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ヤマトノミカタ#62「再出発の白」
病気の療養中だった。
ベッドから見る窓の外は雪景色。
奈良では数年に一度の降雪だとラジオから聞こえて来る。
これまでテレビカメラマンとして奈良を撮影して来たが、奈良の雪景色を撮った経験はほとんどない。
とにかく、雪が降れば京都へ。
視聴者が求める雪の古都は京都であって奈良ではなかった。
雪の金閣寺に銀閣寺、雪の大原三千院、雪の嵐山に鴨川。
雪の京都を撮影した記憶はいくらでもある。
雪が降ってから京都へ向かっても撮影にはならない。
大阪のテレビ局から京都まで雪が降る中をロケ車で移動しても、渋滞にハマって、シャッターチャンスを逃してしまう。
雪が降る前に京都へ移動して、ホテルやロケ車で待機して雪の降り出しを待っていた。私はそんな過去を懐かしく思い出しながら、奈良の雪を眺めていた。
この記事で紹介する映像詩はYouTubeの再生リスト「奈良、時の雫」の中で最も古くに公開されている。1700本以上ある作品の中で最初の1作となった。
テレビカメラマンとして雪の奈良を撮影したことがないのに気が付き、まだ見たこのとのない奈良の雪景色を撮影したくなった。
雪が最も似合うのはどこだろうか?
その答えは春日大社以外に思い浮かばない。
当時使っていたカメラはキャノンのEOS-Kissに安価なアルミ製の三脚。アルミなので素手触ると痛いほどに冷たい。
カメラを操作する都合で指切り手袋を使うが、手足症候群という抗がん剤の後遺症で常にピリピリと指先が痛む。撮影中に何度も苦痛で声を上げるほどだった。
ます最初に三脚を置いたのが春日大社南門。
春日大社の朱色と雪の白、この色彩の組み合わせが狙いだった。
テレビカメラマン時代のようにロケ車で待つことは出来ない、そもそも車がない。
カメラと三脚をセットして、雪の振り始めまで4時間は待っただろうか。
雪が降る時は一緒に風も吹く、安物の三脚と軽いカメラなので風で激しく揺れてしまう。なので、傘を横にさして風を防ぎながら撮り続けた。
この程度の風で揺れるなど、テレビカメラでは考えられない。
安いカメラと三脚で、傘を横にして雪の中で独り撮り続ける私。
正直、情けない姿だと惨めだった。それが、今の私が置かれた現在位置なのだと思い知らされた。
でも、そこがどん底であっても、撮影している時でしか自分らしい自分でいられない、そのことも良く分かっていた。
寒い中を立って待ち続けて撮影した南門と雪は、想像以上に美しかった。
雪に意思があるように舞っていたのを今でもよく覚えている。
雪は更に降り続き、次第に飛火野から色彩が消え、モノトーンの世界に変わって行く。
視界から色が消えて、その代わりに形が存在感を増し、カメラマンに語りかけてくる。
白い飛火野に立つ一本のナンキンハゼが、意思を持ってそこに立っているように見えた。
色のある世界で見るよりも、ナンキンハゼの孤独と生命力がダイレクトに伝わってくる。
それはまさに仏の姿に近かった。
病気療養中の私は、雪の中に立つナンキンハゼの強さが欲しかった。間違いなく、この木は仏であり、神である。
私は無意識に手を合わせていた。
あれから1700本以上の映像詩を創り続け、風景の中に何度も神仏の気配を感じた。
その始まりであり、一番最初がこのナンキンハゼだったと、今になってそう思う。
そして、風景の中に自分の姿を探して撮り続けてきた私が出会った、最初のもう一人の私なのかもしれない。
白い飛火野。どん底からスタートしなければならない私に相応しい雪景色。
何もない白をどんな色に染めるのか、それは私次第。これは再出発の白だと自分に言い聞かせた。
*冬の春日大社
https://youtu.be/1WkFeN0Vehk?feature=shared
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