このカップ、景子にちいさすぎるって怒られちゃった」
「えー、そう?ちょっとだけ飲みたい時にちょうどいいじ」
そんなこといったおぼえないけど、とおもいながら景子はすし桶をひととおり物色し、いかのネタを取り皿にとる。
卓をはさんで向かいの席では、妹がオードブルのからあげを口にほうりこみながら、おいっこにかっぱ巻きをたべさせていた。きゅうりが飛びだしてぼろぼろになっている。あーあー、といいながら妹はこめ粒をひろいあげ、自分の口に入れる。その様子をみてみんなわらった。おいっこの頬はまんまるとした桃のようにほの赤く、うぶげがはずかしそうにゆれていた。
すこし乾いていたが、いかの透きとおった身はやわらかく、酢飯としょうゆのかおりとともに、とろけるような甘みが鼻と口をつきぬけた。あとからわさびがきいて、景子は鼻先をほんのすこしおさえる。
つぎは、すこし遠慮していなり寿司に手をのばした。あまり好物ではないが、大量にのこっているからしょうがない。ここでひかえめな選択をしておけば、つぎの大物もねらいやすくなるという魂胆もあった。
ひとくちお茶をすすり、景子は視界のすみでいくらをちらと確認した。
ひとつだけ残っているいくら。つぎはあれをいただきたい。その前に、もう一貫くらい別のネタをはさんだほうがいいだろうか、と気にかけていないそぶりでツマを取り皿にのせ、しょうゆをちょんとつけて口にはこぶ。機械じこみの大根によって、うまい具合に口のなかがスッキリとし、期せずしていくらを食べる準備がととのった。
いまだ。が、あせってはいけない。ゆうゆうと、あくまでも、残っているからしかたなく食べる、といった体裁でいくらに手をのばそう、そう身をのりだした瞬間、さっきまでぼろぼろのかっぱ巻きを食べていたはずのおいっこが、「つぎ何たべる?」という妹の問いに対し、もじもじとはずかしそうに、ちいさな声で、「いくら」とこたえた。
一貫しかのこっていない、最後のいくらだった。
景子はいくらが好きだった。ちいさな頃は、それをしっている父親がいつも自分の分を景子にわけてくれていた。だから今夜も、おとなの振るまいをしながらも、最後にのこったいくらは自分のものだと信じてうたがわなかった。
しかし、その赤くつややかにうつくしいいくらは、おいっこの小皿へ移され、おいっこのちいさな口へはこばれ、咀嚼され、舌のうえではじけおどり、のどもとを通り、おいっこのあいくるしい胃のなかへながれていった。
景子は、いくらが好きだった。しかし、もう、いくらをわけあたえてもらえる権利は消滅した。家族が集まった時、すし桶からいくらを優先的にもらえる権利。それはおいっこに譲りわたされたのだ。世代交代だ。おおきな、おおいなる時の流れを実感し、景子はしばしぼうぜんとした。
ガリをかじると、あまい味覚のおくで、鈍した酸がつめたくいぶいて沁みた。
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