保山耕一

映像作家、テレビカメラマン、奈良県在住

保山耕一

映像作家、テレビカメラマン、奈良県在住

最近の記事

ヤマトノミカタ#15「雲海に浮かぶ神地」

一年に一度あるかないか、大和盆地が雲海に隠れる時がある。 夜明けが近づくにつれて、低く垂れ込む雲が次第に厚くなり、東大寺大仏殿や興福寺五重塔が雲に覆われ姿を消す。 そんな様子を若草山三重目(山頂)から何度か撮影する幸運を授かった。 御蓋山は春日大社の第1殿に祀られている祭神・武甕槌命(たけみかづちのみこと)が白い鹿の背に乗って天から降り立ったとされる神聖な山。狩猟伐木禁止の禁足地となっている。 私は大和盆地を覆う雲海を撮影していて、不思議に感じることがあった。 どれだけ雲が厚

    • ヤマトノミカタ#14「穢れなき祈りの道」

      秋が深まると、大峯の山に龍が現れる。 初めてその姿を目撃したのは、大峰山脈にある行者還トンネル(標高1,110m)から上北山へと向かう林道をロードバイクで走っている時だった。見渡す限りの山々には杉や檜の常緑樹が植林されている。しかし、尾根筋だけは本来の森の姿である落葉樹の植生が残っている。山桜などの落葉樹が紅葉し、まるで龍が山を駆け上るように見える。今ではすっかり有名になったナメゴ谷の紅葉だ。 テレビ番組で全国の紅葉を紹介する企画があった。ディレクターが他所にはない少し変わっ

      • ヤマトノミカタ#13「四寅参り」

        「三寅参り」 寅の月、寅の日、寅の刻。3つの寅が揃った時に信貴山へお参りすると願いが叶う。 先輩カメラマンが教えてくれたのは、私が撮影助手だった修行時代。 フリーランスといえば聞こえは良いが、低賃金の日雇い労働者がその実態。 仕事を早く覚えたいので、仕事の発注がなくても撮影現場に行くことは珍しくなかった。勿論、そんな日のギャラは0円。 何度もアパートの電気を止められた。現場へ向かう電車賃がなく、駅の売店で100円を貸してもらったり。 そんな私の一番の願いは、貧乏から抜け出すた

        • ヤマトノミカタ#12「滅びの美」

          40年前、私が撮影を学んだのは大和路をテーマにしたテレビ番組だった。 その番組の担当カメラマンが常に意識していたのは写真家・入江泰吉。 テレビカメラマンは裏方ではあるがプライドが高く、先輩カメラマン曰く「大和路で入江泰吉には負けてられへん」とよく聞かされた。 入江先生が番組のゲストでご出演されたこともあったが、個人的な親交があった訳ではない。 おそらく、入江先生はテレビなど全く眼中になかったと思う。 こちらからの一方的なリスペクトだったに違いない。 新聞にカラー写真が掲載され

          ヤマトノミカタ#11「闇の中の足音」

          「おすすめの奈良は?」よくそんな質問を受ける。 奈良を撮り続けているカメラマンだから、絶景を教えてくれるに違いない。質問する相手の顔にそう書いてある。 少し前まで私のおすすめは「闇」だった。 奈良には闇があった。陰翳礼讃。漆黒の闇こそが私にとっての奈良だった。 夜の帳が降り、月の光がこんなにも明るいことを教えてくれたのは奈良の闇だった。 姿を現さない生き物の声、風が吹き木々が揺れる音、鹿の鳴き声、森のざわめきは命の交響曲。 暗闇の中で視覚からの情報が途絶えると、耳の感度がより

          ヤマトノミカタ#11「闇の中の足音」

          ヤマトノミカタ#10「光る七福神」

          「光る七福神」 テレビ番組の撮影助手として、番組ロケで奈良県下を巡ったのは今から40年前。 今と当時を比べて村の様子が最も変わってしまったのが天川村だと思う。 村の雰囲気というより、天川村にしかない空気が消えてしまった。 ロケでは修験道の山伏が宿泊する旅館に泊まった。天川村洞川にはそのような旅館がいくつもあるが、今では山伏から一般の旅行者が主な宿泊客となり、天川村の洞川温泉は人気の観光スポットになっている。 陸の孤島、隠れ里、そんなイメージだった天川村が、トンネルやバイパスの

          ヤマトノミカタ#10「光る七福神」

          ヤマトノミカタ#9「長谷寺の奇跡」

          「長谷寺の奇跡」 テレビカメラマンとして30年以上も大和路を撮り続けていると、それぞれの社寺に忘れられない思い出がある。 長谷寺もそのひとつ。私にとっては特別な存在。テレビ放送が地上波デジタルになり、ハイビジョンカメラで初めて撮影したのは長谷寺だった。 私は東京で癌の手術を受け奈良に戻った。撮影現場に復帰出来ない日々、奈良の社寺を安価なカメラで撮り始めた。 死亡率の高い末期の直腸癌なので、おそらく長くは生きられないだろうと覚悟していた。これで見納めだと、思い出が詰まった場所に

          ヤマトノミカタ#9「長谷寺の奇跡」

          ヤマトノミカタ#8「神様の姿」

          「神様の姿」 奈良は神仏と人間の距離がとても近い。日常の中で無意識に神仏に向き合っていることが多い。仏様のお姿は、お寺の仏像という具体的なイメージがある。では、神様のお姿はどのようなイメージだろうが?神話に出てくる天照大神を連想する人もいるだろうし、形の無い抽象的なイメージを持つ人もいるだろう。自然そのものを神様として信仰するならば、葉っぱ一枚、石ころひとつにも神様を見ることは出来るだろう。 では、私の場合はどうだろう。 カメラマンである私の神様のイメージといえば、神社に霧が

          ヤマトノミカタ#8「神様の姿」

          ヤマトノミカタ#7「明日香村の棚田」

          「棚田への思い」 次の世代に残したい大和の風景。そのひとつが明日香村の棚田。 自然と人の営みが長い時間をかけて作り出した奇跡の景観。 残念ながら、時代の流れの中で棚田の中には耕作放棄地が増え、昨今はまるで田んぼの墓標のようにソーラーパネルが並んでいる。そのような現状の中でも明日香村の棚田はまるで芸術品のように四季の表情を見せてくれる。 中には田植え機などの農耕機械を使えないほど小さな棚田もあり、人の手によって昔ながらの米作りが行われている。田植え作業を終えたおじいさんにお話を

          ヤマトノミカタ#7「明日香村の棚田」

          ヤマトノミカタ#6「飛火野とナンキンハゼ」

          「飛火野とナンキンハゼ」 世界遺産・春日大社。その境内地である飛火野(とびひの)と呼ばれる場所は、表参道に面した広大な空間。芝生が広がり、神様のお使いとされている鹿が芝生を食み、一年を通してのどかな雰囲気に包まれています。古くは春日野(かすがの)とも呼ばれ、春日大社の神山・御蓋山を遠くに仰ぐ古代祭祀の地でした。 この場所から見る御蓋山が最も美しいという人はとても多く、休日ともなれば、市⺠の癒しの場所となります。 そんな歴史ある飛火野の中心に一本の大きな木があります。秋に

          ヤマトノミカタ#6「飛火野とナンキンハゼ」

          ヤマトノミカタ#5「ススキとセイタカアワダチソウ」

          「ススキとセイタカアワダチソウ」 あれから40年が過ぎた。私が撮影助手として最初にテレビ番組の撮影現場に入ったのは、大和路をテーマにした紀行番組、毎日放送「真珠の小箱」 8人乗りのロケ車で大和路を撮影する日々が続いた。私以外はベテランのスタッフばかり。撮影技術を学ぶだけではなく、大和路を撮影する上で独特の感覚を覚えなければならなかった。要するに大和路を撮影するのに絶対に守らなければならないルールが幾つもあった。 そのひとつが「要注意外来生物であるセイタカアワダチソウは絶対に撮

          ヤマトノミカタ#5「ススキとセイタカアワダチソウ」

          ヤマトノミカタ#4「神と仏」

          「神と仏」 都会で育った人が奈良に来て驚かれることの一つに「お寺の中に鳥居がある!」 奈良で暮らす私たちにとっては当たり前のことだから、驚かれたことに驚いてしまう。 年越しはお寺で除夜の鐘をつき、年が明けると神社で初詣。 暮らしの中に神様がいて仏様がいる。都会での暮らしと違うのは、人と神仏の距離がとても近いことだ。 奈良全体が自然と人々が共存する里山のような地域であり、自然と神仏が重なり合っている感覚がある。 奈良の祈りは、太陽や山に手を合わせる原始的な宗教の要素が色濃い。

          ヤマトノミカタ#4「神と仏」

          ヤマトノミカタ#3「二上山の鞍落ち」

          「二上山の鞍落ち」 先輩カメラマンから教えられる言葉は宝の山だった。 「春と秋の2回、檜原神社の鳥居から見える二上山に太陽が沈む。それこそが大和を象徴する風景だ」 撮影助手で貧乏生活だった私にはその言葉の深い意味は理解出来なかったが、撮影メモには赤ペンで大きく書き込んだ。実際、檜原神社での鞍落ち撮影時の雰囲気は神がかっていて、話すことすらはばかられた。カメラの隣でモニターを見ていたディレクターは祈りの表情で画面に合掌していた。 太陽が雄岳と雌岳の間に沈んで二上山が残照に浮かび

          ヤマトノミカタ#3「二上山の鞍落ち」

          ヤマトノミカタ#2「大和大雲海」

          「大和大雲海」 あれから40年ほど経っただろうか、テレビ番組の特番で東大寺修二会を約1ヶ月間に渡って撮影。私は撮影助手として修二会(お水取り)の現場にいた。当時の私は高校を卒業したばかり、いかに貴重な体験なのか知る由もなかった。博識のディレクターから悔過法要の意味を学びながらの撮影。何も分かっていない若造の私であっても修二会のインパクトは凄まじく、二月堂で繰り広げられた様々なシーンが今でもはっきりと記憶に残っている。撮影を終えて思ったのは、東大寺修二会は究極のエンターテイメン

          ヤマトノミカタ#2「大和大雲海」

          ヤマトノミカタ#1「コスモスと大和三山」

          「コスモスと大和三山」 私がテレビ撮影の世界で働き始めたのは40年前。大和路をテーマにした紀行番組「真珠の小箱」で撮影を学んだ。当時は放送30年以上の長寿番組。大和路を撮らせたら誰にも負けないと自負の塊のような先輩カメラマンたちに囲まれ、私の修行時代が始まった。 「大和路はこう撮るべきだ」そのこだわりはまるで哲学のようで、20歳の私にとって大和路はタイムスリップしたかのような空間だった。歴史を学び、そこで暮らす人々の日常を知り、それを映像として切り取っていく。 ここでは奈良時

          ヤマトノミカタ#1「コスモスと大和三山」